ウィリー・ウィリアムス
中高校生の頃、プロレスが好きで、金曜の夜8時はテレビにしがみつきました。親日派です。
全日の方は夕方だったり深夜だったりしていて、力道山の正当な後継者であった馬場さんの団体がゴールデンを外れるのはなんだか可哀相な気がしましたが、圧倒的に猪木の方が面白かったのです。
年齢的に子供番組は見なくなった自分にとってのヒーロー番組はプロレスでした。
その頃からプロレスは八百長などと謂われましたからクラスでもプロレスの話題は空気を読みながらのところはあったかもしれません。
つらかったのは、林間学校へ行って、テレビのチャンネルをほとんどの生徒は裕次郎の「太陽にほえろ」か野球を見たがる。そこでメインエベントが近くなったところでこっそり換えるんですが、怒られたり、同意してくれたり、ドキドキの瞬間でした。
当時、梶原一騎の格闘技マンガ「四角いジャングル」やロングラン連載「空手バカ一代」の影響で、格闘技ファンの友達は大山倍達とその門下が最強だと言い張ります。
プロレスはスポーツ最強のイメージをつくっていたため、実際に道場破りなどもあったそうで、屈強な猪木の弟子たちが返り討ちしていた、と言う話に素直に頷きました。
ぼくが愕いたのは、水曜スペシャル枠でやった「猪木対マクガイヤー・ブラザーズ」のハンディキャップマッチでした。ふつう、巨漢1人に対して2人がかりです。アンドレにヤマハ・ブラザーズが挑む試合はどこかユーモラスで、定番の面白さでした。
猪木は1人で、あの巨漢兄弟を迎えました。1人200㎏ですよ。猪木は、それをブリッジしてみせ、あまつさえモンキーフリップまでしたんです。
いずれアンドレもジャーマンをかけるだろうと思いこみました。それはかないませんでしたが。
馬場が一流で著名なレスラーを呼ぶのに対して、猪木自体は素晴らしいのに、外人がダメでした。
ハリウッド・ブロンドス、ジョニー・パワーズ、キラー・カール・クラップ。個性はあっても、馬場が呼んだサンマルチノ、エリック、ブラジルら、力道山時代からお馴染みはたしかに薹(とう)は立ってはいましたけど、輝いて見えました。
でも、少しずつ、猪木の相手も良くなってきて、シン、ハンセン、アンドレと登り調子のレスラーが揃ってきます。
白眉はロビンソン戦でしょう。60分フルタイムドロー。しかも残り1分で卍が決まっての対スコア。
その半年後、ロビンソンはあっさり全日へ移って、馬場に敗れました。しかし試合としては猪木戦が最高でした。ヒーローは苦戦する方がカッコイイです。
30代半ばの猪木は強かったと思います。
「格闘技世界一決定戦」が始まると、食い入るように見ました。柔道のルスカ、ボクシングのアリやウエップナー、マーシャルアーツのモンスターマン。
それらはマンガにもされ、視聴率も馬場プロレスと差が開いていきました。くれぐれも言っておきますが、ぼくは全日も大好きで、マスカラスやファンクス、ブッチャー、レイス、デストロイヤーも好きでした。
馬場選手は、それこそ「ジャイアント台風」以来のファンです。
つまり、1番の馬場を追いかける、なかなか1番になれない猪木を応援していたところがありました(月曜夜8時の国際もちゃんと見ていましたよ)。
そうしてプロレスを楽しみにして、東京スポーツや月刊の専門誌を立ち読みし、何度か会場へも足を運びました。
調べてみたら1980年なんですね。
怪獣同人の友である平井くんが東京スポーツの次長と父上が知りあいで、券をくれると言うので、待望の猪木・ウィリー戦を観に行くことがかないました。
梶原一騎制作のドキュメンタリー映画「地上最強のカラテPART2」(76年)で、熊と戦ったため熊殺しと呼ばれたウィリー・ウィリアムスが猪木に挑戦する。
まるでキングコング対ゴジラですよ。
熊はしかし、レスリングベアで、牙も爪も抜かれた上、人間と相撲をとる温和しい熊だったそうで、それなら可哀相だなぁと、ずいぶん経って知りましたが。
極真会館の創始者・大山倍達が牛殺しで名を馳せたので、そういう流れになったようですが。実際、大山さんが倒したのもマンガやアニメでは猛牛なのに、要するにベコ相手に組み合ったのが真相で、その頃はマス大山名義で海外でプロレスをやっていたのだとか。
興行だから、裏も表もありますよ。
一方で、モハメッド・アリとの世紀の一戦を凡戦にしてしまった猪木は、格闘技戦最終試合に完勝しないと格好がつかないだろう、最強の刺客をきっと返り討ちにするだろうと想像していました。
会場は殺気立っています。
ぼくらは3万円の席でした。本当に平井くんに感謝です。国歌吹奏の際、傾斜している蔵前国技館の前から5席目くらいの処、10メートルも離れていないウィリーが目の前で、怖くて目を合わせられない。
試合が降着してくると、リング下へ落ちた猪木に空手家数人が襲いかかります。右に落ちれば右へささーっと走り、左へ落ちれば左へささーと彼らが走って猪木を蹴るわ殴るわ。
あれは極真を辞めて個人でやっている人だと思いました。そんなことしなくても、十分にウィリーは強かった。猪木の顔が見る見る青ざめていきました。
どこまでが仕込みかどうか分かりませんが、途中から本気になったウィリーがグローブを外そうとしました。
ところで、会場へ行った人は実感したと思うんですが、ウィリーの履いていた靴の硬そうな事。重たそうな事。あれではたまらないです。
無理やり引き分けみたいな結末でイヤな気持ちで会場を出ると、垂れ幕を畳んでいる人たちがいました。2階席に居たんでしょうね。
そこには、「見たぞ、プロレスの底力!」と書いてありました。猪木が勝ったときに垂らすつもりだったんでしょう。泣いているようにも見えた彼らの顔をなるべく見ないようにして会場を去りました。
ウィリー・ウィリアムスが亡くなったと聞いて、寂しい気がします。
サヨナラ、最強の人。