ステンレスについて1/2 ~AZUMAに見る最高級品~
私が所属する
日本モロッコ協会の活動の中で
お知り合いになった
「株式会社アヅマ」の
代表取締役
牧野 均 氏。
その
「AZUMA」が開催する
展示会の招待状を頂いたので、
先日行ってみました。
ポスターに
「最高の時に寄り添うステンレスの逸品」 とあります。
その下には、
「Imperial 18-18」 と書かれています。
この
18-18という数字を
覚えておいてください。
「ジュエリーのような魅惑の輝き」
ステンレスの皇帝~インペリアルシリーズ~。
ここにも
18-18。
このような
見事な輝きの
ディナーセットが
たくさん陳列されています。
重量感があり、
冷たい感じで輝くもの。
そんなものが好きな私は
見入ってしまいます。
一本のフォークやナイフに
わずか1,000円~3,000円を出せば、
お釣りがきますが、
入手したら、
きっと皆さんは
その素晴らしさに
驚かれると思います。
見ているだけでは
決してわかりません。
使ってみて
初めてわかる良さなのです。
その良さは
後半に説明しますが、
とりあえず、
展示会で展示されている
他のものもご紹介しておきます。
金製だってあるのです。
純銀のセットもあります。
これほどのものになると
ちょっと一般人には手が出せません。
「ラッキーウッド」の名品。
「シドニー」。
何しろ
純銀なのだから、
これだけ揃うとこのくらいの値段はするでしょう。
でも、
とても買えません。
この機械は、
スプーンやフォークに
希望の名前を刻んでくれる機械。
「イニシャルカービング」。
その名の通りに、
英字でも
漢字でも
イニシャルを
あっという間に入れてくれます。
本当は
一行350円の価格が提示してありますが、
私は
牧野社長のご好意で、
客でもないのに
ラッキーウッドの
アイスクリームスプーンに
名前を彫って
プレゼントして頂きました。
このような感じになります。
これでもう
このスプーンは私専用。
牧野社長は
心配りが細かくて、
妻の分まで作っていただきました。
「持って帰ってやりなさい」。
社長のやさしい気遣いに
大感謝!
さて、
ステンレスの話題に入ります。
このフォークは
何年も前にいただいたものですが、
同じように名前入り。
名前より、
ここを見てください。
18-18
ステンレス
AZUMA
ちなみに
アズマを表す
コーポレートマークの
AZUMAの上に乗っているのは
スプーンを横から見た図形。
これは創業時、
食器専門の企業として
事業をスタートしたことに由来します。
このマークには
「衣食住」を上質なスプーンのように光り輝くものにしたいという
AZUMAの想い・願いが表現されています。
自分の人生、生活を
豊かなものにする。
そんなお手伝いが、
1本のスプーンやフォークでできることを
これからお話したいと思いますが、
長くなりましたので、
ステンレス18-18の説明は、
次回に回します。
興味のある方は
是非またおいでください。
知識が付けば、
自分の生活の
満足感がずいぶん変わります。
コナミスポーツ有志新年会 ~秋川渓谷・黒茶屋に遊ぶ~
健康促進のため、
コナミスポーツクラブで
水泳をしている仲間が集まり、
新年会を開催。
スポーツクラブが、
小平にあるのだから、
新年会も
その近くで開催されるのだろうと思っていたら、
幹事の方の
お付き合いがめっぽう広くて、
行ったこともないところでの開催となった。
これはもう
新年会というより、
冬の旅。
場所は
秋川渓谷にある
「黒茶屋」。
JR拝島駅ホームで待ち合わせ。
こんなところで待ち合わせて、
当日が
寒風吹きすさぶ天気だったら、
どうなったことやらと、
思わず心配になるのだが、
幹事はそんなことは超越している。
そこで改札を出るかというと、
そうではない。
JR五日市線に乗り替え、
終点の
武蔵五日市駅まで行く。
会場は、
さらにそこから、
普通はバスで行くらしいのだが、
何しろ
健康づくりのために
スポーツクラブに通ってきている面々、
元気さでは
人には負けない。
景色もいい田舎道だし、
秋川沿いに
歩いて行こうということになった。
ゆっくり歩いて
30分もあれば充分なところなのだが、
幸い当日は風もなく、
陽射しが暖かい小春日和、
のんびりと
景色を楽しみながら
語らいの時を持って歩く。
のんびりと歩きますが、
田舎のことゆえ、
人に出合わない。
こうして歩いていると、
一目でよそ者だとわかる。
途中にあった
神社にお参りしていきます。
コンクリートの
白い鳥居がまぶしい。
鳥居と言えば
以前は木でできていて
当たり前だったのだが、
今では、
木の鳥居なんて言うのは、
明治神宮や
伊勢神宮くらいのものなのだろうか。
さて、
この神社の名前は、
「阿伎留神社」。
「あきる神社」と読みます。
そう、
あきる野市の「あきる」のもとはこれ。
この地域の人しか
まともには読めないかもしれないと、
阿伎留野市を
今はやりのひらがなに置き換えた。
そんな安易な考えが
昔の地名を
どんどんん退化させていく。
みんな
それぞれが願掛け。
神様は
お賽銭が多かろうと少なかろうと、
みんなに平等。
誰の願いも聞いてくれない。
分かっていても、
何もしないと悪いことが起こりそうなので、
とりあえずお賽銭を入れるのは、
日本人の得意な
全方位外交。
秋川沿いに
ゆっくりと歩きます。
写真右上の一団が
我がグループ。
それ以外に
歩いている人なんて
誰もいません。
川の水は
清流。
放流されたアユが
岩陰を泳ぎます。
いよいよ
目的地に到着。
「黒茶屋」とは
何故の名前なのかは聞き漏らしましたが、
昔づくりのたたずまいからは
黒子のような
目立たないけれど
怪しい雰囲気が漂います。
田舎のことゆえ、
入ったらすぐに玄関なんてことはありません。
やっと入り口に着いたら、
その横では
大きな水車が回っています。
「ごとごとごっとん ごとごとごっとん」とまわるのは、
米つきなどをしている時の
水車の表現。
これがただ
水の重さで
音もなく回っています。
とりあえず。
ここで記念撮影。
全部で7人なのですが、
撮影者が一人欠けています。
筆者は真ん中。
玄関を入ると、
稲ワラで綺麗に作った
尾付きの亀が迎えてくれます。
「鶴は千年、亀は万年」。
長生きの象徴として
よく使われる言葉だが、
現実的には、
鶴は約70年、
亀は約150年だといわれる。
さて、
本題の新年会。
こんな部屋で始まりました。
秋口ならば
窓の外のカエデが
真っ赤なもみじ葉を見せてくれるのでしょうが、
あいにくの冬。
でも
自然がいっぱい。
テーブルの上には、
竹かごに小さな料理がいろいろ。
日本料理が
世界遺産いなったばかりだが、
日本の料理は
料理そのもののおいしさだけでなく、
雰囲気作りがまた手が込んでいる。
いかにも女性が喜びそうな盛り付け。
私と言えば
一目見るなり、
「酒の肴にはちょうど良い」、
そう思った。
いつもなら
「鮎」が出るところだが、
時期が時期だけに
今日は
「あまご」。
鮎などは
そうそう食べないので、
鮎とアマゴの味の差なんて
私にはわからない。
魚であれば、
酒のあてにはなる。
新年会が始まり、
順番にいろいろな料理が運ばれてきたのだが、
酒を飲みだすと
写真どころではない。
だから、
大体の料理を
まとめてご覧いただきましょう。
最後には
ご飯かうどん。
秋川渓谷の
森の中の黒茶屋で
おいしいおいしいと
舌鼓を打ちながら、
新年会は、
楽しく終了。
帰りはバスで帰ろうということで、
バスの時刻表を見たところ、
次のバスが来るまでに
40分もある。
待っている間に
歩いて帰れば駅に着く。
みんな元気ですから、
決断は早い。
ゆっくりと
午後の日差しを浴びながら、
武蔵五日市駅へ。
一日がかりの新年会の話でした。
国分寺・富士本町からの富士 ~爽やかな朝の景色~
富士山は、
やはり日本一の山。
富士山から、
直線距離にして、
約75kmも離れている
国分寺市からも
晴れた日は
富士山が良く見える。
国分寺市は
ほとんどが小高い台地。
高い家屋が建つ前は、
きっとどこからでも
富士山が見えたのだろうと思う。
今では、
富士に向かって走る
道路からしか見えなくなっているが、
見えた名残の名前が
残っている。
その名も
富士本町。
ここから
少し下れば国立市で、
すぐに私の良く利用する
国立駅に着く。
この富士山は
朝の9:36に撮影した姿。
下れば
富士は見えなくなるが、
高架になった国立駅のホームからは
同じように良く見える。
国立駅から見た富士山。
これは、14:14の撮影のため、
南からの太陽になってしまって
冠雪を確認できないが、
その雄姿は変わらない。
硬い話が続きましたので、
ちょっと
筆者息抜きの
富士の山でした。
原発から逃れた俵万智さんのその後 ~石垣島で歌う命の輝き~
俵万智さんの
歌集が発売されている。
341首を収めた
第5歌集。
「オレがマリオ 俵万智」 文芸春秋 1,313円
東日本大震災後に
仙台市から石垣島に移り住んだ
俵万智さん。
小学生の子供を持つ
シングルマザーの歌人は、
原発事故発生の緊急時に
必死で小さな命を救おうと、
ただそれだけで行動する。
放射能汚染が重くのしかかってきた。
いとこの勧めもあり
着の身着のまま、
息子を連れて仙台を離れる決心をする。
「子を連れて西へ西へと逃げてゆく愚かな母と言うならば言え」
こう歌ったら、
ほとんどの人が
たくさんの励ましをくれたのだが、
中にはこう人もいたらしい。
「行ける人はいいね」
「もう帰ってこなくていい」
自分の決断力・実行力のなさを棚に上げて、
こんなひがみ根性丸出しの親もいる。
こんな親に育てられて
大量被爆し、
10年後20年後に
取り返しのつかない病を発症するかもしれない
子供こそ哀れ。
国や東電は
「直ちには健康に影響はない」 と言うけれど、
後からだって影響が出たら困るんです。
だって子供は
まだ恋もしたことがないのですよ。
「まだ恋も知らぬ我が子を思う時『直ちには』とは意味なき言葉」
この時のことを書いた
私のブログは
次のアドレス。
まだお読みでない方は
是非目を通してみてください。
そうして
自然豊かな石垣島に住み着いた
俵万智さん親子。
その後の歌は
喜びに満ちている。
「オヒルギの花ぼとぼとと落ちる午後 無言の川をカヤックで行く」
「シュノーケリングした日は思う人間は地球の上半分の生き物」
「ぬらぬらのしましまの棒縦に伸びエラブウミヘビ息つぎをせり」
海で魚を取って調理し、
道端の草をちぎって食べる。
風も雨も
半端ではないところで、
自然に対する謙虚さも学ぶ。
「『オレが今マリオなんだよ』島に来て子はゲーム機に触れなくなりぬ」
海辺や森を駆け回っている子供に
ゲーム機は要らない。
「縁側に並んでスイカを食べているぷぷぷぷぷっと我が子島の子」
口を尖らし
スイカの種を飛ばしている
子供たちの姿が
目の前に浮かびます。
家族間の
垣根が低い地域で、
息子も
近所の子らと
兄弟のように過ごす。
自分が
用事があって家を空ける時は
近所の人が
ごく自然に
子供を預かってくれる、
そんな人情の厚い石垣島から、
俵万智さんの
命の輝きの歌が聞こえる。
放射能まみれの中で
子供を道連れにして生きている親には、
是非読んでほしい歌集です。
初春花形歌舞伎 ~市川海老蔵・「壽三升景清」~
昨年暮れに
東京都民対象の
歌舞伎観覧券半額販売に応募したところ、
またしても当選し、
昨日
見に行ってきました。
通し狂言
「壽三升景清」
通し狂言とは、
歌舞伎などで、一つの狂言を序幕から大切(おおぎり)まで
全幕通して上演することを言います。
だから、
これについていえば
幕間が
第一回目30分、
第二回目25分の
2回あります。
私が行った午前の部は、
11時開演で
終了が14時半ごろ。
主人公景清は
この人。
市川海老蔵。
場所は
新橋演舞場。
新年初めての歌舞伎で、
役者顔見世を兼ねているので、
人気も高い。
入り口には、
祝い酒の樽が
6x6の36個も積まれ、
新春ムードを盛り上げます。
中に入ると
景清の大きな祝い羽子板。
正月の羽子板は、
本来の遊び道具から離れて、
もうこんなところでしか
生き残っていない。
会場内は
海老蔵の名前と
祝いの海老を兼ねてか、
海老のかしらのデザインの幕。
「壽三升景清」
読み方は、
「ことぶきさんしょうかげきよ」ではなく、
「ことほいでみますかげきよ」。
参考までに延べますと、
「三升」は「みます」。
そして
「三升(みます・三つのマス」は
市川家の家紋。
舞台上にかかっている
提灯の模様をご覧ください。
赤い三重になった四角、
それが
三つの升を表します。
壽三升景清は
言ってみれば
祝いながら海老蔵を見ます「景清」の物語、という程度に
解釈できるかもしれません。
大きなめでたい
「伊勢海老」と
「市川海老蔵」と、
そして
海老蔵の家紋
「三升(みます)」。
ストーリーを
簡単に述べますと、
中国の伝説上の武将である
関羽の勇壮を得た景清が、
その無敵の力を示したのち、
都へ乗り込んで
絶世の傾城(惚れると城を傾けるほどの美女)である
阿古屋をめとり、
源氏随一の知恵者である重忠と対面、
最後は御仏の世界に入って
悟りの境地に至る。
というような筋書き。
その
最後の
御仏の世界に入るときの舞台模様。
このシーンは、
第三幕が上がって
わずか20分程度の時間でしたが、
顔中に
白や赤や青の
意味深なデザインをした
歌舞伎化粧とは違い、
登場人物が
じつに綺麗で、
多分観客みんなの脳裏に
焼き付いただろうと思います。
新春の
初めての歌舞伎。
素晴らしい演出でした。
(歌舞伎上演中は、一般入場者の写真撮影は禁止のため、
ブログの舞台写真3枚は、写真撮影を許可された人が
ネット上に公開した写真をお借りしています)











































