24-05-22 ヒューマン | ヤマダ・マサミ ART&WORK 検:ヤマダマサミ

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24-05-22 ヒューマン

「なんでも鑑定団」に「突撃!ヒューマン!!」のステンレス製オリジナルマスクが出て450万円の査定額が出て話題になりました。鑑定人は高円寺ゴジラやの木澤さんです。かつて古谷家のウルトラマンマスクの鑑定もやっています。あのときより高いんですね。

ゴジラやには、成田亨夫人がよく来て、絵やウルトラマンのマスク(佐々木明製造の認定書付き)を店頭頒布していた事があり、木澤さんは夫人からよく生前の成田さんの話を伺っています。

「ヒューマン」の舞台を引き受けたのがビン・プロモーション。当時の代表者古谷敏さんへも局から取材の電話があったようでした。マスク、4つか5つあったそうな。

ぼくが直に見たヒューマンマスクは、成田家の物とビンプロが番組終了後もショーを続け残された物。これはビンプロで記録撮影をやっていた西村祐次さんが譲り受けています。したがって、現存する3つ目のマスクとなります。

「ヒューマン」は舞台の生放送で映像の控えがないため、幻の作品あつかいされて久しいのですが、再放送はやっているんですよね。当然、中継車が入ってビデオで撮りますから。時は72年。「仮面ライダー」が大ヒットしているその裏番組に日本テレビがぶつけたわけです。

 

66年に「ウルトラQ」「ウルトラマン」「マグマ大使」がテレビで始まり、それまで映画館へ行くか野球の雨傘番組を待つかしてしかテレビで見られなかった怪獣を、テレビで毎週見る事が出来る。その事は子供社会にセンセーショナルを起こしました。もし、怪獣が居なかったら「鉄腕アトム」も「鉄人28号」も、あるいは「忍者部隊月光」も人気が続いていたかもしれないし、まず第2次怪獣ブームは有り得なかった。

30%越えの裏番組「ウルトラQ」によって「ワンダー3スリー」は放送日を変える事になり、手塚治虫は怪獣に負けた~!と絶句して、アトムを終了させる引き金にもなった。大晦日のアトム最後の日の翌日は怪彗星ツイフォンですからね。泣いている場合じゃなくなった。

怪獣ブームよもう一度!と、メディアがこぞって番組を仕掛けたのが71年。「宇宙猿人ゴリ」「帰ってきたウルトラマン」がさっそく話題作になる一方で、苦戦した「仮面ライダー」は2号登場で徐々に人気を博していきます。やがて怪獣ブームはライダーにあやかって変身ブームと新たに名付けられました。

「ヒューマン」が企画されたのはそんな時です。「ウルトラマン」のデザインで実績のある成田亨を呼び、成田さんは、ウルトラマンを演じた古谷敏にオファーする。

ウルトラセブンでも成田さんは頼んでいて、ビンさんはウルトラ警備隊の最初の1人に決まっていたためセブン役を断りました。ヒューマンの時はすでにビンプロの社長ですから若い人に役を譲り、舞台ぜんたいをビンプロで引き受ける経緯でした。

いまでもビンさんの大きなイベントで音響と照明を担当する藤田さんは、「ヒューマン」ではキングフラッシャー役を交互に入った人です。

飛び人形のヒューマンは、円谷プロへ行って成田さんがかつての飛びウルトラマンをもらいうけ改造したもの。

実は72年、成田さんは円谷プロから新番組(たぶん「ウルトラマンAエース」)の相談を受けますが、その前に日本テレビで「グリーンマン」の企画に関わっていたため流れます。「グリーンマン」は「サンダーマスク」になり、マンガ家の成田マキホさんがデザインをし直します。

東宝が作った「グリーンマン」は成田さんは無関係ながら、「ヒューマン」で使った怪獣たちが登場しました。なんの因縁なんでしょうね。

結局、第2次怪獣ブームは終了し、成田さんが次にと錬っていた「Uジン」の企画は宙に浮いたまま、81年、ソノラマの雑誌「宇宙船」で連載という形で使われました。もし、エースがヒューマンのデザインだったら流れはどうなっていたでしょう。

 

そもそも成田さんは「ウルトラセブン」の途中で円谷プロを去ってしまい、怪獣ブームの限界を感じて、伊勢丹の店頭ディスプレイのデザインと施工の仕事をします。

そのときステンレス職人と出会い、これだ!と膝を叩くんです。

ふりかればウルトラマンもセブンもこういう感じにしたかった、みたいな感慨です。当然、ヒューマンのマスクはその試みを実施する機会となった。ステンレス加工は板金です。型にあてて叩き出して形をだし、溶接で組み上げるため、まったく同じ形を揃える事は出来ません。

「なんでも鑑定団」に出たヒューマンとあとの2つはやはり形が微妙に違いました。

成田さんはウルトラマンよりヒューマンの方が好きでした。

舞台でビカビカに光るヒューマンを観たときに胸がいっぱいになったと。光り輝く仮面を「ピカピカ」と言わないで、「ビカビカ」と言うのがミソでした。

「ヒューマン」は健闘空しく1クール(13本)で終了します。地方での公開撮影が終わって、番組の終了を想い、成田さんとビンさん、2人で飲み明かしたそうです。川のせせらぎを聴きながら。

その逸話を10年くらい前の銀座でやったビンさんのバースデーショーで回想してくれました。

「ヒューマン」、実はかくいうぼくも「仮面ライダー」を目を皿のようにして見ていましたから、CMの時にチャンネルを廻してふーんと言うぐらいしか見ていません。ただヒューマン2号が出た時に、赤いデザインがとても格好良く目に残りました。

成田さんはそれが不服で「みなさんそう言われる。どこが良いのだか分からない」と返します。ウルトラセブンを玩具メーカーのプッシュで赤くされた事にこの時点でも納得が行ってなかったので、ヒューマンも赤くするのは忸怩たる思い。最初のヒューマンだけが理想を100%叶えたヒーローだったんですね。

ウルトラマンも青いラインにしたかったのですから。青はホリゾントの青空に溶け込んでしまい緊迫した鉛色の空なんて毎回描いていられない。

まぁ、マルサン、トイマーク、増田屋がスクラムを組んで、赤が良い!とやったのは、重々根拠があって赤い車を挙げるまでもなく男の子は赤い物に惹かれると。みんなが好きなウルトラマンもたしかに赤いラインだからですよね。

 

さて蛇足。成田さんはよく鼻歌で「突撃!ヒューマン!!」の主題歌を歌っていました。「ひゅー、ひゅー、ひゅー」ってやつです。

これ、モデルになった歌があります。

原曲は、65年のフレンチポップス。

日本でも大ヒットしています。マージョリー・ノエルが歌う「そよ風にのって」です。

https://www.youtube.com/watch?v=Oj0h9QiFq1Y&list=RDMMOj0h9QiFq1Y&start_radio=1

「ひゅー、ひゅー、ひゅー」のところは「うー、うー、うー」で、汽笛の音のようで、偶然おなじ車両に乗りあわせた男性へ甘い恋心をいだいた少女の思いを歌ったものだとか。

ノエルさん、本国ではあまり人気が出なかったものの、日本ではヒットして、66年7月に日本へ来て日本語版をレコーディングもしている。その後67年にひっそりと引退。こんな素敵な歌を歌ったのに生涯独身で、2000年に54歳の若さで亡くなっています。

「そよ風にのって」はザ・ピーナッツ、伊藤ゆかり、弘田三枝子ら錚々たる面々がカバーをしています。71年に南沙織がLP「17歳」用に歌った「そよ風にのって」がありました。

https://www.youtube.com/watch?v=Nex63VdfQ9I

ノエルさんは自分の歌が日本で子供番組で使われたなんて思っちゃいないでしょうけど、「突撃!ヒューマン!!」のスタッフは、あの歌の爽やかさにあやかろう!と思ったはずです。

「そよ風にのって」の下の句は、

「風が吹くようにどこからともなく現れて」にあたるんでしょうねぇ。

ポップスが全盛だった、懐かしい、ロマンチックな昭和の光景をイメージするとやけに感傷的にナリマス。

強敵仮面ライダーに敗れた43歳の成田さんと29歳のビンさんのそれでも挑む事に賭けた夢の思い出がたくさんあったでしょう。いい歌なんですよね。フェードアウトして終わるのも原曲と一緒。

「突撃!ヒューマン!!」主題歌

https://www.youtube.com/watch?v=johsW04vqdw&list=RDMMOj0h9QiFq1Y&index=3

 

 

 

 

おまけ。

 

ノエルさんの日本語版「そよ風にのって」

https://www.youtube.com/watch?v=fHzDZBkVhSY

 

可愛い、伊東ゆかりの「そよ風にのって」

https://www.youtube.com/watch?v=LyDKDFFpXZE

 

「ピンポンパン」から、大野かおりの「そよ風にのって」

https://www.youtube.com/watch?v=BuvjCnKEkP4

 

天地真理と沢田研二のデュエット

https://www.youtube.com/watch?v=Ug5hUzLmp5I

 

誰かイベントで、「そよ風にのって」と「突撃!ヒューマン!!」を同じ楽曲内で続けて歌ってくれないかなぁ。