マルサンの広告 | ヤマダ・マサミ ART&WORK 検:ヤマダマサミ

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主に仕事に関わる、特撮、怪獣がらみのブログです。
ときどき、猫が登場します。


・「週刊朝日」10月14日号の記事。66年3月に銀座松屋で開催した「ウルトラQ大会」は13日間に5万人が集まった、そうだ。そしてマルサン商店のソフビ生産高、月産百万個。1つ350円かける、その数。現在の5倍くらいです。誰か計算して下さい。ちなみに週刊朝日は50円の時代。
そのマルサンの下請けをしているパートのおばちゃんたちの風景。9月くらいの取材です。最新商品がアントラーなんでしょうね。






・その記事の扉。デパートの風景。完成品のプラモデルはチビたち、垂涎の的。ゴロー、尻尾の重りのミルク缶がさっそくなくなっています。右の写真は「世界画報」から。











・左、66年12月公開「ゴジラ・エビラ・モスラ南海の大決闘」の宣伝用マンガの裏表紙で使われたマルサンのソフビの広告。新製品エビラはまだ写真がなくて、この時点の最新商品はアントラーだった。66年夏頃。
右、玩具業界紙「よいこの太陽」掲載のソフビとお面、赤ちゃん怪獣の広告。ゴメス、尻尾がないんですね。この時点の最新商品はハヤタ隊員だった。66年の夏頃。






・左、現代コミックスウルトラマンシリーズの表4を飾ったマルサンのプラモデルの広告。これ、ポスターになっていたんですね。66年の秋頃。
右、プラモデルの完成品の広告。パッケージが魅力的だっただけにそのギャップに引いたのでは?と思うなかれ、当時の子供はこのゴツゴツした怪獣が憧れでした。少年マガジンなど雑誌に載った広告。66年の年末。






・左上、少年キングのマルサンの広告。まだラインナップが少ない。66年夏。その下、「玩具商報」掲載の広告。お話シリーズが登場。らくがきシリーズは個人の想像だが、塗装が間に合わなくて出した苦肉の策のような気がします。マルサンはプラカラーも独占販売していたので一挙両得の発想。だが、ソフビの塗装は難しくて流行らなかった。
66年の年末商戦時期は、ソフビの生産が月産100万個と謳われた。
右、マルサンのカタログから。ギャンゴが新製品。67年の春。




・「ウルトラマン」のヒットを受けて、日本テレビで「快獣ブースカ」が始まった。マルサンも商品をこぞって出すが、ウルトラ怪獣の真似は出来なかった。女の子向け商品を兼ねた。ジャイアントブースカよりデカイ縫いぐるみ、見た事ありません。66年秋以降。








・67年の4月から始まった「キャプテンウルトラ」、6月から始まった「宇宙家族ロビンソン」もマルサンはスポンサー契約。1つの企業でこれだけたくさんの番組を2年の間に契約した会社はないですよ。あと「トッポジージョ」とディズニーシリーズも出しています。







・67年10月に始まる「ウルトラセブン」の商品は放映に合わせてラインナップが準備されていたが、マルサン商店は社名を変更、KKマルザンとなる。湯水のようにお金が出ていってしまうので、丸(お金のこと)が残るように、丸・残にした。「セブン」23話で防衛軍の施設として03倉庫(まるさんそうこ)が爆破されたのはご愛敬。
ユートムを最後にソフビは商品が出なくなった。
68年の夏休み公開、東宝「怪獣総進撃」のSY3号がラインナップに。











・マルザンのプラモデルの広告。68年の夏。セブンがぐたぐたで、ウルトラマンに期待しているようなニュアンスが受け取れますねぇ。
最終回の少年の秘密基地(部屋)で使ったオモチャ、トイマークだけでした。皮肉にも、「ウルトラセブン」放映後、マルザンは倒産します。






・おまけ。マルサンはプラモデルとプラカラーを開発してパテントを取っていた。のちに協会(組合)へ委譲する。当時の子供にとって色を塗る事は至難の業。小学校高学年からの趣味になります。
ぼくも実際らくがきシリーズのウルトラマンは父に塗ってもらった。チャームセットと呼ばれる基本色3色のパックが、らくがきシリーズに付いていた。画像の下です。






・そして、昆虫採集セットと共に、みんなが憧れた逸品。プラカラーセットです。これ、どれだけの人が夢を持っただろうか。これがあればどんな色も塗れる! と思うんですが、そうは行きませんよね。最初は紙箱。それから発泡材になり、ブルマァクでは出なかったと思う。