私たちが暮らしている日常生活の中で偶然おきている出来事や出会い。

これらを私はすべて必然ではないかと思うようになった。

というより、この世に偶然はないよう気がするのだ。

私は今までたくさんの人と出会いがあったが、自分から会いたいと思ってあった人と、ただどこかで偶然に出会った人との現在の縁の深さを振り返ると、偶然出会った人の方が圧倒的に深い縁になっている人が多いことに気づいた。

自ら意図的に会いたいと思うということは、その根底には見返りを求めていることが多い。
つまり見返り求めて無理やり縁を作ったのだ。

そこで話すことの多くは“お願い”や“自己アピール”

自分のことばかりで、相手の都合はそこにはない。

自分がもし相手の立場だったら。・・・・

人の時間を使って、一体なんなんだ!と思う。

しかし偶然には見返りや意図はない。

自分の行動と、その人との行動が同じだったからそこで出会うのだ。

ということは、まったく意識せずに同じ場に集ったということ。

同じ目的を持ったのだに

同じ時に、同じ場所に、なの意図もなく。

意図がなければ、見返りなんて存在するはずがない。

そんな出会いは偶然しかない。

偶然の出逢いは、人と人との関係から始まる。

それは見返りを考える理性ではなく、同じことを感じた感性から始まる縁なのだ。

それは意識の中ですでに繋がっていたということではないのか?

だから必然的に出会った。

出来事もこれと同じ、自分の行動で起こる。

出会いも、出来事もすべては行動や思いの結果。


鬱になったことも、ガンになったことも、緑内障になったことも。


これって〝必然”ではないのか?


偶然に遭遇した物事を契機(チャンス)として大きな価値を得ようとすることで必然となるのだ。


だからこそ、私は偶然を大切にすることが大切だと思う。

それは、自分の選択を大切にすること、すなわち自分の生き方、自分自身を大切にすることなのだ。







今の私を見て想像がつかない方も多いと思いますが、以前の私は、とてもプレッシャーに弱い人間でした。

 

私は幼少のころの歯医者で嘔吐した出来事が原因で歯の治療が嘔吐反射がひどくできなくなり、その結果パニック障害となり自分に自信がなく、緊張すると手足が震え、嘔吐反射が起こり、精神安定剤は常時もっていないといけないような状態だったのです。

 

それなのに表面的にはそれを薬に頼ることで隠して頑張るということをしていた結果、鬱になり癌になったと言っても過言ではないでしょう。

 

そしてがんになり術後人工呼吸に繋がれたことで、パニック障害のMAX状態になり薬も飲むこともできなく動くことも叫ぶこともできないとい極限の状態を2日間過ごしたことで、なんとパニック障害が治ってしまったのです。

 

そんな経験があり、嘔吐反射や手足の震えなどという肉体的な反応の原因は、自分という肉体ともうひとつの自分である意識が卑下したり攻撃したりすることだと思うようになりました。

 

人工呼吸器に繋がれたとき、意識では身体を動かそうと必死になっても、身体は思い通りにならないという状態でした。

 

そうなって初めて、私の意識は身体があってもののだという事が解ったのです。

 

そして、以前は意識と身体の間に大きな乖離があり、身体はその意識がプレッシャーとなってパニックを引き起こす原因となっていたこともなんとなくわかってきました。

 

だから人の目も気になりパニック障害が引き起こされていたのです。

 

私は人工呼吸器に繋がれたとき、はじめて意識が身体と向き合うことができ卑下したことも、攻撃したことも謝り、愛おしく思えるようになりました。

 

すると、本当に不思議なことにパニック障害は消えていったのです。

 

そんな経験をしたことで、私はパニック障害もプレッシャーとの関係性を自分がどう解釈するか?ということで解決する部分も多いということが解りました。

 

それ以後、私にやってくるプレッシャーのようなものはすべて楽しむ心をもって接するようにしたのです。

 

プレッシャーを跳ね除けようとするから更に増してしまいます。

 

そんなことは止めて、そばに置いて楽しめばきっとあなたが成長する糧になってくれると思います。

 

私は常に「自分らしい今を楽しむ」ことを念頭において生きています。

そのためのための常識では考えられないような楽しみ方の一つが「苦しみを楽しむ」ということ。

だから今、緑内障で失明二向かっていても、楽しいと感じることができるのです。

 

それは私ががんになって得た、究極の楽しみ方。

 

一般的には楽しみ苦しみとは対極のもの。

 

でも、それを=で結べるようになったら、怖いものなしですよね。

 

私はそんな普通ではない、特技のようなものをがんになり大きな手術をしたことで得たのです。

 

18年前、私は15時間の大きな手術をして意識があるまま2日間人工呼吸器に繋がれ、またその後も術後の痛みや縫合不全という合併症もあり、これまでの人生では経験したことのないような痛みや苦しみ、そして何もできない無力な自分も経験しました。

 

そんな中はあることを考えていました。

 

「この痛みや苦しみから解放されたい! でも、それがなくなった時が死・・・・」

 

「痛くて苦しいということは、生きているということなのだ!」

 

私は痛みや苦しみに愛おしさを感じるようになりました。

 

でもこれってたぶん普通ではありませんよね。

 

私は若かりし頃、ボクシングをやっていましたが、その時も殴られることで生きている実感を得ていたので、きっとそんな素質があるのでしょう(笑)

 

そんな経験をして、肉体的・精神的な苦痛は生きているからこそ与えられている特権のようなもので、それを楽しむ心を持つことでこれらは薄れて消えていくということが解ったのです。

 

病になるまえの私をはじめ、ほとんどの人は苦しみを良くないものとして自分の周りから遠ざけ、“死”は苦しみの極限と考え、不安や恐怖心を持ち逃れようとしています。

 

しかし、私は病になってから、先にも書いたような経験をしたことで苦痛は生きているという証であり、あえてそこに向かうことで人生には楽しみが増えて成長するような気がしてきたのです。

 

「苦楽を共にする」という言葉がありますが、一緒に苦しみ一緒に楽しむことで強い絆ができあがるというような時に使いますが、私はそれこそが、苦しみを楽しみに変えるという事ができる関係性ができたということだと思うようになり、自分の中でもそれをやってみようと思い、それからは得意の人体実験です(笑)

 

出来ないと思うようなことする。

 

苦しいと思える道を選ぶ。

 

他人から普通ではないと思われる行動をする。

 

そんな普通の人から見たらとんでもない行動パターンをしたことで、なんと私の人生そのものが本当に楽しく、そして自分をドンドン好きになっていったのです。

 

苦しみが楽しみになったらもう怖いものなしですよね。

 

とは言っても、やっぱり苦しいと思うこともありますが、そんな時こそ楽しむ心を見つけ育てていくのです。

 

すると不思議なことに、思考は徐々に楽しい方向に向かっていくのでした。

 

楽しいという感情は脳のエサなので、そのエサをあげれば、楽しむという思考を脳が作り出すという事ではないかと思います。

 

そして今は、以前は苦しみの極限だと思っていた“死“も、その最後に「この人生楽しかったなぁ~」と楽しみをたくさん持って逝ける楽しみの極限に置き換えることにして、それを目指して今を生きることができています。

 

とは言っても、それは私の建てた仮説なので実際にはどうなるか?は解りません。

 

でも、そうやって今を楽しむ心を持ってさえいれば、きっとそうなるはず。


だから、緑内障になっても、失明しても、楽しいのです。

 

そんな経験ができるのは、生きているからこそなのですから。

地元ケーブルテレビCCネットさんが私を3年間密着してつくっくれた番組が第44回「地方の時代」映像祭で入賞、ダイジェスト版がホームページで紹介されているそうです。

 「今を生きる 地域と病と」ケーブルテレビ部門

良かったらご覧くださいね。



私は今、緑内障で失明に向かっています。

 

この先、何年か後には、もしかしたら緑内障発作で急に見えなくなります。


まさに目の前が真っ暗になる訳です。


こんなことを書いているので、心配してくれる方から

〇〇で良くなるかも?」と情報をいただけることが在ります。


とてもあり難いことですが、私はガンになったある時から流れには「抗わない」ことにしました。


その理由は「今の状態を悪い」と思わないから。


今が悪くないのに、あえて今に抗って変える必要はないと思うのです。


こうなったのもすべて私のこれまでの生き方の結果なので、それを肯定して受け入れ、その人生を肯定できるようにするために、今できることをしています。


普通はなかなかそんな考え方はできないと思いますが、私はガンになり現在まで生きてきた過程の中でその大切さを学び、経験してきました。


今日はそうなったプロセスを書こうと思います。


18 年前私は癌になり、5年生存率20%前後、10年生存率10%と知り、いつ命が失われるかわからない先が見えない状態になりました。

それまで見えていた先(未来)がまったく見えなくなってしまったのです。。

でもよくよく考えると未来や将来なんて先が見えることなんてまったくないことに気づきました。

この世のなか、まったく自分の思ったとおりにはなりません。

しかし、思ったとおりにならないと考えたらストレスや怒りが発生しますが、思ったとおりになるはずがないと思えば「まっ、いいか!」となります。

そもそも、自然も他人も決して自分の思い通りにはなってくれません。

そして命も

それが自然や人間というもので、思ったとおりにならないことを受け入れることが私の思う自然な姿

 


それを思ったとおりにしようとするのが、現代人の生き方。


その結果が・・・・・・・病、戦い、滅亡への序曲

自然に委ねるゆとりがストレスをなくし、優しさ、分かち合いの心を生む

そして、人間自体も自然の一部と考えれば、他人を自分の都合よく変えようとすることもなくなり生きることが楽しくなる。

私の考え方のひとつ「計画をたてない」のはこのため。

計画を立てるからストレスや怒りを生む。

そして、計画通り行動することで視野が狭くなり楽しさがなくなる。

更には様々な可能性を放棄することなってしまう。

計画を立てない、私はどうしているかというと、

その時決める

それは過去ではなく今!

一番最先端(旬)の自分で決めるのだ。

行き当たりばったり、これが結構うまくいくし、楽しい。

これって想像したら結構楽しそうだと思いませんか?

でもやっぱり不安になるのかな~

先がわかったら、ゲームやスポーツも楽しくないでしょ♦♫♦・*:..。♦♫♦*゚¨゚゚・*:..。♦

 

 
実際その7年後、再発したのでは?と思うような症状が続いたとき、胃カメラの検査で吻合部の潰瘍と逆流性食道炎という結果だったことがあります。


そんなことで、先を見るのではなく、今を生きることに決めたのです。

そう思って生きてきたら知らぬ間に13年。

まだ生きているではないですか(笑)

これから先、いつまで生きれるか?はわかりませんが、先や死を見るのではなく,一日一日を生きている実感を味わいながら、楽しんで生きていこうと思っています。

あす死んでも悔いのないと思える生き方

そんな生き方をするようになって、毎日生きている実感が湧きおこりとっても幸せ!と思えるようになりました。

それも、がんになったおかげなんですね。

考え方を少し変えてみれば、先が見えないからこそ楽しいんですよ。


この先、見えなくなったらどんな世界があるのか?


もちろん不安もたくさんありますが、それを今考えても仕方ありませんし、なってみないとわからないことです。

 

だから、その時の良いイーメージを脳に上書きして、楽しいことを想像しているのでした。