資源回収の空き缶であったこと | 徒然なるシニアブログ

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残された人生と生きてきた人生への想い

私が住むところでは毎週月曜日に資源回収があります。紙、空き瓶、空き缶と3種類です。

ここ半年は毎週、空缶と紙類を50m離れたところにある指定場所までもっていってます。それまでは主に瓶と紙で、時々空缶でした。それが、あることがきっかけで空缶がたくさんたまるようになり毎週月曜日に出すようになりました。

 

そのきっかけというのはいつもの食品スーパーの入り口あたりに自販機があり、その横には空缶と空ペットボトルを捨てるようになっています。実はその自販機では買わないのに、よそで買って車の中で飲んだ空缶も一緒に捨てていました。

 

ある日、自販機の壁に「家庭で出た空缶、ペットボトルは捨てないよう」という張り紙が貼ってありました。私は1週間でも4個くらいしか捨てないのですが、いつも回収箱があふれるような感じになっていたことがありました。ほかのお客も来たついでに捨てていたのだと思います。お店にしたら自販機の売り上げと空缶・ペットボトルの回収量が全く違うので張り紙をされたのだともいます。

 

言い訳としては、私の捨てた缶は他での購入したものもありますが、そのスーパーで安売りの時にケース単位で購入することもあったので罪悪感はありませんでした。でも、やっぱりお店のことを考えたら捨てるのをやめようと思い、毎週月曜日の資源回収に切り替えました。朝早く来るので結構早く起きて一番にもっていきます。ちゃんと缶の中をすすいでから出します。

 

今朝も同じ場所にもって行ったのですが、途中、空缶を集めて回っている同じ年ぐらいの方に出会いました。前にも資源回収の空缶を集めているところを見たのですが、久しぶりに出会ったしまいました。自転車にいっぱい詰まった袋を数個載せていて、私が持っている空缶が欲しかったのでしょう、ちょうど私の目の前で止まりました。昔だったら少しは注意したと思いますが、今の不景気の中で生活していくのは厳しいですし、その集めている人も何年も生業としているようなので特に注意もせずに渡してしまいました。

 

すると、”ありがとう”と丁寧にお礼を言われました。でも、資源回収は行政で処分し、そのお金が少額であっても市民生活に使われることを考えれば勝手に持って行ってはいけないのですが、たくさんの空缶を載せて走る同じ年代の老人を見ると、まぁいいかなと思った朝でした。