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「お母さん、今日のごはん、おいしい~~![]()
![]()
」
(えっ?!今日のごはん?
今日だけおいしい?
今日だけなの??
)
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「わぁ!お母さん、今日のドレスいいね![]()
![]()
」
(えっ?!今日の?
やっぱり、、![]()
いつもやる気ないテキトーな服装だから?はぁ。。
)
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よくある母とこどもの会話なんですが、、、
私のネガティブ思考のせいか、
誉め言葉を素直に「ありがとー
」って
受け止めていなかった。。。![]()
言葉の受け止め方って、本当に大事ですね!!
だってせっかくのハッピーな場面でも、
嬉しい気持ちどころでなくなっているですから。
それに関連して、、、
イエス様が心へりくだっておられ優しい愛の神様って
ことを知っていたつもりで、
ホントはわかっていなかったことが
わたしには多々あります。
今日はそんな誤解について書いてみようと思います。
聖書を読みながら、
(自分の誤った解釈のせいなのですが)
イエス様のことばを理解する時に
愛に溢れたお方というよりはむしろ、
厳しい感じの神様像にすり代わってしまって、
イエス様のことばを誤解していたことが多々ありました!![]()
それで、自分に向けられている神様の愛が分かりにくくなっていた。![]()
そもそも、このブログをはじめてみたいと思ったのも、
そんな誤解を解くカギとなった
「神様の恵みが主体となっている聖書理解」
が、とてもとても大事だと実感してきたので、
もしかしたらこの世界のどこかで読んでくださってるどなたかの益にもなったらいいなぁと
思って始めたのがきかっけでした。
(実際には、自分の日常のつぶやきみたいな内容が
多くなってる現状ですがw)
今日、取り上げてみたい聖書箇所は、
イエス様が十字架にかかって墓に葬られ、
三日の後によみがえられた後で、
弟子たちのところに現れてくださった場面です。
私はこれまでイエス様は不信仰の者たちに対しての対応が、、
なんというか、うまく言えないんですが、
{うんざり、あきれる、失望する}みたいな感じに捉えていたんです。
だから、自分の信仰を自分でさばいて、
信仰が弱いからダメだとか、なまぬるいとか、
結構自分自身を裁いていたと思うんです。![]()
だけど、本当は、イエス様は
不信仰の者に対しても、変わらない愛で、
優しく対応してくださっていたんです!!!![]()
それが真実!!!![]()
ヨハネ20章27節
「それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、私の手を見なさい。
手を伸ばして、わたしの脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
トマスはイエスに答えられた。「私の主、私の神よ。」イエスは彼に言われた。
「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。」
「見ないで信じる人たちは幸いです。」と言われたイエス様の言葉を
私は長年勘違いしていて、
イエス様がトマスに対して失望して言われた言葉のように
受け止めていました。
だけど、本当は違っていました!!
だって、そうおっしゃる直前まで、イエス様は、
トマスが信じることができるように、彼のことを思って、
イエス様ご自身の復活されたお身体にさわって確かめなさいって
言ってくださっているんですから!!
「見ないで信じる人たちは幸いです。」という言葉は、
後々の時代(イエス様を実際に目で見ることができない時代)の
わたしたちのためのことばだったのです![]()
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私たちが信じることができるように
祝福してくださったことばだったのです![]()
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ハレルヤーー!!
31節にはこうあります。
「これらのことが書かれたのは、
イエスが神の子キリストであることを、
あなたがたが信じるためであり、また信じて、
イエスの名によっていのちを得るためである」
イエス様は、人間が五感によってリミットされている弱さがあることを
ご存知で、、だけど、それを乗り越えて
見えないものを信じるという信仰をもって生きてほしい、
だって、それが救いの道だから、
イエス様にあるいのちをいただいて歩む道だから、
私たちが信じることができるように切に願ってくださっている!
勘違いしててごめんなさい~~イエス様、、、、
トマスとお話しされた時にも、後の時代のわたしたちのことまで思って、
祝福のことばをくださった。本当に感謝します!!
そしてそのことが分かるようにしてくださった聖霊様の働きも感謝します!!
この文章を読んでくださった方にも、イエス様の愛が伝わりますように!!![]()
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