けっこう昔の話になるんですが、

 

子供たちがまだ小さかった時のことなんですが、(もう15~16年くらい前!)

 

海に連れて行った時のことです。

 

二人目の子がたぶん1歳になったくらいとかで、

 

海を見るのが初めてだったんです。

 

初のビーチを楽しんでほしいという期待が外れて、

 

海がめちゃめちゃ怖かったようで、私にずっとしがみついていたんですよね。

 

一瞬たりとも足に水が付くのも嫌で怖がっていたんです。

 

私は、大丈夫だよ、大丈夫だよって、言って、

 

怖がる子供が安心できるようにだっこしていたんですが、

 

波がざぶーんとくるたびに怖い~~って言って

 

私にしがみついていました。

 

その時の私はどうしたら子供が怖がらなくてもいいようにしてあげることができるのか、

 

それだけを考えていました。

 

ひたすら、どうしたら安心させてあげられるのかなって。

 

怖くないよ、大丈夫だよ、って、ずっとだっこしてました。

 

上の子が海で遊ぶのが終わるまでずっとだっこしてなだめていました。

 

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神様は聖書の中で365回にもわたって

 

「恐れるな」と私たちにおっしゃっている。

 

つまり、一年中毎日のように「恐れるな」と励ましてくださっている、と聞いたことがある。

 

それなのに、なぜ、まだいろんなことを心配している自分がいるのか?

 

以前にお祈り会である姉妹が「心配してしまう罪をゆるしてください」と祈っておられた。

 

その時はなぜか、なんとなく違和感があったけど、

 

あんまり深く考えなかった。

 

心配することって、罪なのかなぁ??と、

 

疑問に思ったのは覚えてる!

 

もちろん神様が「恐れるな」と言われているのに、

 

「恐れている」自分は神様を信頼しきれてないということになるんだけど。

 

だけど、神様の目から見たら、どうなんだろう?

 

だって、父なる神様はイエス様を与えてくださったことにより、

 

私たちに新しいいのちをくださった。

 

イエス様を信じる者たちから罪を取り除いてくださった。

 

(肉はまだ残っているけど)へブル8:12にはこう書かれてる。

 

「わたしが彼らの不義にあらわれみをかけ、もはや彼らの罪を思い起こさないからだ。」
 

海で怖がっていた子供を抱いて大丈夫だよ、大丈夫だよって

 

ずーっと、なだめていたように、

 

不完全な人間の親でさえ、

 

恐れる子供の心を助けたい、安心してほしい、って

 

願うのですから、

 

私たちを造ってくださった造り主の神様が

 

私たちに平安をもってほしいって思う願いはどれほど強いものでしょう!!

 

だから、いろんなことについつい心配してしまう弱い私の不信仰もゆるしてくださった。

 

神様に信頼しきれていない部分も、恐れてしまう心が出てくる時も、

 

恐れる心をさばいて罪に定めることはありません。

 

むしろ、イエス様を通して、恵みによって私たちを救ってくださった神様の反応は

 

「恐れる必要なんてないよ」という感じなのでは?と思うのです。

 

「恐れなくていいよ、なぜならあなたのことは私が守っているから」

 

「恐れる必要なんてない、私に信頼すれば心に平安がくる。

 

恐れの心ではなく平安の心でいることを願っているよ」

 

と言ってくださっているのではないかなと、思うのですひらめき電球ひらめき電球

 

だけど、私はけっこうこれまでずっと「恐れてはいけない」ということを

 

律法のように自分に言い聞かせてきた感じがあって、

 

恐れている自分は、間違っている!

 

神様の律法に反していることは良くない!というふうに、

 

自分をさばいていました。ネガティブネガティブ

 

だから、恐れるところから抜け出せなかったのかなと思うんです。不安

 

恐れる自分はダメな自分、だから平安がなくて、逆にもっと恐れてしまう。。。

 

悪循環みたいな。

 

「~してはいけない」というのがそもそも律法ですよね。

 

イエス様を信じたわたしたちはもはや律法の下にはいない。

 

イエス様を信じたら恵みによって生きる。スタースター

 

恐れる心の真ん中にですら、イエス様は来てくださいますね!ドキドキドキドキ

 

ヨハネ20章19節を見ると、

 

イエス様が十字架にかけられた後、

 

弟子たちはイエス様を失った悲しみと混乱とユダヤ人たちを恐れる心から、

 

家の鍵をかけて閉じこもっていたとあるんですが、

 

その真ん中にイエス様が現われて平安をもたらしてくださったことが書いてあります!

 

「その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちがいたところでは、

ユダヤ人を恐れて都に鍵がかけられていた。すると、イエスが来て彼らの真ん中に立ち、

こう言われた。「平安があなたがたにあるように。」

 

この地上に、イエス様の愛が届かない領域なんて存在しない。ニコニコ

 

いろんなことが起こる人生だから、心配することだってある、

 

心に恐れでいっぱいになる時だってある、

 

だけど、そんな時も神様はわたしのことをあきらめたり見捨てたりしない。

 

そんな恐れや不安の、ただ中で、私たちはイエス様にしがみつくことができる!

 

それが祈り!

 

イエス様、私は◎◎◎のことを恐れています。

 

だから今私の心に平安を与えてください。恐れる心をあなたに預けます。

 

心配してばかりだけど、それでも、あなたを信頼します。

 

イエス様の御名で祈ります。アーメン!