他人のことは良くわからないが、どんな人でも、理想の自分と人には見せられないような醜い自分を持っているような気がする。


そしてそのどちらの自分が心の構成比が多く占めるかによって、自己形成が出来上がり精神を作りあげているのでは?と思うのです。


自己評価の低い人は“醜い自分”に焦点を合わせがちな人。


すると、理想の自分には焦点が合わずにボケてきて、終いにはそれは心を占拠してしまう。


その結果、自分はダメだと思い込んでしまうのです、


自己評価の高い人は“理想の自分”に焦点を合わせている人。


すると、醜い自分には焦点が合わず、自然に自己評価も高くなり自分に自信もついてくるというように。


そしてもう一つのパターン。


それが以前の私で、醜い自分から逃れるために蓋をして必死に頑張り、身体も心もすり減らし病んでいくというもの。


そして、私はがんになったことで最初は2番目の理想の自分に焦点を合わせるようにしました。


しかし、それをやるにつれて、今度はちらりちらりと出てくる“醜い自分”に苛まれるようになったのです。


理想の自分像を作り上げ、講演会やセミナーでそれを語る。


すると周りも私のことを“織田さんて素晴らしい、すごい人”という事になります。


すると不思議なことに、今度は醜い自分に焦点が合いだし、自分しか知らない醜い自分と現在の自分のかい離に苦しみ精神が不安定になることが多くなってきてしまったのです。


そんな時に出会ったのが“自然栽培という農業”でした。


どんなに人が頑張っても自然には敵わないのに、それに抗い自分たちの理想にばかり焦点を合わして自然を打ち壊す。


その結果が今のような人も環境も経済も病的な状態となってしまっている。


しかし植物はその自然に委ねて、種が落ちたところから一歩も動かずに小さな一粒が根をだし、芽をだし、上へと成長し、実をつけ、また種を落とす。


それはとてもシンプルで人が自然をぶち壊さない限りは永遠に続くだろう。


農業と出会ったことで私は、自分を含めて人はその醜さや、小ささを受け入れることが大切ではないかと思うようになったのです。


そして、自分をさらけ出すようにしました。


過去の自分、パニック障害、今のダメなところ


そして、自分しか知らない醜い自分も受け入れていくようにしました。


自己顕示欲が強く、わがままで、人を蔑み、効率を求める。


そんな醜い自分があることを受け入れて、良くするために生きていこうとおもうようになりました。


それは自分一人で出来るものではなく、他人と一緒にいて補い合うことで出来るもの。


だから私は今の活動をしています。


傍からみると人のためにしているようですが、実は自分の為なんですね~(笑)


不思議に心がとっても楽になりました。


そんなっ経緯を経て


人の醜さや弱さ、小ささは、より良い自分になるために与えられたもので、良くするために与えられているものが“今という時間”だと思うようになったのです。


すると、いくつになっても成長し続けることができるようになり、日々を楽しく生きれるようになりました。


醜い自分を打ち消したり、否定したりする必要はありません。


醜い自分を受け入れる、そして自分の物差しでいきること


それが、自分の可能性に蓋をせず、成長し続け楽しく幸せに生きることに繋がるような気がします。

今日は総合リハビリセンターへ視覚障がい者自立訓練にきています。

スマホでのフェイスブックの投稿を教えてもらっています。

スマホに連動する携帯用キーボードも購入して視覚を使わずに音声と指で操作してのとうこうです。

見えなくなったら長い文章は難しいですが投稿は続けていけたらいいなぁとおもいます。



心のゴミとは、心の中に溜まった生ごみ。
 
生ごみを溜めつづけるとどうなりますか?
 
私の経験上、ガンになる人の多くはそんな生ごみを溜めつづけている方が多いような気がします。

そして更にガンになったことで、どうしてもまたまた新たな生ゴミを溜めてしまうのです。
 
今日はそんなゴミを排泄することの必要性を書こうと思います。

 

「いうべきを言う」

 

それは、健やかに生きるために、私が身につけた手段。

 

私は子供の頃から始まり、社会人になっても「いうべき事を言ってこなかった」

 

その理由は、こんな事をいえば嫌われる、バカにされる、怒られる、駄目な人間だと思われる・・・

 

ようするに他人の目を気にして言いたいことを飲み込んできた。

 

その結果、食べ物を飲み込むときに通過する“食道”に癌が出来たのだ。

 

私はこれは偶然ではない!

 

自分が言いたいことを言わずに飲み込む続けてきたので、これ以上飲み込んでいたら自分でいられなくなるからと言う警告で食道に癌ができた!


これは本能からの警告だと思ったのだった。

 

多くの方が言いたいことがあって胸のあたりがムズムズするという経験があると思うが、その箇所を正確に言えば食道・・・・

 

 

そう思ってから、私は飲み込むのを極力やめるようにして、「いうべき事は言う」と決めた。

 

言いたいこと飲み込ませないための通過障害として癌が出来たと仮定して、飲み込まずに言ってしまえば障害は不要になるという仮説を立てたのだった。

 

私が、言いたいこと言うようになったきっかけは、そんな少し馬鹿げた仮説だったが、やってみて一つ解ったことがある。

 

それは、「出してしまえば結果がどんなんであれとってもすっきりする」ということ。

 

そして、「その瞬間は相手を怒らせたり非難されたりと散々なことも多々あるが、長いスパンで見れば最善の結果に落ち着く」ということも解った。

 

結局は自分のいうべき事を言わずに飲み込むと言うことは、自分に嘘をつくとかごまかすということ。

 

「自分に嘘をついたり、ごまかしたりして自分にとっていい結果が出るはずがない!」というとってもシンプルなこと。

 

いくら良い自分を見せようと頑張っても、頑張れば頑張るほど本当の自分からかけ離れ必ずいつかはボロが出るのだ。

 

だったら、最初からボロを出しておけば人にも解るし、もしそれが自分に良くないことだと解れば直す努力をすればいいだけなのだ。

 

ボロを出すたびに成長する事にもなる。

 

赤ちゃんに走れと言っても走れるはずもない。

 

まずはハイハイから。

 

身の丈にあった成長をし続けることは大切だと思うようになった。

 

私はそうやってガンになってから、身体と心の大掃除をしてきた。


そして、いうべきこと言うようにして一番良かったことは

 

「自分が好きになったこと」

 

大切なことは、人から自分がどう思われるか?ではなく、自分が自分のことをどう思っているのか?

 

自分のことを自分が好きでいられなかったら、いくら他人が好きだと言ったとしても、それは自分への否定や苦しみやしか生まない!

 

とってもシンプルなことなのだ。

 

 

人の苦しみの多くは変わらないこと。

そして変わってしまうこと。

他人のことをあの人は変わってしまったと怒り、あの人は全然変わらないと怒る。

これらの言葉の前には〝自分の思っていたように″という言葉がつく。

つまり、相手の問題ではなく、自分の思い通りにならいから怒っているだけなのだ



それは人には変わって欲しいと思うが、自分が変わるという意識はないということ。

だから自分が変わってしまうことを否定する。

その結果、過去の自分に囚われ、他人の目に囚われてしまう。

これはどう見たって矛盾している。

人間は常に変わっている。

自分も、他人も。

見た目は同じでも、細胞も心も毎日変わっている。

それらは外部から入ってくる情報、食べ物や刺激によって変わる。

これらによって、いい方向へ変わるか、悪い方向に変わるか決まる。

情報や食べ物、刺激が変わらなければ、いい方向への変化は難しいのだ



しかし人はなかなかこれらの根源となっている習慣を変えることはできない。

だから変わらないように思う。

だから私は「環境を変える」ことが重要だと思っている。


環境とは刺激。

何を見て、何を聞き、どんな臭いを嗅いで、何をどう食べ、何を感じて日々過ごしているのか?

病気になったときこれら5感からどんな刺激が入ってきていたのでしょうか?

私の場合は、目からは常に数字やつまらない文字、つまらなそうな顔、雑然として環境、・・・・

耳からは、ざわついた店内、怒鳴り声、車や電車の音・・・

鼻からは、食品のアルコール臭、ゴミのにおい、防臭剤・・・

口からは食品添加物や農薬まみれの食材、それを時間がなく一気に口に放り込む

そして日々時間に追われて、人も目を気にいして言いたいこともぐっとこらえて・・・

そんな環境の中で日々過ごしていて、がんになったのでした。

だから、私の場合はこれらを一気に変えるためにサラリーマンを辞めたのです。

その結果、5感から入ってくるものすべてが変わり、心も性格もそんなに無理せず変わったのでした。

しかし、普通はそんなことリスクが高すぎてできませんよね。

また、それを無理して一気にやろうとすると逆にストレスになったり、できない自分に劣等感を抱いたりとあまりよくない方向に流れて行ってしまいます。

でも、やっぱり環境を変えることは大切・・・・

だから、頑張るより楽しむこと。

 

楽しいと感じるのは5感から入る刺激がいつもとはちがっているから。


楽しいことをすることにより、習慣や思考を自然に変化させることができるような気がしています。


私の経験上、どんなにいい講演やセミナーを受けるより、本などを読むよりも変わるきっかけになると思います。

それらのものは、頭だけで5感は何も変わっていないので、少し時間がたてば変わらない環境に支配されもとに戻っしまうのは当たり前なのですから。

だから変えようと思っても変えられないのです。

習慣が変わらない、心が変わらない、考え方が変わらない・・・

そんな人はぜひ一度、5感がら入ってくる刺激を変えてみてください。

だから私は1番刺激がはいる視覚を失うことになって、他の4感を最大限に活かしてその刺激で生きれる訓練を1番大切にしている。

そして日常生活でも常に見えなくなったことを意識して、あれこれ試している。

そうすることで、たとえ失明したとしても、変えようと努力しなくても、新しい自分に変われると信じて今を生きています。




19 年前の今日、7月12日は術後15日目にやっと一般病棟に戻れた日。
 
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先のまったく見えなかったあの時から私は「点で生きる」ということを心かげたことで楽に生きられるようになったのでした。
 
今日は私が心掛けた「点て生きる」という生き方について書こうと思います。

 

人生一直線なんてよく言われているが、私は人生は直線ではなく“点の連続”だと思うようにした。

 

もし直線なら、それまでに生きてきた過去というレールの延長線上を生きていかなければいけない。

 

だから私は、過去と現在を切り離して考え、行動をしている。

 

過去というのは過ぎ去った時間。

 

それに囚われて、未来を考えてしまえば自ずと未来は過去を越えられないのではないか?

 

がんになったという過去に囚われて未来を考えれば、自ずと私の未来はがんになる前の人生を越えられないような気がした。

 

それなので、それまで働いていた会社を辞めて、人間関係の断捨離をした。

 

同じ人間関係の中にいたら、過去は越えられないと思った。

 

すると、不思議に新しい未来が見えてきたのだ。

 

人間関係の断捨離をして得たものは、行動力だった。

 

行動しなければ人脈も何もないから、とやかく考えるより行動するしかなかった。

 

そしてそれがその縁を感謝したり、大切にしたりすることにつながり、以前とはまったく違った新しい未来が広がったのだ。

 

そんな経験を経て

 

人生はうまくいかなかったときは、過去と今を切り離すようにした。

 

今まで一緒にやってきた人とも、一旦はあえて離れる選択をした。

 

必要であれば離れても必ず戻る。

 

戻らないのは必要ではなかったということという勝手な解釈をした。

 

しかし、それは普通ではなく非常識。

 

なので、始末が悪い、やってることがコロコロ変わる、人間としてどうか?、非情などと多くの人に言われてきた。

 

でもなんと言われようと、それが私なのだ。

 

自分を好きでいるということは、嫌われる覚悟が必要だと解った。

 

それが出来なかったから、私は癌になったと思う。

 

れなので、私は過去には囚われない。

 

もちろん癌になったことにも。

 

そして、人生の最先端の“点”にいる自分の感じたことを一番大切にして、良いと思った言動をする。

 

未来はその結果でしかないし、その結果も過去と切り離せば自由自在に変えられる。

 

だから、私は常に、今ここに生きる。


それが私流“点で生きる”ということなのだ。