運命の一日 ~クリスマスも誕生日も正月もなく~
新年から、
湿っぽい話をしたくはないが、
今日は運命の一日だった。
私は、毎年
市が、ある年齢以上の人を対象に行う
無料特定健康診査を受診している。
実は昨年も
10月6日にそれを受診した。
身長・体重に始まり
視力検査や
肝臓等の血液検査、
腎臓などの尿検査、
心臓などの心拍や脳波検査、
その他もろもろ。
その時、
特に申し出て、
大腸がん検査と
肺がん検査を受けたのだが、
10月29日、
検査結果が送られてきて、
あろうことか、
肺がん検査の結果に
驚くべき事が記されていた。
所見 異常あり。 (右肺下野小結節影)
所見あり 要精検・・・・・病気の可能性があります。他の検査方法も含めて、
医療機関にて精密検査を受けて下さい。
私には、
過去にこのような検査結果が出て、
再検査の結果即入院、
そして1年後には帰らぬ人となった部下がいた。
それは、
あっという間の出来事であった。
だけど今、
私がそんなことになると
名古屋でのオフ会も
そして忘年会もクリスマスも、
誕生日も正月もなくなると、
敢えて検査は年明けに伸ばし、
精一杯忘れようとして楽しんできた。
しかし、
一人になると
ふっと、よからぬ考えが脳を支配する。
予約を入れていた再検査の日が、
1月6日今日。
今日までで、
我が家の富士山の
初日の出のイルミネーションも姿を消す運命。
イルミネーションと同じ運命を
自分の命もたどりそうな体を押して、
検査機関へと足を運んだ。
重い足取りである。
東京都立多摩総合医療センター
立派な建物と設備であるが故に、
ここで引導を渡されるのかと思うと、
内心穏やかではない。
そんな心をあざ笑うかのように、
初診の私のために作ってくれた診察券のナンバーが、
444と4のトリプル。
777ならばまだしも、
444なんて。
冗談はやめてくれ、と
案内されたコーナーがここ。
13。
完全にゴルゴダの丘。
でも、
キリストの心境にはとてもなれない。
私には
ここが葬儀場のような気がする。
「よくいらっしゃいました、お待ちしていました。」
そんな声でも掛けられそうな恐ろしげな雰囲気。
予約が入れてあるのだから、
診察は本来すぐにあるらしいのだが、
「救急患者の対応をしていますので、長くお待たせしております。」
真綿で首を絞められているような・・・。
死刑の判決を受けるのは、
早い方がいいのか遅い方がいいのかは分からないが、
なぶり殺しの状態に置かれて、
どんどん気がめいっていく。
そして、診察。
~レントゲン撮影。
~診断結果通告。
恐ろしい一日が過ぎようとしていた。
医者の診断結果の通告
「レントゲンの写真をみると、
確かにあちこちに異常があります。
でも、これらは若い頃の病気の痕跡で、
検査センターの言う結節が
どこのことを言っているのかは
この写真で見る限り分かりません。」
見慣れた自分のレントゲン写真があった。
私は、
自分の胸部の写真ならば、
ヘタな医者よりもよく分かる積りでいる。
どこにも結節などない!
運命の一日はこうして終わった。
冗談じゃない!
医者のお粗末な判断で、
2か月余りにもわたって心配し、
心そこにあらざる状態にして、
何もなかったはないもんだ。
もちろん、
今日判断をしていただいた医者に対する怒りではない。
しかし、検査機関は、
用心のため疑いがあったら検査を勧める、
これは正しい姿勢なのかもしれない。
2か月余りにも亘って、
人知れず心配していた己の心は、
今日一気に氷解した。
良かった~~。
判断が下るまでは、
せめて5年の命を与えてくれ、と
真剣に思ったが、
今回の出来事で、
いつでも逝ける心理状態に
自分を置いていかなければ、
とても平穏な日常は送れないなと、
痛感した次第。
2011年1月6日、
もうほとんど折れそうになる
運命の一日であった。
444。
13。
考え方によっては
大吉の日だったのだろうか。
名古屋の錦で酒飲む人は、
新潟の焼酎 のブログにも
是非顔を出して下さい。
新潟の焼酎! ~「Hasagi」とわんこ風船マジック~
嘘のような本当の話。
うまいお酒は、
当然おいしい米どころでつくられ、
その地域の農水産物が
その酒の肴にぴったりと合い、
だから、うまいお酒は、
その地域で飲むのが一番おいしい飲み方であると、
今まで信じて疑わなかった。
そして
南の焼酎は
一帯で獲れる魚にあった味に進化して行ったはずだった。
ところが先日、
とんでもないところで焼酎が作られていることを知った。
まず、現物を見ていただこう。
「稲架木」とかいて「はさぎ」と読むらしい。
普通、
刈りとった稲を田んぼで乾燥させるための木組みを
はさぎとかはざぎとかいうのは聞いたことがあるが、
調べてみると
稲架木とは
臨時の、稲を架ける木組みではなく、
本当に田んぼのあぜ道に植えてある木らしい。
稲架木並木なんて言い方もするくらい、
たくさん並べて植えてある。
その名前を付けた焼酎。
米どころで作られた焼酎。
私が焼酎を好きであると知っている方が送ってくださったのだが、
さて北国の焼酎なんて、
今まで見たことも聞いたこともなかった。
先のブログで、
12月30日 ~レア焼酎来る!~ で書いた通り、
ちょうど今我が家には珍しい焼酎が揃っている。
その中の、度数が同じ「伊佐美」と飲み比べてみた。
これは、
言ってみれば本場鹿児島の焼酎である。
新潟の焼酎がナンボのものぞと飲んでみて驚いた。
飲みやすいことこの上ない。
伊佐美だって、
普通の芋焼酎に比べれば
相当飲みやすく作られているが、
稲架木は、
米と芋の違いこそあれ、
全く焼酎であることを感じさせない味である。
先のブログでは、
私は焼酎においしさがあるとは思わないが、
飲みやすさの差はある、と書いた。
確かに分かる飲みやすさであった。
でも、
余り飲みやすさにこだわると、
焼酎の特性が薄れて、
梅酒用や
カクテルなどに使われる
合成焼酎となんら変わらなくなる。
焼酎には
安いが故にそんな危うさが潜んでいる。
それにしても、
鹿児島で生まれ育ち、
芋焼酎を飲んできた私には
激しい衝撃であった、
皆さんも一度試して見られたらよかろう。
あるいはこれから、
うまい焼酎と言うものが生まれてくるのかもしれない。
今日は
未知の焼酎との出合いの話でした。
ここから先は
誰でも出入り自由ですが、
内容的には
わんこしゃま専用。
ここだけのマジック!
風船、増やしましたよ!
部屋へ見に行くと
消えてしまいます。
WEIN客専用マジック。
お粗末でした。
明治神宮初詣 ~驚きの賽銭受け~
過去に、
「驚きの・・・」という表現で
何度か話題を提供しましたが、
今回も、
明治神宮に初詣に行ったことのない人にとっては
きっと「驚きの・・」に匹敵すると思う。
いつもは人出が少し少なくなる3日に行くのですが、
近所のお寺と神社で
一応初詣は済ませているので、
今年はのんびり構えて
今日4日に、
明治神宮の初詣に行ってきました。
長い参道を通り、
最後の鳥居をくぐればもうすぐ。
鳥居の上には、
この神社が皇統のお宮であることの印
「菊の御紋」が、
緑青を浮かして歴史を物語ります。
最後の南神門をくぐれば、
真正面が本殿。
南神門には、
多分畳3畳ほどはあろうかと思われるような
大きな大きな絵馬がかかっています。
これも
位の象徴なのでしょうか。
南神門を抜けると、
そこには本殿がどっしりと構えます。
元日や2日に初もうでに来ると、
人ごみのために参道入り口でバタッととまり、
もう一歩も動きません。
あとは5分おきくらいに数歩ずつ前進し、
本殿に到着するのに
ヘタをすると2時間くらいはかかります。
だから、
自由人になってからは
そんな日は避けて
ゆっくりと初詣を楽しみます。
さて、
そこで、
その人ごみに対応するために、
賽銭箱は
備え付けのものでは何の足しにもならず、
非常に大きな
箱とは言えぬお化けのような
驚きの賽銭箱ならぬ「賽銭受け」が登場します。
正面でお賽銭を投げいれ、
写真をとるため横に移動します。
横からの全景をご覧に入れましょう。
これ!
これって、
賽銭箱と言うよりも、
賽銭受け。
元日と2日、3日には
この中に硬貨がうずたかく積み重なり、
万札が風に舞います。
正月だけで億の浄財がこの神社に貢がれます。
それにしても
でかいというか広いと言うか。
あの本殿に一番近い場所まで、
思いっきり投げる人も
きっといるのだろうな。
どうですか、
驚きましたか。
今日の驚きはこれで終わり。
ここからは
しばしの考察。
さて、
皆さんは、
一体何を祈願しているのでしょうか。
何年も何十年も
毎年毎年同じことを繰り返し、
そして
ご利益(ごりやく)等がないことは、
百も承知のはずの民衆が、
それでも習慣的に訪れる。
日本のこの初詣は、
一体何なのだろう。
自分の家は仏教で先祖をまつり、
初詣は神社に、
結婚式は教会で、
死んだらまた仏教の世話になる。
この節操のなさは
いったい何なのだろう。
正月が来るたびに
そんなことを考えながら、
それでも毎年、
人ごみの中の一人になっている私がいます。
初めての挑戦 ~ラジコンヘリ初飛行、そして・・・~
去年暮れ、
西武球場であったフリーマーケットで購入した
ラジコンのヘリコプター。
~こんなの買った~ で紹介しましたが、
息子夫婦が帰って来た正月2日に
初めてのフライト挑戦。
なにせ、
今まで飛行機などは
全く扱ったことがないから、
どの程度のレバーの動きで、
どのように飛行するのか
皆目見当がつかない。
だから、
とりあえず自宅前の道路で
挑戦してみた。
この道路は
通学路になっているのだが、
正月は
人もクルマも
ほとんど通らない。
向こう側でコントローラーを持つのが息子。
影が映っているのが私で、
最初はカメラマン。
息子も初めてだけど、
私より感覚が優れているだろうと言うことで、
とりあえず最初は任せてみた。
うぃ~ん!と回転が始まり
思いのほか軽く浮き上がる。
でも、
上昇・下降・前進・後退・方向転換など、
操作には全く不慣れで、
どこに飛んでいくのかヘリに聞いてくれ、位の無責任操縦。
狭い場所だから、
いきなり向かいの家のコンクリート塀に衝突。
おいおい、壊すなよ!
息子にとっては
ヘリは他人のもの。
私にとっては自分のもの。
カメラどころではない。
慣れる前に、
電柱にぶつかって落ちるわ、
ゆっくり下降できずにそのまま墜落するわ、
満身創痍になって
それでも何とか壊れずに頑張ったが、
それもこれまで。
この直後、
向かいの家の敷地の中に飛んでいき、
あわてて降ろそうとレバーを下げたら、
そのまま墜落。
がしゃがしゃっ!と
門扉に絡まって横倒しになり、
テールローターブレード破損。
スタビライザーバー変形。
ものの3分も経たないうちに部品交換と相成った。
これじゃ息子に壊される。
せめてその前に
一回くらいは自分でも飛ばそうと、
選手交代。
30㎝位浮かせては、
また着陸させ、
低いところでとりあえず練習を積んでから、
少し高く飛ばしたら、
その高さの感覚が全く分からず、
気づいたら、こんなところまで上がっていた。
住宅街だから、
電線はあるし、
電柱はあるし、
道路標識はあるし、
少し移動すると他人の敷地。
ましてやこんなに高く上がってしまったヘリを、
電線に絡まないように降ろすことなどできはしない。
あとの結果は、
おそらく皆さんの想像通り。
電線に接触してそのまま墜落、
念入りに
この家の屋根の角に当たって、
跳ねた勢いで
今度は道路標識に激突。
そしてそのまま落下。
メインローターブレード損傷。
スタビライザーバー脱落・変形。
後部水平翼と垂直翼変形。
ヘリコプターなんて、
上昇させるのは簡単だけど、
方向転換させたり、
ゆっくり降ろすのが難しい。
分かった時には遅かった。
クルマも、
走らせるのはアクセルを踏みさえすればいいのだから、
いとも簡単。
でも、方向転換したり、
上手に止まるのが難しい。
だから事故が起こる。
ヘリコプターは
事故が起こった時は
墜落しかないから、
ハイそれまでよ、で、
2日の初飛行はあえなく終りになりました。
ただ、損傷部分は
修理・調整してもとにもどしたので、
また飛べる状態にはなっているが、
今度はグラウンドのような
広いところでやるつもり。
今年のヘリコプターフライト占いの結果は、
「運気上昇著しいが、
自分を見失わないように
充分用心すること。」
こんな結果になったと勝手に判断。
今年一年、
また
よろしくお願いいたします。
我が家のおせち料理と雑煮 ~質素を常として~
デパートや、
有名料亭のおせち料理が
何万円もする値段で売り出されているのを見て、
長い人生の大半を
食品関係に従事してきたものとしては、
どうしても納得がいかない。
5万円とか15万円とかのおせち料理でも、
食材を見ただけで原価が分かる。
どんなエビが入ろうと、
どんな牛肉が入ろうと、
市場での原価は知れている。
料理の腕の値段だと言われても、
所詮おせちは長持ちするように作られた料理で、
味付けなんて
家庭で作るものと大して変わらない。
買う人がいるから売り出されるのであって、
それに文句を言うものではないが、
何でも金に物を言わせる
そんな愛情のない世界は、
どこかが間違っている。
一人の人のお腹を満たす量なんて、
これだけあれば充分。
我が家の正月の食事。
これでお雑煮をお代わりすれば、
おもちが入っているので
充分お腹は満たされる。
メインの更には、
蒲鉾、昆布巻き、イクラ、田作り、八幡巻き、ワカサギなど少しずつ。
有頭エビはめでたさ故にでてくるが、
ちょっと食べにくいのが難。
栗きんとんと黒豆の小皿は甘いので
酒飲みには苦手だが、
少しだけだから何とか食べる。
カズノコは私の大好物で、
酒の肴にぴったり。
3キロまとめ買いをしてある。
初日のお雑煮はおすましタイプ。
中身はどこの家のものとも
余り変わりはない。
この正月料理の原価は、
約1,300円。
正月相場の有頭エビがその約半分を占める。
どんなに頑張っても、
数万円や10数万円のおせちなどできはしない。
有名料亭やデパートは
相も変わらずぼったくり商売をしているとしか
私には思えない。
私の家族は、
5・6年に一度の割で
転勤により神戸、広島、福岡、名古屋、東京と
各地区のお雑煮を味わってきた。
だから我が家には
決まった味の雑煮はない。
2日目の雑煮はみそ汁タイプ。
内容物は初日と同じ。
雑煮のお代わりをすると、
これだけでも朝ごはんとしては充分。
これで178センチ80キロの体が満たされるのに、
何を欲張って、
そして金に物を言わせて
数万円もするおせちなどを買うのだろうか。
母親が料理を作らなくなると、
もう存在価値がなく、
崩壊しかない。
何かが失われているこの世知辛い世に、
一抹の不安がよぎる。
幸多かれと祈らずにはおれない。
























