わたしはがんになってからの10年間で一番重きを置いたことが“自分を信じること”。

 

“自分を信じる”とは、自分の身体と心、即ち生き方を信じることです。

 

わたしはうつ病やがんになるまでの何十年もの間、身体や心がもうダメだと悲鳴を上げているにも関わらず、それに鞭打って働かせてきました。

 

その結果、身体も心もボロボロになってうつ病やがんを発症したのだと思っています。

 

つまり、私は自分の身体と心へひどい仕打ちをしてしまったことに気付き、ボロボロにしてしまったこと、そして手術や抗がん剤でさらにダメージを与えてしまったことに対するお詫びの気持ち、そんなにまでしたにも関わらずまだ機能してくれている感謝や慈しみの気持ちを一番大切にしたのです。

 

そして、その身体や心が元気に戻ってくれることを願い、それを自分の行動に現そうと決めて、体や心に与える負担をできる限り少なくするために生き方を変えました。

 

つまり私のやろうとしたことは自分への“信頼回復”なのです。

 

なので、食事療法や運動、お手当て、などもすべて病気治しではなく、信頼を回復するための手段でした。

 

解りやすく言えば、身体や心に与えた借金をきちんと返済したうえで、貯金を増やそうと思ったのです。

 

そして貯金の残高がある程度まで行ったときに、病は治るというイメージをしました。

 

しかし、周りを見るとほとんどの人が病気治しで、借金も返していないのに変わらないとか、まだ良くならないなどと言って不平不満を言っているのです。

 

銀行が貯金もない人、ましてや借金がある人にお金を貸すはずがないことは、誰にでもわかるはずなのに・・・・

 

世の中、そんなに甘くはないのではないでしょうか?

 

それなので私は“信頼を回復する“という気持ちが、苦境になったときに一番大切だと思うのです。

 

つまり、病気になったり苦難に陥ったりしたことは、それまでの自分の身体と心の使い方に問題があり借金を背負ったということ。

 

だからこそ、その体や心に背負わせてしまった借金をしっかり返したうえで、貯金が貯まった時に必ず良くなると信じ行動するのです。

 

それこそが本当の意味での“自分を信じる”ということではないのでしょうか?

 

だからこそ、1章で書いたように常識より自分の心を大切にして、2章で書いたように新しい自分の価値観を見出す必要があるのです。

 

 

♪゜・*:.。. .。.:*・♪゜・*:.。. .。.:*・♪゜・*:.。. .。.:*・♪゜・*:.。. .。.:*・

 

以前にもお伝えしたように緑内障での視野欠損が進み、PCやスマホが見え辛くなってきたので、今年からこれまで出版した著書の内容をアップしています。。

 

先ずは食道がんになって10年経過したことを機に書いた「自分らしい今を」から

 

Amazonでも購入できます。:

 

 

 

 

 


私は癌になってから出来るかぎり主体性を持って生きるようにしてきました。

私の思う主体性とは〝周りの状況や環境にとらわれずに自分の意思で選択をしてその結果に自分で責任をもつこと”です。

私は癌になる前も主体的に生きてきたつもりでした。

しかし、どうして癌になったのか?を考えたとき本来の自分の意思とは違った選択をしてきたことに気づいたのです。

それまでの私は仕事をして給料を貰う代わりに、自分の意志にそぐわない事もやってきて、それは会社の指示だからとか家族のためだとか言って責任を回避していました

自分の生き方に悔いが残らないようにするには、何かの為ではなく自分の為という選択をしなければいけないと思い、どんなことでも「自分で決める」ことにし、決めたことは実践、実行する覚悟をしました。

そして最初に決断したのが「生き方を変える」ことでした。

しかし一言で生き方を変えるといっても何をどう変えればいいのか解らなかったので、まずは「捨てる」ことから始めました。

決断とは決めて断つと書きますが、何かを決めるには何かを断たなければやることが増えるばかりで余計に負荷がかかってしまいます。

それなので私は今までのライフスタイルや考え方をいったん白紙に戻して、今までとは違う行動をしたり、考えたりすることにしたのです。

会社を辞めたのも今までの人の流れを一旦断つためです。

人付き合いや人間関係も残っているとそれを頼ってしまい主体的に生きられなくなってしまうと思いました。

今までの自分を知っている人は、当たり前の事ですが以前の織田として接してきます。

すると、いくら自分の意志で選択をしようとしても流されてしまうのです。

同じ環境にいると人はなかなか変われないのです。

というより、変わりたいと言いながら本当は変わりたくないから環境や人間関係は変えないのだと思います。

どうしてそうなってしまうか?

私は自分の意志で選択はするが責任は自分に環境や人のせいにできるからではないのでしょうか?

振り返ってみると私もサラリーマン時代はこれだったなぁとつくづく感じました。

それは、主体的ではなく、自主的だったのですね。

それなので今私の周りにいる人で以前の私を知っている人は学生時代親しかった友人ごくわずかと、最近FBなので縁が復活した人がわずかにいるだけです。

それなのに今これだけ多くの人に支えられて生きていられるのは、自分の言動に責任をもち、結果を1からではなく0から積み上げてきたからだと思います。

覚悟(悟り目覚める)⇒決断(決めて断つ)⇒自主的に行動⇒継続または変化⇒結果(責任を取る)⇒信頼というプロセスこそが主体的に生きるということではないのでしょうか?

主体的か自主的かの違いは、〝1”からの決断か〝0”からの決断か、そして自分が全責任を負うという要素が含まれているか否か違いのような気がします。

 

 

♪゜・*:.。. .。.:*・♪゜・*:.。. .。.:*・♪゜・*:.。. .。.:*・♪゜・*:.。. .。.:*・

 

以前にもお伝えしたように緑内障での視野欠損が進み、PCやスマホが見え辛くなってきたので、今年からこれまで出版した著書の内容をアップしています。。

 

先ずは食道がんになって10年経過したことを機に書いた「自分らしい今を」から

 

Amazonでも購入できます。:

 

 

 

 

 

 

唐突ですが、〝生きている意味”なんて考えたことありますか?

私たちの身の回りで起こることにはすべて〝意味”があります。

なんかよく聞く言葉ですね。

何を隠そう私もそう思っていました。

私の場合、がんになった意味をずっと探そうと思っていましたから。

しかし、今はちょっと違った考え方をしています。

起こった物事自体には意味がないのでは?と

私は”意味”とは「意向の味」

意向とは心の向かう方向であり、どうしようかという意志

起こった出来事に対して自分がどこに向かって行くかという意志をもつこと。

そしてその結果、その出来事に対してどんな味を付けるか?だと思うのです。

例えば、私がガンになったこと自体には意味はありません。

私の場合、がんになったことで死ぬことを恐れるのではなく生きる方向に向かうと決め、がんになったことに対して悪いのではなく〝良かった”という味付けをしようとしました。

そして今はその通りの人生を送っているのが現実です。

つまり、〝意味”とはあるものではなく、自分自身がどう生きるかによって創り出すものだと思うのです。

したがって、”意味”なんてものはない。

意味を探している間は自分の向かう方向が決まっていないから、その出来事に対して味をつけることなんてできっこないのでは?

生まれてきた意味、生きる意味、人生の意味、病気になった意味・・・・・

そんなものはありはしない。

意味を考えるより、まずはどんな素材でどんな味付けをして、どんな料理を作るかを決め、調理を始めることが大切だと思うのです。
 

思った通りの味にならなければ、素材や調味料を変えてまた作ってみればいい。


料理でいえば「あー美味しい料理だった」、人生でいえば「あー良い人生だった」と箸をおけるという結果こそが“意味”だと思う。

 

♪゜・*:.。. .。.:*・♪゜・*:.。. .。.:*・♪゜・*:.。. .。.:*・♪゜・*:.。. .。.:*・

 

以前にもお伝えしたように緑内障での視野欠損が進み、PCやスマホが見え辛くなってきたので、今年からこれまで出版した著書の内容をアップしています。。

 

先ずは食道がんになって10年経過したことを機に書いた「自分らしい今を」から

 

Amazonでも購入できます。:

 

 

 

 

 

 

行動を起こそうとするときには必ず動機というものがあります。

 

みなさん、この動機にプラスのものとマイナスのものがあることを知っていますか?

 

マイナスの動機とは否定が根底にあるもので、プラスの動機は肯定が根底にあるものです。

 

そして、たとえ同じことをやったとしても、この動機の違いで日々の心情はもちろん結果も大きく変わってきます。

 

わたしもがんを治そうと思ったときに最初はマイナスの動機であれこらやっていました。

 

具体的にいうと、がんの恐怖から逃れたりそれと闘ったりと根底に“否定”があったのです。

 

それがあると、例えば生き方を変えるにしても、食事療法をするにしても根底には「がんから逃れるためにやっている」という恐怖や怒りといった負の感情が芽生えてしまいます。

 

どんな行動をしていても、顔をこわばらせて必死の形相だったり、氷のように冷たい表情だったりなんて人の心当りないですか?

 

また、貴方はそのような人といっしょにいたいですか?

 

たぶん、あまり関わりたくないと思うのではないでしょうか?

 

そんな人の根底にあるのがこのマイナスの動機で、表面に出てくる負の感情が自分自身を緊張状態に追い込み、人を遠ざけ孤立し状況をさらによくない状態にしてしまうのです。

 

がんになった最初の頃の私もまさしくそうなっていたと思います。

 

でも、それは当たり前のこと。

最初はそこからでいいのです。

 

ある時わたしは「それではやっていることは違いますが、その心はがんになる前と同じではないか?」と思うようになりました。

 

そして、いったい何のためになっているのだろうか?と。

 

そこで原点に返ってみると、そこには人工呼吸器につながれていた時に感じていた「早く元気になって笑顔で幸せに暮らしたい!」という思いがありました。

 

それなのに、常にがんに勝つことだけを目標にして必死の形相になって日々をおくっていてそこに行けるのだろうか?と思ったのです。

 

何かと闘ったり、何から逃げたりするのではなく、幸せになるための日々を過ごそうと決めました。

 

それこそが“プラスの動機”なのです。

 

つまり、マイナスの動機は現実から逃げたり、そのために何かと闘ったりするための手段としての行動となり、プラスの動機とは自分が望むもの、即ち幸せを得るための手段としての行動となります。

 

そして動機を変えてから、必死の形相でやっていたことから徐々に楽しむ心や感謝の心が湧いてくるようになったのです。

 

「この食事を食べないと死んでしまうかもしれない!」から「この食事が私を幸せに導いてくれる、有難いなぁ~」と。

 

それまでやっていた食事療法はあれを食べなければいけない、これを食べてはいけないという食べ物の療法でしたが、本来は読んで字のごとく“食べること”の療法だということもわかりました。

 

つまり、治すものは外にあるのではなく、自分の中にあるということなのです。

 

病気治しに限らず、物事を良くする行動の根底にあるべきものこそが、笑顔を湧き起こし幸せを引き寄せる“プラスの動機”なのではないでしょうか。

 

 

 

♪゜・*:.。. .。.:*・♪゜・*:.。. .。.:*・♪゜・*:.。. .。.:*・♪゜・*:.。. .。.:*・

 

以前にもお伝えしたように緑内障での視野欠損が進み、PCやスマホが見え辛くなってきたので、今年からこれまで出版した著書の内容をアップしています。。

 

先ずは食道がんになって10年経過したことを機に書いた「自分らしい今を」から

 

Amazonでも購入できます。:

 

 

 

 

 

1月から【お米カフェ東郷食守族】で開催している『視覚障がい者交流会』が、昨日の中日新聞 朝刊 なごや東版に記事が掲載されました。




3年前、このカフェの開店準備中のときに急な緑内障悪化で、私(ノーマカフェ理事長)が視覚障がい者になり「この先どうなってしまうのか?」不安だったとき、同じ視覚障がい者の皆さんとの出逢いや交流が大きな希望となったことで今もカフェの営業を続けながら楽しく過ごせています。

そんななか、東郷町で暮らす視覚障がい者の方との出逢いがあり、皆さん同じ想いがあり、過去の自分と同じように不安な方、またこれからの自分自身のためにも交流会を東郷町で開催しようということになりました。

2月は点字の体験をやりました。



これからも毎月第4月曜日の12時から東郷食守族で開催します。



6月からはカフェまでの送迎や参加者の皆さんと相談して講師を招いての歩行やその他自立に向けてのイベントなども開催する予定です。

身近に視覚障がい者の方や見えにくくなって不安な方がいましたら、交流会の情報を提供していただければ,ありがたいです。

またGW明けから、午前中は健康をテーマにしたカルチャーや交流の場、ランチ後は多世代交流の場として無料開放して、皆さんに使ってもらえるような計画をしています。

詳細は追って告知していきますので、ご活用いただければ有難いです。