人の苦しみの多くは変わらないこと。

そして変わってしまうこと。

他人のことをあの人は変わってしまったと怒り、あの人は全然変わらないと怒る。

これらの言葉の前には〝自分の思っていたように″という言葉がつく。

つまり、相手の問題ではなく、自分の思い通りにならいから怒っているだけなのだ



それは人には変わって欲しいと思うが、自分が変わるという意識はないということ。

だから自分が変わってしまうことを否定する。

その結果、過去の自分に囚われ、他人の目に囚われてしまう。

これはどう見たって矛盾している。

人間は常に変わっている。

自分も、他人も。

見た目は同じでも、細胞も心も毎日変わっている。

それらは外部から入ってくる情報、食べ物や刺激によって変わる。

これらによって、いい方向へ変わるか、悪い方向に変わるか決まる。

情報や食べ物、刺激が変わらなければ、いい方向への変化は難しいのだ



しかし人はなかなかこれらの根源となっている習慣を変えることはできない。

だから変わらないように思う。

だから私は「環境を変える」ことが重要だと思っている。


環境とは刺激。

何を見て、何を聞き、どんな臭いを嗅いで、何をどう食べ、何を感じて日々過ごしているのか?

病気になったときこれら5感からどんな刺激が入ってきていたのでしょうか?

私の場合は、目からは常に数字やつまらない文字、つまらなそうな顔、雑然として環境、・・・・

耳からは、ざわついた店内、怒鳴り声、車や電車の音・・・

鼻からは、食品のアルコール臭、ゴミのにおい、防臭剤・・・

口からは食品添加物や農薬まみれの食材、それを時間がなく一気に口に放り込む

そして日々時間に追われて、人も目を気にいして言いたいこともぐっとこらえて・・・

そんな環境の中で日々過ごしていて、がんになったのでした。

だから、私の場合はこれらを一気に変えるためにサラリーマンを辞めたのです。

その結果、5感から入ってくるものすべてが変わり、心も性格もそんなに無理せず変わったのでした。

しかし、普通はそんなことリスクが高すぎてできませんよね。

また、それを無理して一気にやろうとすると逆にストレスになったり、できない自分に劣等感を抱いたりとあまりよくない方向に流れて行ってしまいます。

でも、やっぱり環境を変えることは大切・・・・

だから、頑張るより楽しむこと。

 

楽しいと感じるのは5感から入る刺激がいつもとはちがっているから。


楽しいことをすることにより、習慣や思考を自然に変化させることができるような気がしています。


私の経験上、どんなにいい講演やセミナーを受けるより、本などを読むよりも変わるきっかけになると思います。

それらのものは、頭だけで5感は何も変わっていないので、少し時間がたてば変わらない環境に支配されもとに戻っしまうのは当たり前なのですから。

だから変えようと思っても変えられないのです。

習慣が変わらない、心が変わらない、考え方が変わらない・・・

そんな人はぜひ一度、5感がら入ってくる刺激を変えてみてください。

だから私は1番刺激がはいる視覚を失うことになって、他の4感を最大限に活かしてその刺激で生きれる訓練を1番大切にしている。

そして日常生活でも常に見えなくなったことを意識して、あれこれ試している。

そうすることで、たとえ失明したとしても、変えようと努力しなくても、新しい自分に変われると信じて今を生きています。