死ぬのは怖いことなのか

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最近、隙間時間に読んでいるのがこの本。

世界的なベストセラーになったので読まれた方も多いのでは。

 

私は、ちまちまと読んでいるのでなかなか読み進めていません。

最初の10分の1位。

かつて人類はたくさんいましたが一種を残して全部絶滅。

生き残った一種が私たち、ホモサピエンスというわけです。

 

世界的にバカ売れした本なので

多分面白い話の展開になるんじゃないかと期待してます。

 

人間というのはわけがわからないことが多いのですが

古代にまで遡ってみると腑に落ちることが多いので

この手の本は好きですね。

 

タイトルに付けた死への恐怖のお話ですが

人は例外なく死のことを考えます。

 

そして

死が最大の恐怖であることは間違いないところ。

 

けれどももし人間が死を恐れない動物だったとしたらとっくに

絶滅していたはずです。

 

この恐怖はホモサピエンス繁栄の代償なのかもしれません。

 

そんなことがこの本に書いてあるのかどうかは知りませんよ。

私の仮説です。

 

神は、人類生存のために

死への恐怖というものを与えました。

 

けれども神は忘れていた。

その恐怖を取り去る方法を。

 

おかげで、我々は怯えながら生きるという

辛い生き方を強いられることになりました。

 

けれども人類は賢かった。

 

その恐怖から逃れるための

あの手この手を自力で考え始めたんですね。

 

秦の始皇帝は歴史上最も強大な権力を手にした

王の一人でした。

 

彼は、不老不死の薬を求めて世界中に使者を送りました。

日本にも来たらしい。クラゲを持ち帰ったとか。

けれどもその企みは失敗に終わりました。

その証拠に彼は死んでますから。

 

死の呪縛から逃れるもう一つの方法。

あの世の構築ですね。

 

来世、とか天国とか、浄土とか

呼び方はいろいろですが

要するに死んでもまだその先があるということ。

 

エジプトの王達は壮大な墓を作り

棺にはマスクを被せました。

 

そのマスクはどれもが美しい顔です。

来世では美しく生まれ変われるように願ったわけです。

 

一方東洋を席巻したのが仏教。

仏教が説く悟りの境地がどういうものか

私のようなものにはまるでわかりませんが

死の恐怖などはるかに超越したものだとは想像できます。

 

私、最近仏像にはまっておりまして、

まとまった休みが取れたら京都、奈良方面に

拝観の旅に出かけようと計画しております。

 

中でも拝観したいのがこちら

兵庫、浄土寺の阿弥陀三尊。 (出典:小学館 ニッポンの国宝100♯63)

 

仏師は鎌倉時代の天才、快慶。

仏像だけでなく周りを取り囲むお堂もその世界を表しています。

 

その世界とは

極楽浄土から雲に乗ってやってきた阿弥陀様が

死にゆく人を迎えようとするまさにその瞬間です。

 

う〜ん、まさに崇高そのもの。

死の瞬間にはこんな光景が待っているのでしょうか。

 

こんなお姿に会えるのなら

私も南無阿弥陀仏と唱えたくなりました。

 

死への強い恐怖のおかげで現在の繁栄を得た

ホモサピエンス。

 

その恐怖をこうした文化という形で昇華させてきたわけです。

 

すごいじゃないか。

ホモサピエンス。

 

私ももうしばらくは生きるつもりだし、

生きてる間はその文化を堪能させてもらいますよ。

 

 

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