煩悩 | 今日もいちにち生きました

今日もいちにち生きました

2016年、直腸癌が再発。
治療の結果、一生の障害を負うことになりました。
2022年胃がん発覚。2023年咽頭がん発覚
3つの癌を抱える今。
以前の私とは生き方が変わりました。
がんと闘い、生き抜くことができた日々。
今日という日をつづります。

2018年も最後の日となりました。

 

時の経つのが年々早く感じます。

2018年は2度と戻ってきません。

 

毎年末、今年はかけがえのない年であったと思いたい。

その意味では「子どもに学べ」ということですね。

 

子どもにとっては1年1年が全く違います。

何しろ別人のように成長しますからね。

だから時間の持つ意味は大きい。

 

私も成長したい。

それができれば、意味のある年を送ることができるはずです。

 

がん患者も成長できる。

いやむしろがん患者だからこそ成長できることが存在する。

 

これ、実感です。

 

以前は「今年もあっという間だったなあ」というボヤキが恒例だったんですが

罹患以降はそれが減りました。

色々なことに興味が湧いてきたのがその理由だと思います。

 

例えば仏教美術に目覚めたこと。

これによって私の世界は大きく広がったと思います。

仏教美術を味わうためには、教義も知っておかなければなりません。

 

そのため仏教本を買い集めたり、集会に出たりもしましたよ。

 

その内容はあまりに膨大でかつ複雑です。

ただその複雑さは、釈迦が入滅した後の人々が作り上げたものです足していった結果です。

 

釈迦族の王子として生まれたゴータマシッダールタは世界の真理を求めて

苦行の旅に出かけます。

 

その果てに悟りを得てブッダになるわけですが

釈迦は悟りを得る前のこと、そして得た後のことを弟子達に伝えています。

 

ところが肝心の悟りの内容を一切語っていません。

最も知りたい肝心な部分が謎のまま残ってしまったんです。

 

以来2500年間、人々は悟りを求めて

ある者は苦行に励み、ある者は念仏やお題目にそれを求め、あるものは日々の行いに

見出そうとしてきました。

 

一体、釈迦の悟りとは何なのか。

なぜ、釈迦はそれについて一言も語っていないのか。

 

以下は私の個人的に思うところです。

 

人は必ず、老い、そして死ぬ。

生、老、病、死。

現代の私たちも抱える根源の悩みです。

 

釈迦が王子の身を捨ててまで出家したのは

これが理由でした。

 

どうしたら克服できるのか。

 

釈迦の見つけた答えとは。

 

それは、

 

「悟り」というものがあるんですよ。

そして、それはあなたが見つけ出すものなんですよ。

と、いうこと。

 

釈迦の悟りはあなたのものとは違う。

親鸞の悟りはあなたのものではない。

道元の悟りであなたの問題は解決できない。

 

けれどもあなたにはあなただけの悟りが必ずある。

 

だから釈迦は、語らなかった。

自分で見つけ出すものだから。

 

考えてみれば、日々の暮らしの中で小さいながらも

色々なことに気づきます。

 

大きく目を見開き、正しい心を持ち続けていれば

気づけるんですね。

 

悟りとはその果てにあるもの。

例え、死の床にあろうともそれさえあれば救われる。

 

そういうものではないでしょうか。

 

さて、その悟りを邪魔するものがあります。

 

煩悩です。

 

今日の夜、聞こえてくるでしょう。

百八つの鐘の音。

 

煩悩を退散させて

清々しい、2019年に臨みたい。

 

どうか皆さま、良いお年をお迎えください。

 

 

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