九州自転車旅 7日目 4月02日
2024年3月27日から21日間九州一周ライドを敢行しました。(実走は19日 距離1,660km 獲得標高14,343m)その後輪行で別府に移動してから阿蘇に抜けるボーナスステージ(3日間 174km 3,402m)に挑戦して、4月20日に無事帰宅しました。
その間、STRAVAとFacebookは随時更新していたのですが、amebloの方は時間がかかるので、帰宅してからの更新でお許し頂こうと考えてました。(実際、現地でこの作業は無理ですね)
帰宅してからボチボチ更新しますので、そのあたりご理解頂ければ幸いです。
なので、この内容は7日目の4月02日分になります。
この日のライドは都井岬から志布志市経由→鹿屋航空基地から内之浦まで
この日は上の地図でも分かるように、志布志湾から鹿児島湾の方にずいぶんと遠回りするルートを取っています。実は、元々のこの日の予定は、90km弱とそれほど長くなかったのです。しかも予約が出来たお宿がさらに手前になりまして、更に走る距離が短くなる予定でした。
これに加えて、次の日の天気予報が悪かったのです。
そこで、この後訪問しようと考えていた鹿屋航空基地(元特攻隊の基地。平和会館が有ります)に寄って置こうと考えました。
しかし、これを思いついたのが、この日走り始めてからでした。道路標識を見ていたら「案外近いんだぁ~」と気づいたのです。なので、事前にルートを引いて→サイコンに落として→それをトレースする、といういつもの方法が使えません。
事前にルートを引いていると、「サイコンばっかり見て」となってしまいますが、少なくても「迷子」になることは有りません。ギリギリで走っているので、「迷子」になってしまうと、体力的にも精神的にも大きなダメージです。
ただ、大きく方向を間違えなくて、多少の遠回りになるのを覚悟すれば、なんとかなるのも事実です。(この日がそうだったから)スマホに入っているNAVITIMEや道の駅などにある地図を参考にして、都井岬から志布志市を経由して鹿屋航空基地に行って、ロケット打ち上げで有名な内之浦まで走りました。
この時はNAVITIMEで検索したルートで問題なかったです。道路標識のありがたさを実感させてもらいました。ところが、九州ライド後半に同じような事が有ったのですが、そっちでは上手くは行きませんでした。難しいですね。
都井岬から志布志市に
都井岬の野生馬。前日は道路に降りてはいなかったのですが、早朝で油断しているのか、道路脇にも居ました。
桜と野生馬。
私の進行方向に居ると、ちょっと心配。
まぁ、馬の方が人間に慣れているっちゃ慣れてますね。
道の駅「くしま」
実は前日の宿は古い国民宿舎でした。部屋はいっぱいあるのですが、高齢のご夫婦でお世話できる程度の客数で運営されているようでした。しかし、設備は古く、トイレがねぇ~。私は朝のお便りをちょっとばかり我慢して、ここのトイレを借りました。
都井岬から約20km。
シャレが効いている志布志市
志布志市の市役所です。なにやらシャレの効いた看板が有ります。
まぁ「こころざし」の多い自治体なのでしょう。志よりも布の方が地名の由来に関係あるようです。
前日にLOKO Bicycleさんの店長からお勧めされました。ただし、まだ10時15分。
このお店は有名らしく、席数がすごかったです。周辺の空き地もこのお店の駐車場になってました。丸にチョンで「マルチョン ラーメン」と読む屋号だそうです。
時間は早かったですが、先客さんは数名おられました。みなさんお仕事のご様子。地域で愛されているっていう感じでしたね。
お味は?早い時間でしたが、さっぱり美味しく頂きました。
この前に道路上の「鹿屋まで〇〇㎞」の標識を見て、「案外近いじゃないか?」と思ったのでしょう。そして、こうした観光案内図とスマホのアプリの地図と照らし合わせながら、この日のルートをイメージしました。
昆虫の巨大モニュメント
セントロランド道の駅 くにの松原ホテルあすぱる温泉 にある昆虫のモニュメントです。道路脇にあるので気づきました。前日にも同じような昆虫モニュメントを見ています。このあたりは昆虫で有名なのでしょうか。お好きなのかな。
自転車と比べてもらって分かるでしょうか。大きなものです。
「触らないで」の表示が無かったので、触ってみました。
明らかに金属製です。溶接痕もしっかり有りまして、サビなどがないことや、色合いからステンレス製かな。板厚も有るように思えました。
鹿屋航空基地
今回の九州ライドでは、キレイな風景だけでなく、産業遺産なども見学できる所はしたいと考えていました。しだいに薄れていく戦争中のことを伝えてくれる資料館があります。涙なしには見られないですが、日本人なら一度は訪問しておくべき場所と言えると思います。
特攻隊員に関する貴重な資料だけでなく、小説「永遠の0」にも登場する「零式艦上戦闘機五二型」や、旧日本海軍創設期から先の大戦、現在の海上自衛隊に関する貴重な資料を見学できる施設です。
これは戦時中の大型の飛行艇です。巨大なものです。日本の飛行艇の技術は戦時中から高かったそうです。その歴史が現在の水難救助の飛行艇につながっているそうです。
潜水艦対策の飛行機がいくつも野外展示されていました。
平和資料館の特攻隊のみなさんのお手紙などは撮影禁止です。
まぁ達筆な方が多い。短時間で飛行機の操縦を会得されたみなさんですから、高学歴の方々だったのでしょうね。文面には勇ましい文章と覚悟の言葉が綴られていますが、その裏側を察するほかありません。
東郷平八郎氏の日本海海戦の時に「皇国の興廃この一戦にあり」の掛け軸。今見ると、「平八郎書」ってなってました。本物ですね。
しかし、この海戦で圧倒的に勝ってしまったことが、後々神話のように続いてしまいます。しかし、あの海戦でほどほどな勝負だったら、歴史はどうなっていたんだろう~。
ゼロ戦の機銃やエンジンなどの展示がありました。機械好きとしては、ちょっと長居したい展示になりました。
ゼロ戦は後期型の52型です。完全レストアでして、ちょっとキレイ過ぎと思えました。
べニア板を使ったような部品があるかと思えば、
吸気の集合管かと思うのですが、職人芸のような部品もありました。しかし、これって量産しずらそう。
現在のターボプロップエンジン。ジェットエンジンで推進力を得てプロペラを回します。
救助ヘリのカットモデル。実際の救助の様子を表しています。一歩間違えれば、要救護者だけでなく、自分自身の命にもかかわるお仕事。使命感と冷静さが要求されますよね。
さて帰り道に
自転車用のNAVITIMEと道路標識を頼りにしてルートを考えました。
これがNAVITIMEが推奨してきたルート。でも、これは無料版でして、有料なら坂が少ないとか、距離優先とか色々選ぶことが出来ます。
ただ、このルートだとほぼ一直線なので、おそらくこのルートになると思います。
高低図の最後のラスボスの坂の後、不自然に平らになっているでしょう。覚えておいてください。これが本当のラスボス出現します。
このルートをタップして拡大すると
こんな風に、国道や県道の番号が表示されます。これが頼りです。
道路が分岐するところでは、
こうした看板が出ていて、
国道544号線は直進、とか表示されます。これが心強いです。(良かったぁ~間違ってなかったぁ~ってね)
車の運転とかで、行先とかは意識したことは有りますが、国道の番号を意識したのは、今回が初めてだったように思います。
同じように分岐などの箇所では、必ずと言って良いほど、この看板が出現してくれて助かりました。そういう役割だったのでしょうね。
これまで鹿児島の幹線道路沿いとか海岸線を走っていたので、この田舎道(失礼)はある意味新鮮でした。広々とした農地が続きます。滋賀県では、稲作が中心で耕作地の大きさは細かく仕切られていますが、こっちは畑作だし、その単位が大きいですね。
ラスボス出現
登った坂の最後がこの国見トンネルでした。ご覧のようにちゃんとした歩道はありません。
ところが、長さが3,300mも有ります。時速20kmで走っても、10分ほど掛かります。勿論、迂回路は有りません。
ただ、このトンネルに達する前から分かっていたのは、交通量の少なさです。
まぁ車が通りません。
結局、手持ちのライトを全部点灯や点滅させて、蛍光グリーンのウィンドブレーカーを着て、肩からは反射帯を掛けてトンネルに突入。
ありがたいことに対向車もほとんどなく、後ろから抜いてきた車は5台ほどでした。その5台も、反対車線に大きく膨らんでくれて、私に影響が少ないように追い抜いてくれました。
NAVITIMEの高低図で平らな部分があったのは、この国見トンネルだったのです。
トンネルを抜けた後になかなかの風景が待ってました。
この後、無事にロケット発射場で有名な内之浦に到着しました。
この日のルート
トンネルの入り口の所で、GPSの電波が拾いきれなくてゴチャゴチャして距離が長くなったようです。獲得標高は、STRAVAでは1,017mでした。