九州自転車旅 13日目 4月08日

 

 

2024年3月27日から21日間九州一周ライドを敢行しました。(実走は19日 距離1,660km 獲得標高14,343m)その後輪行で別府に移動してから阿蘇に抜けるボーナスステージ(3日間 174km 3,402m)に挑戦して、4月20日に無事帰宅しました。

その間、STRAVAとFacebookは随時更新していたのですが、amebloの方は時間がかかるので、帰宅してからの更新でお許し頂こうと考えてました。(実際、現地でこの作業は無理ですね)

 

帰宅してからボチボチ更新していますので、そのあたりご理解頂ければ幸いです。

 

なので、この内容は 13日目の4月08日分になります。

 

 

  この日のライドは

 

 

九州全体から見るとこのあたりになります。

朝スタートしてから方針変更で知覧平和会館まで足を伸ばしたので、ちょっと複雑になりました。

 

 

スタートしたのが、南さつま市(加世田)で、それからちょっと戻る感じになりますが、山の方に入って、知覧平和会館を訪れています。それからまた、南さつま市に戻って、(元々の)ゴールの薩摩川内(さつませんだい)を目指しました。

 

この日は前日がんばったこともあって、距離がすごく短い予定でした。ホテルもゆっくりのスタートにしていました。降雨も予想されていて、短いのは歓迎でした。

 

走り始めてすぐの交差点に「知覧〇㎞」の表示があって、「アレっ~。案外近いんだぁ」と思ったのです。それと、ちょうど雨が空けてまして、「これは、お天気持ちそうかな」と思える雲行きでした。

 

NAVITIMEを見ると(最短距離ですが)それほどの距離でもなさそう。今からでも往復できるかな?と知覧の平和会館まで足を伸ばすことにしました。

 

 

最初の坂が知覧に向かう坂になります。知覧航空基地はちょっとした山の中にあるのです。

 

 

  スタート直後に予定変更しました

 

素泊まりが多かったのですが、久しぶりに朝食付きのビジネスに投宿してました。

勿論、ご飯はお代わりしました。

ただ、この時点ではこの日の予定は52㎞ 500mくらいだったです。なので、早く出発したら午前中に着いてしまうなぁ~とか思ってました。

 

グズグズしていたのですが、あんまり遅くまで居てもしかたないので、スタートすることにしました。雨は小降りで上だけレインウェアにしていたのだと思います。

 

ところが、最初の交差点で、知覧までの距離が表示されていて、「案外近いなぁ~」と思いました。戦争遺産の知覧の平和会館の訪問はどうしようか?と考えていました。すでに、

 

 

7日目に同じような特攻隊の基地になっていた鹿屋航空基地を訪問しています。

だいたい同じような施設だろうなぁ~は想像できますよね。しかも、内容はすごく重たいです。違いがあるとしたら、鹿屋は海軍で、知覧は陸軍の基地。

 

でも、行けるなら行っておこう、と思いました。遺書とか涙なしには閲覧出来ませんが、大げさですが、日本人なら一度は行くべき所のように思いました。

 

 

現地で予定変更した時に一番頼りにしたのが、スマホに入れているNAVITIME(無料版)です。出発地と到着地を入れると、推奨ルートで、道筋と距離、坂のプロフィール(これが大事)を表示してくれます。有料版とちがって「坂道が少ない」とか「裏通り優先」とかのオプションが有りませんが、この時みたいなほぼ一直線のルートでは、どっちみちこのルートしかないでしょうね。

 

これを見ると、距離が15.4㎞だから往復でも31㎞程度。坂は獲得が180mほどで短い急坂があるけど、上れないこともないでしょう。(こういう時は割と楽観的です)

 

走り始めの道はこんな感じでした。昔の基地は山の中に作ったのでしょうか。

 

 

サイコンにルートが入ってないので、こうした道路標識は本当に頼りになります。

NAVITIMEで表示された「国道〇線」などを参考にして、走ってきていますが、こういう標識が出現すると「間違ってなかった~」と安心できます。走力のないシニアチャリダーとしては、ルートをロスして迷子とかなるのは、走る距離が長くなるので、絶対に避けたいのです。

 

知覧特攻平和会館に到着しました。

内部には、海中に没していたゼロ戦を引き上げて展示している外にも戦闘機の展示があります。

 

 

 

引き上げたままの展示は悲惨さを表してくれていて、キレイにレストアした機体よりここの主旨に沿っているのでしょうね。

 

特攻隊のみなさんのお手紙、遺書の類は、撮影禁止です。ぜひとも現地で見て欲しいかと思います。どのお手紙、遺書も達筆です。淡々と自分の使命や残してきた家族のことを綴られています。

 

短い時間で航空機の操縦を習得されたのですから、高い学歴や教養をお持ちだったでしょうね。しかし、そういう人達でも、あの狂気の時代では「それはおかしいのでは」と声を上げられなくなってしまっています。日本人ってそういう民族って思ったりしましたが、ドイツでもイタリアでも同じような(特攻はなかったけど)状態でしたね。
 

ただ、知覧の特攻に関してwikiなどで調べると、この展示に至るまでは紆余曲折有ったようですね。特攻を観光資源と捉える派もあれば、特攻を厳しく批判する立場の派もあるのです。決して美化することなく、こういう事が有ったんだよ、と後世に正しく伝える施設であって欲しいですね。

 

南さつま市に戻ってきました。道路沿いに看板がありました。

 

南さつま市は、サイクリングに力を入れておられて、サイクリング道の整備などされている様子です。お天気が良ければ、そういう選択肢もあったんだろうなぁ~。

 

 

 

レンタサイクルやお勧めのサイクリングコースの事など満載です。

海岸線を巡るルートなどは、起伏が多くて獲得標高をぐっと稼げる(私は遠慮しますが)コースになっていますし、山間部には

(上のサイトから拝借)

田の神さぁ(たのかんさぁ)と呼ばれる素朴な石仏があったりするようです。

これもお天気が良ければ、知覧の帰り道に寄ってみたかったです。

なかなか意味不明な楽しい看板(工務店さん)が有ったり、

 

芋焼酎ですね。大きな看板でした。

 

 

道の駅 きんぽう木花館 13時頃。お昼ご飯にキツネうどん+おにぎり

この時点でお宿まで残り45㎞ほど。15㎞/時間位のペースで16時になりそう。

 

14時頃。日置市。雨が上がってきて、走りやすくなってきたのだと思います。

 

 

海岸線沿いもこのあたりは交通量は少なかったのです。

 

 

 

しかし、国道3号線に合流。やや交通量も増えるのですが、車線幅は変らずで、走りつらくなってきています。

 

 

いちき串木野市(いちきくしきの)に入ったら、なにやら横断幕が沢山ありました。

 

スポーツで有名な「神村学園」でした。

 

この後、お宿近くになって、かなり強めに降ってきて、宿に着いたらピタッと止んでくれました。

 

  この日のルート

 

 

獲得標高は、STRAVAでは657mでした。