24-05-06 3万8千歩のミステリー・ビンさん その3 | ヤマダ・マサミ ART&WORK 検:ヤマダマサミ

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24-05-06 3万8千歩のミステリー・ビンさん その3

古谷敏さんと征く、「ビン夢道ミステリー散歩」
 

5月5日(日)

3日目。ビンさんから、平気? と聞かれて、大丈夫です、と答える。

初日に筋肉痛が出たので風呂を浴びて栄養剤をとって休みました。仕事なんかしません。寝るのも重要。

3日間通しで参加した人は数人居ます。ぼくはデスクワークが信条なのでやっぱり体力ゲージが下がります。でも楽しいので機関車やえもんのように踏んばりました。そんな大げさなと言われそうです。でも平日、歩いても1時間しないで家に戻るんですよ。商店街へ出て1食して、西友に寄って帰る毎日。

実は去年の鎌倉行きで足が攣ったので、心を入れ替えて自転車をやめたんです。なるべく歩く。歩くと体重も減ります。良い事づくし。

 

日比谷シャンテ、ゴジラ像の前で集合。シン・ゴジラの像、初めて見ました。立派な像ですね。マイナスゴジラも建つんだろうか。

集合写真を撮ります。ゴジラの後方に東宝のマーク。ビンさんが主役です。

それから、皇居のお堀に出ました。

「UNBALANCE」(「ウルトラQ」)の制作第1話「マンモスフラワー」のロケ地。

なんと、クランクインが64年の9月末、60年前ですよ。淳ちゃんたち3人の後列に「おいおい、押すなよ」とビンさん。

本多猪四郎監督のチーフ助監督を初代「ゴジラ」(54年)から10年務めた梶田興治監督の初監督作品です。

シナリオでは、お堀に浮かぶ巨大な根っこが水面を脈打つと「ゴジラの尻尾のよう」だ、とされるんですよね。

三田線に乗って芝公園。次、降りるよ。それが合図。え、どこへ行くの? 知ってたって教えてくれない。ビンさん「地上へ出るから」。そりゃそうだろう。

東京タワーが見えました。おお、久保田さんがケムール人のシャツを着ていたのは偶然か。人形まで持っていた。記念撮影とツーショット、ここでも誰も日陰に逃れようとしません。

増上寺をよぎります。ここ日比谷通りはキングコングとメカニコングが戦った場所。留園はもう少し港側。もう残ってませんが。そして全員、コングの足取りよろしくのしのしと東京タワーへ向かいます。

いやあ。子供の日。どうにもなりません。中で食事をしようとしたらなにしろ超満員です。そこで予定を端折って麻布十番へ出ます。

ビンさんが生まれ育った笄町(こうがいちょう)はいまの西麻布です。

中学卒業の記念に学友と完成間もない東京タワーの階段を上がったのだとか。当時は外階段が使えたそうです(ぼくはエッフェル塔の階段を上がった事あって、ジグザグでも100メートルの階段は大変でしたよ)。

ガストで食事。まぁ、お腹空きますよね。大盛り注文。食べないと前へ進めません。健康優良児のようになりました。

ドイツ大使館の前まで車に分乗して移動。有栖川宮記念公園を下ります。

子供の頃のビンさんが遊んだ所。大使館めぐりもしたそうです。

31アイスを奢ってもらいます。ビンさんの昔話がつづきます。

行路、住宅地へ。ビンさんが新婚で住み込んだアパートの跡地。いまは造成地。そこから歩いて自宅へ、ビンプロへ行けたそうです。

その手前、当時可愛がってもらった近所のおばさんに挨拶。おばさんもいきなりビンさんが来てビックリです。50年前のお話しですからね。

3日間の解散宣言。ご苦労様。

参加自由で打ち上げです。

ここでも車代、ビンさんもち。東京タワーの中で遊べなかったので、申し訳なく思ったんでしょうか。珍道中も楽しかったですよ。

それから不動前の餃子館で宴会となりました。

1万歩。3日間合わせて、3万8千歩。4万歩行った人もいたでしょう。完走はビンさんですからね。すごいです。

もう、ウルトラマンとかウルトラ警備隊とか関係なく、ビンさんは、すべてを越えてしまって、みんなビンさんが大好きで、ただただ、一緒に居たいだけ。

そんな3日間、延べ60人の集まりでした。お疲れ様。ありがとうございます。どうか、これからもよろしくお願いします。

次のミステリー散歩は秋に!