作品紹介 15 ~版画・流れをまとう~
年賀状なのに、
一番寒い季節の挨拶状なのに、
私の作品は
いよいよ一糸まとわぬ姿になって来た。
否、
風の流れをまとい、
髪の流れをまとい、
そして
少女から大人への流れをまとう。
二次元曲線の
究極の安定美、
円へと向かう
その過程の線の流れには
ヒトだけが持つ美しさがある。
このような曲線を、
なんの違和感もなく受け入れ、
むしろ
得も言われぬ美しさを醸し出す女体。
女性の曲線の美しさ。
それは女性の永遠の宝である。
私は、
だから、
人類初の女性は
卵から生まれてきたのではないかと疑う。
決して男の肋骨からなど生まれはしない。
それ程の美しさがある。
このブログを見に来ていただいているあなた。
あなたは
その美しさを軽く扱いすぎてはいませんか。
あなたは、
その美しさを失ってしまってはいませんか。
ひょうたん作りに挑戦 24 ~腐敗からの脱出・洗浄~
ひょうたんは、
9月26日に水の中にドブ漬けしましたが、
10月13日ですでに17日経過しましたので、
いよいよ洗浄の工程に入ります。
約2週間で
この処理に入ってもいいのですが、
腐敗が進んで、
容器のそばを通るだけで
漏れ出す臭いのくささに
2、3日躊躇していました。
しかし、
このまま放置しておくと
隣近所に迷惑をかけかねませんので、
昨日遂に決行。
この状態を見るだけで、
腐って強烈な臭いを発している様子が
想像されると思います。
取り出すと、
ご覧の通り。
表面の薄皮は、
もう溶け出して自然に脱落する寸前。
中身は完全に腐敗してどろどろになり、
種がその中で
おそらく浮遊しています。
果実の溶けた液と種を
付け根に開けた穴から出しますが、
臭いが手に付くと
しばらくはとれないため、
さすがに私もゴム手袋を使います。
ドロドロで、見るからに臭そう。
しかし、
外の殻は、しっかりと残っていました。
果実が若いと、
この殻も一緒に溶けてしまい、
ひょうたんになりません。
それを心配したのですが、
今回は
何とか無事に3個とも、
ひょうたんの形を保ってくれました。
中の溶解した果実と種を外に出します。
種の大きさと
穴の大きさが
ほとんど同じのため
時々種が穴に詰まりますので、
割り箸等でつつきながら振り出します。
入っているひょうたんの種はこんな形です。
一般的な種とはちょっと変わった
長方形のような形をしています。
このような種が、
一個のひょうたんに
100個やそこらは入っているので、
中の水を出し切ったらまた水を中に入れて、
そしてまた種と一緒に振り出す、
そんな作業を
臭いと闘いながら何回も何回も繰り返しますが、
これが結構面倒。
だから、
今は半分ほどを種を出して、
とりあえず終了。
中に種がたくさん入ったままですが、
果実が腐敗して溶解した液はすべて出しました。
奇麗に洗浄した後の状態はこんな感じです。
これは、いわゆる外殻だけになったひょうたんです。
このまま陰干しにして
中の種は
カラカラになってから出せばいいわけですが、
一回だけの洗浄だと、
最初の腐臭がひょうたんに染み付き、
これが装飾ひょうたんにした後も
なかなかとれないため
しばらくの間は
とても室内には飾れません。
だから、
今度は臭い取りのために
もう一度
水没してもらいます。
中の果肉が、
腐ってすべて出てきていますので、
中は空洞になっており、
水を入れると
今度は容易に沈みます。
この状態で約1週間。
臭いが水に溶けだした頃
再び外へ出して
種出しと洗浄を繰り返しますが、
それが終わると最終段階の乾燥に入ります。
ここまで来たら、
もう出来上がったも同じことですが、
最後の乾燥と
そして仕上げのニス塗りまで
良かったら
もうしばらくお付き合い下さい。
作品紹介 14 ~版画・風のそよぎ~
季節の移ろいが、
奇麗に映える頃となり、
私のブログの話題も
それらを避けて通れなかったため、
しばらく作品紹介をお休みしていましたが、
ここら辺りで
図々しく登場させます。
女性の美しさを描いてきた版画も、
いよいよこの頃から
一糸まとわぬ姿になってきました。
「風のそよぎ」
刷りたての作品を
何枚も重ねて扱ったために、
色が周りに移って
色調が乱れているところはご容赦ください。
刷り直しをすれば
このようにみっともない画像にはならないのですが、
これも
残っている自分の作品。
下半身に
もじゃもじゃと入れてあるものは、
決してあそこではなく、
この年の干支 イノシシ を
余り目立たないようにデザイン化して入れたものです。
芸能人は、
売れなくなると
一枚ずつ服を脱ぎ、
結局最後は裸になってその世界を去る。
しかし
私の版画は、
最後のあがきで
裸になったわけではありません。
女性の美しさは、
突き詰めればラインの美しさであり、
髪でも
体でも
結局このような直接的表現に至ります。
しかし、
正面からの一作目には、
さすがに少し遠慮がありました。
でも、
これから後のいくつかの作品には
初めての裸体を上回った
美しいヒトが登場しますので、
純粋な目で
見ていただければうれしいです。
驚きの朝顔 ~秋空に染まる青~
秋の気配が、
日に日に濃厚になり
あちこちから
紅葉の便りが聞かれるこの頃、
夏の名残りの朝顔が、
名残というには
余りにも冴えた青色をして
いかにも、ここに我あり、と咲いている。
一体
この朝顔は
何という種類なのだろうか。
この朝顔は
空の青を映して、
なおその青よりも濃い。
この朝顔が展開している木は
多分
ピラカンサスだと思われるが、
れっきとした秋の果実である。
その上に、
いかにも夏の装いを
当たり前みたいに展開して、
今が盛りと咲き乱れ、
澄ました顔をしている朝顔。
私は
こんな根性のある朝顔を知らない。
温暖化などと
通俗的な言葉で表現してもらいたくない、
自然に順応する
自然の力。
人が騒がなくても、
自然はしっかりその中で生きている。
ヒト中心の温暖化や、
エコや
モッタイナイなど
素知らぬ顔で澄ましている、
自然の懐は
人が考えるよりはるかに広い。
そろそろ人は
己の傲慢さに気が付かなければならない。
否、
一部のトップは気が付いていて、
民衆をあおり、
商業主義の真っただ中に置き去りにして
自分たちだけ利益を配分しているような、
そんな
近頃の騒ぎである。
愚かな民を率いる
中国共産党と
いくらも変わらない日本の、
恐ろしい体制が見えるような
怖い世になっている。
国民は、
江戸時代のような民衆になってはいけない。
朝顔の青さが、
話の展開で、
こんなにもずれるのは、
少し飲んだ酒のせいかもしれない
最後に
さわやかに、
淋しげに
ここにも夏の名残り。
ボケの枝先で
一休みの黄色いシジミチョウ。
何という名前なのかは知らないが、
迫りくる冬に
対処するため
思案中なのかもしれない。
紫式部 ~何ゆえのこの鮮やかな紫~
富士の裾野に居を構える友から、
写真付きで
秋の便りが届いた。
移ろいゆく季節の中、
ムラサキシキブの実が
奇麗に色づいて来た、とのこと。
余りにも奇麗なので、
お借りしてアップする。
株元から熟れて(色づいて)来るのは、
房もののブドウや、
実をたくさんつけるトウモロコシなどと一緒である。
じきにすべてが
奇麗な紫に代わるであろう、
その変化が見えておもしろい。
良く見ると、
枝も紫色をしているから、
これもまた興味深い。
私は、
ムラサキシキブという名前の植物があることは知っていて、
しかし、
その実物を見たことがなかった頃、
ある会社の玄関前の植え込みに、
この紫色の実を見つけた時、
「あっ、ひょっとしてこれがムラサキシキブ?」
こう思った。
帰って調べてみたら、
それは紛れもなくムラサキシキブ。
実際に見たことのない人にさえ
ムラサキシキブではないかと思わせるほど
強烈な紫の色。
まさにムラサキシキブの名にふさわしい木である。
しかし、
秋の果実はだいたい熟れてくると
赤や黄色や橙色になってくるのに、
ムラサキシキブのこの色は、
いったい何のために
こんなに紫色をしているのだろうか。
ムラサキシキブは
その名前を頂く前は
ムラサキシキミ(紫重実)といわれていたらしい。
シキミ(重実)とは
実が重なってたくさんなる様をいう。
まさにその通りの実のなり方だが、
風流な人に出会え
奇麗な名前を付けてもらえて
本当に良かったね。
正直、
この名前がなければ
株はぼうぼうと広がるだけの
冴えない木である。
花よりも、
木よりも、
その実の美しさ故に、
ムラサキシキブは
己の名前を世に知らしめ、
高貴なイメージを確立している。
色の中で最も高貴な色、
その紫の衣を身につけて
静かに何かを待つムラサキシキブ。
思う人は現れるのだろうか、
一人気をもむ秋である。
この
秋の便りをくれた人に
ありがとうのひとことを贈りたい。











