「人事を尽くして天命を待つ」
私はある時期まで、自分の人生においてどんなことでも、結果が大切だと思ってきました。
思ってきたということは、今はそう思っていないということです。
どうして、結果を大切だと思わなくなったのか?
囚われをなくしたから。
私がはがんになって以来、がんを治すということ、そして再発しないという結果を残そうとして様々なことに一所懸命に取り組んできました。
しかし、その行動の原動力は恐怖や不安であることに気づいたのです。
そう思って振り返ると、がんになる前の自分は現代社会の中で負け組になる恐怖や不安を乗り越えるために仕事に打ち込んでいました。
そしてその結果ががんという病だったのです。
私は、がんを治すという結果を残そうとすることが、がんを治らなくするのでは?
そして、恐怖や不安を作る大きな原因のように思えたのです。
結果にはすべて原因があるといわれています。
がんを治したり、再発しなかったりという結果を作りためには、それなりのことをしなければいけない。
それは当たり前のことではありますが、もっと大切なことがあるように思えてきたのです。
表面的なものではなく、根っこの原因。
やっていることの動機に恐怖や不安があったとしたら、いい結果なんて出るはずがないと思うのです。
頑張れば結果は出る。
頑張らなければ結果はついてこない。
それを決して間違っているとは言いません。
しかし治すという1つの結果だけに焦点を当てて頑張るのではなく、今頑張ることがこれからの自分や周りの人生に良い結果を生むことを信じて行動することのほうが大切だと思うのです。
もう一つ付け加えれば、具体的ではなく、抽象的な目的のために。
それは、楽しい、嬉しい、ありがたいという心が踊り笑顔になるようなものです。
結果に囚われることは、執着を生み出し楽しさや、感謝の気持ちを失うのではないか?
以前の私はそんな状態でした。
だから、私はガンという病への囚われをなくし、これまでのがっちりやってきた生活スタイルを適当にしました。
とはいっても、普通の人よりははるかに自然に近い大夫スタイルを送ってはいますけど。
そして、「もし再発したとしても、死んだとしても、それはそれで良い」
「そのかわり明日死んでも楽しい人生だったと笑って逝けるような生き方をしよう!」と思ったのでした。
諦めたように聞こえるかもしれませんが、諦めるの語源は〝明らかに極める”
諦められないのは、怖いから、不安だから。
そこから抜け出せばとっても楽になるし楽しくなります。
恐れや恐怖、不安いっぱいで結果はでると思いますか?
囚われるという字は人が四角い檻の中に入っています。
結果に囚われて、窮屈な檻の中で生きても、意識はその中だけになってしまい、行動も視野も狭窄してしまい楽しくないですよね♬
それならば、結果に焦点をあわせるのではなく、今生きている人としてやれることに焦点をあわせてみてはどうでしょうか?
そうすれば、自ずと結果は現れるのです。
それが、人事を尽くして天命を待つということのような気がします。
「大切なのは状態」
私はサラリーマンを辞めると決めたときに、病院の検査もやめると決めて、それ以後7年間はがんの定期検査は受けませんでした。
そんな話をするとたくさんの人から「不安はなかった?」と聞かれることがあるが、もちろん不安はありました。
7年の間には胸が痛くなり血痰など出たことや、食べ物を飲み込んだときに痛みがあったことも何度かありました。
そんな時には1週間とか10日間と期限を決めて状態を良くするために、お手当てや様々な養生をしました。
すると体はそれに答えるかのように状態は徐々に回復していったのです。
サラリーマンをやっていた時は、環境は変わらないので、どうしてもストレスがあり、体調が少し悪くても仕事に行かなければいけません。
それは身体や心に負担をかけている状態です。
体調が悪いときに負担を掛ければ悪くなり、負担を掛けず養生をすれば良くなる。
これって、よくよく考えれば当たり前のことなのですが、現代社会の中にいるとどうしても前者になってしまうのです。
私はサラリーマンを辞めたので、1日24時間はすべて自分の思い通りに使えるようになり、キッチリと身体の状態に向き合うことが出来るようになりました。
すると不思議に身体はそれに答えて状態は良くなっていったのです。
そして、もう一つ検査にいかなかった理由があります。
それは、気が小さかったから。
検査があるとその前後2,3週間は不安で不安で、目をつぶると最悪のことを考えてしまいました。
5年生存率20%前後で、再発したら余命半年なんて言われたら当たり前ですよね。
しかし、よくよく考えてみると、検査を意識する前と後の状態は何も変わっていないにもかかわらず、意識しただけで心も体も状態が悪くなっていくのでした。
だったら、不安をなくすためには検査を止めて、状態をきちんと確認して対処をすればいいのでは?と思ったのです。
私はそれ以降、数値や映像などの結果に惑わされないため、状態を一番大切にすることにしました。
そう思うと私たちは状態よりも数値や結果を意識して、それが原因で状態が悪化することが多々あるような気がします。
それでは本末転倒。
私たちが意識しなければいけないのは状態なのではないでしょうか?
今の状態が良ければそれで良しとし、悪ければ良くすることに集中する。
生きているから痛くもなり、他の様々な症状も出ます。
そしてその症状こそが、状態を良くするきっかけであり反応なのです。
だから、緑内障もサラリーマンを辞めてから、眼科には行っていませんでした。
そしてあるとき、見える状態が悪くなり眼科に行ったら、緑内障末期という訳です。
いわば今の状況はなるべくしてなったようなものですね。
しかし、もし通院していたとしても結果は変わったかどうかはわからないし、もしかしたらもっと早く悪くなっていたかもしれないなんて勝手に思っています。
病に縛られ、病院に縛られ、不安の中で生きるよりも、今を楽しむ!だけを意識してきたのです。
なるべくしてなったのだから、後悔や不安に思うかのではなく、それを受け入れて、見えない人生を楽しむための今を送っています。
そんな経緯を経て私が言いたいのは、頭で考えるのではなく状態に目を向けて取捨選択をするという事が一番良い結果を招くという事なのです。
そう思うと今この時代も同じですよね。
マスコミでは有識者の先生や政治家など思考や意識のなかであれこれ言っていますが、それが不安や怒りを呼び起こし状態はさらに悪くなっているような気がします。
ここでもやはり大切なのは一人一人の人がこの状態にしっかり目を向けて、この状態を良くするために立ち止まり取捨選択をして自分の声を聴くことなのではないのでしょうか?





