楽に行くにはどうしたらよいのか?


良い行いをすること。


徳を積むこと。


南無阿弥陀仏と唱えること、


など色々言われていますが、私はやっぱり読んで字の如く、楽しむことを極める様な気がする。


つまり、どんなに良いことをしても、徳を積んでも、南無阿弥陀仏を唱えたとしても、楽しまなければ極楽にはいけないような気がするのだ。


だって、未来は今の積み重ねでしかないのだから。


今、楽しんでいた結果、死んでからその楽しみを極めることが出来た!


それが極楽往生だと思うのだ。


もちろん、良い行いをすることや徳を積むことは大切だ。


でも、何の為にそれをするのか?


良いことをするためではなく、自分や周りの「楽しみ」を増やすためだと思う。


そしてそれは、何が良いことなのか?


徳を積むことではなく、私はやっぱり自分を含めた周りが「楽むこと」のための様な気がする。


しかし今はなぜか良いことや徳をするより、それを唱えて戦ったり、人を傷つけたり・・・


楽しむという目的があってこの良いことであり徳を積むことが大切ではないか?


そう思うと、なんだか今の時代は楽しむことを目的としていないような気がする。


良いこと、徳を積むこと、正しいことが目的となってしまっていないか?


それでは、自分という体と心に対して良いことや徳を積むことになっていない。


良いということをするため、徳を積むために自分を犠牲や被害者にしているような気がしてならない。


そんな時代だからこそ、今一番大切なことは、まずは自分自身が心から楽しいと思えるようなことを極めること。


地域も、社会も、国も、世界も一人の人の集合体。


だから、まずは自分自身にとって楽しいことを極める事が、結果として良いことや、徳を積むことだと思う。


そんな人が集まった場所が極楽なのだ。


私がガンになっても死ななかったのは、もっとワクワクして楽しめというメッセージだと勝手に解釈をした。


もし、それができたら・・・・


そこに私にとっての極楽があるような気がした。


きっと極楽は死後に存在するものではなく、楽しんで生きた結果。


つまり“今”に見つけるものだと私は思う。


私は“がん”という病の原因は"自分の心”だと思っています。


「がんの原因は生活習慣」それは間違いありません。


しかし、そのがんになる様な生活習慣を作っているのは、潜在意識が“がん”になることを望んでいるからだと思うのです。


それは、私がこれまで多くのがん患者さんと関わってきた結果、そんな気がするから確信に変わってきました。


何を隠そう私自身もそうでした。


現在、がんで亡くなる方は増え続け年間35万人近くになっています。


その原因は、人生に生きがいや喜び、そして幸せを感じることができない時代になってしまったから。


そして、がんが治らない病になってしまったのは、がんになったことで人生に生きがいや喜び、そして幸せを感じることができなくなってしまったからに他なりません。


その証拠に、がんから生還した人は、「何をしたか?は百人百様ですが、がんになったことで新しい人生を見つけ、喜びや幸せ、そして感謝の気持ちを取り戻した人という共通点があります。」


私はガンを治すのではなく、生き方(体と心の使い方)を直すこと。

そして、がんに向かっていくるのではなく、幸せに向かって生きることが大切だと思っています。


それが、生き物としての生命力を最大限に発揮し、病を治す力になるのです。


だから私は「ガンに成っても明るく、楽しく、幸せに!」を提唱し、それは一人ではなかなかできることではないので「めぐみの会」を作りました。


「話すこと」


私はガンになってから、話すことが仕事のようにしてきたが、ガンになる前、それは苦手な部類でした。


人前で話すのはとっても緊張して精神安定剤を飲まなければいけないほどだったのです。


今の私を知っている人には信じられない話だと思うがまぎれもない事実。


また当時の私を知っている人も、そんな風には見えなかったと思うかもしれません。


しかし、当時の私は自分だけが知っている弱い自分を見せないように安定剤まで飲んで必死にメッキがはがれないように頑張っていたのだ。


根底にネガティブがあるのに、それではいけない!という思考でした。


それを見せないよう必死に頑張っていたのです。


そして頑張れば頑張るほど、現実とのかい離に苦しむことになっていきました。


その結果が鬱・・・ 


そして癌・・・・・


鬱や癌になる人は頑張る人というが、たぶん私のように根底にネガティブを抱えて頑張る人がなるのだと思います。


そんな私が今のようになったのは?


癌になったことで弱さを手に入れたからだと思います。


弱いものがそれを認め口に出すことが出来るようになったら、私は無敵になったのです(笑)


そして、周りを見てみると以前の自分と同じように一生懸命頑張っている人がたくさんいることが分かりました。


特に癌になった方の多くは、まだ頑張ろうとして、命を失っていきます。


私の胸の中に自分の経験、そして感じていることをそんな人たちに知ってほしいという気持ちが湧き起こりました。


すると不思議なことに話すことの緊張がなくなり、楽に話せるようになったのです。


そんなことで話すことを始めてみると、新しい自分を発見することも多くなりました。


テーマを決めて話し出すと突然いろんな言葉が浮かんでくる。


口に出すことで、自分が考えていたことを思い出したりすることもあるのです。


それなのであまり何も考えずに、出てくる言葉を楽しむような感覚で、「今日は何を話すのだろう?」とワクワクしながら話すのです。


今この文章を書くのも話すこととまったく同じ感覚。


そんな経緯をとおして思うこと


言葉とは自分の心の奥から湧き起こってくるものを人に伝える唯一の手段。


そして頭で考えたものではなく、その湧き起こってくるものこそが自分自身なのです。


以前の私のように、それを閉じ込めて頭で考えた別の言葉を発することで自分を失い、心や身体が疲弊して病になってしまいます。


だららこそ、ガンになったときは、思ったことを口に出してみよう!


素の自分を言葉にさらけ出そう。


それが一番の排泄なのです。


負の要素でいっぱいになった心の中を吐き出さなければ、良いものか入ってくる余地もありませんから。

 

だから私も今、緑内障、視覚障がい者、そして失明のことを、こうやって表に出しているのです。


ピンチになった時こそ、思い切って弱さを認めて無敵になるチャンスなのです。


私は今、緑内障で失明に向かって進んでいますが、この先の普通の人が体験できない世界を経験できることを楽しみたいと思っています。


それができるのは、創造力が現実を創り出すと思っているから。


今日はどうして現実を変えるのか?を自身の体験から書いてみようと思います。





私は、いつも創造性を持つように心がけている。





どんな創造をしているか?





ここでは詳しくは述べないが、知らずに知らず顔がにやけてくるようなことだ。





そんな私の創造の中にはたくさんの登場人物が出てくる。





でも、怒っている人やしかめっ面している人は一人もいなく、みんな笑顔。





つねにそんな人に囲まれている私は本当に幸せだ!





でも以前は私も怒ったり、しかめ面をしていた。





これも癌になったおかげだ。





そして多くの人に助けられた。





本当にありがたい。





だから、この幸せを分かち合いどんどん膨らませていこう。と思い、またその姿を創造してニヤニヤするといったことの毎日だ。





しかし、ふと不安になったり、できるのだろうかとわれに返るときがある。


それは、現実を意識したとき。





ここでいう現実とは過去の記憶。





すなわち知識である。





知識はすべて過去の記憶であり、私たちは過去の記憶に則って未来を設計する習慣がついている。





学歴や一般常識、身分や名声が未来をつくるためには必要なものだと考える。





だから、学歴がないから、常識がないから、自分の将来は知れているとか見えないと思い嘆き悲しむ。





しかし本当に過去の記憶は未来と関わっているのか?





私はまったく関わっていないと思うのだ。





だって、誰だって未来を創造することができるではないか。





過去と未来は完全に切り離れている。





どうしてか?


間に現実があるから。





現実を変えれば未来は変わる。





知識なんて現実を変えればいつでもつけることができるし、学歴なんて人間の中身とはまったく関係がない。





そしてこれらはすべて有限なのだ。





 しかし創造は無限である。





私は今を生きることで無限の創造性を得たのだ。





今を自分らしく、やりたいことをやる。





そうすれば、おのずと未来は開けてくる。





たとえ悪い事が起こったとしても、今を意識したらそれはすべて過去なのだ。





だから、新しい未来を創造するのだ。





たとえば、癌になったから幸せになろうと!





そしてそれは今、現実となっている。





だから、次は見えなくなったから幸せになろうと!思っている。





そうなるためにワクワク生きることが、きっと現実を引き寄せるのだと思います。


私たちは多くの場合、感情にしたがって行動をしています。



好きという感情で愛を表現する。





悲しいという感情で泣く。





怒りという感情で暴言を吐く。





怖いという感情でパニックになったり、身動きが取れなくなる。等々





そして、この感情と行動の関係は条件反射的になっている場合が多々あります。





というより、多くの人はこれを当たり前だと思っているのです。





私も以前はそう思っていました。





しかし、あるとき感情は行動が作り出しているのではと思うようになったのです。





感情が発生するためには、現象が必要です。





目の前に人が移るから好きという感情が生まれる。





つらい出来事がおこるから悲しいという感情が生まれる。





自分の思い通りにならない出来事があるから怒りが生まれる。





予測が付かない出来事が起こるから怖いと感じる。





そして、知らず知らずのうちに現象=感情という経路が出来上がってしまっています。





しかしこの場合の現象の多くは、自分の意識によって感情が生まれているような気がするのです。





私は18年前に癌になりましたが、ほとんどの人は癌=死という意識があるから怖いという感情を発生させパニックになります。





しかし私が18年前癌を宣告されたとき、どうしようか?これからどうなるのか?という不安はありましたが、り怖いという感情はありませんでした。





その理由は癌は切れば治ると勝手に思っていたからです。





しかし即入院をしなければいけなくなって、今までと同じ行動ができなくなったことで、このままここから帰ることができずに死ぬのではないかという怖いという感情が生まれたのです。





つまり多くの感情は実際の出来事や現象とは関係なく、自分の意識や行動によって発生していると思うのです。





愛するという行動が人を好きにさせる。





泣くという行動が悲しくさせる。





暴言を吐くという行動が怒りを発生させる。





パニックになるという行動が恐怖を発生させる。





では、そうならないためにはどうしたらいいのか?





私は、感情と行動の間に選択という意識を持つようにしました。





悪いことが起こったとき、それは良いことだという意識を選択をするのです。


私は癌になって一時はパニックになりました。





しかし、恐怖という感情との間に「癌になって良かったと思える選択」を入れて行動したのです。





すると徐々に怖いという感情が薄れ、本当に癌になて良かったという感情が生まれだしました。





先にも述べたように行動が感情を作り出したのです。





またこの選択という意識によって新しい自分に成長することができました。





感情に流されずに行動との間に「選択」を入れることで、まったく違った感情を生み出すことができると思うのです。





そうなったら、悪い感情なんて生まれるはずがない。





だから、これから失明という道を進むと思われるが、良いことという選択ができるのです。





私はこの先の未来も、それを実証するための一生懸命「選択」をしながら生きているのです。