自然の流れに任せ、抗わない。
がんになる前はもちろん、3,4年前までは私の一番苦手なことでした。
常に前に向いて切り開いて前進する。
猪突猛進、止まることを知らない・・・・・
そうやって病になったのに、また同じようなことをして治そうとていました。
10km走り、腹筋・腕立て、筋トレストレッチ、半身浴、食事・・・・
取り付かれたように毎日3時間、約2年間あれこれやっていました。
習慣を変えて、肉体を改造し、新しい自分に脱皮するためにやっていたこれらのことは、それなりに成果は有ったと思いますが、徐々に心と体が疲弊してきたのです。
あるとき立ち止まって「どうしてこんなことをしているのだろう?」と考えてみました。
止まるといろいろ考えて、不安になるためだった。
何か大きな不安や目を向けたくないことが心の中にあり、無意識にそれを避けるために走り続けていたのです。
まるで止まると死んでしまう、マグロのように・・・・
がんになる前は、家庭の煩わしいことや、自分らしく生きたいという本心から目を背けるため、そしてがんになってからは「死」から逃れるために必死になって自力で前に進もうとしていたのです。
しかし、あるときその前に進むという行為こそ「逃避行為のあらわれ」ではないのか?と気付きました。
そして自分が見たくないものから逃げるのは止めて、川の流れを下る一艘の船のように流れに委ね任せてみようと思ったのです。
今までは何処に行くのか?あっちへ行きたい!こっちにはいきたくない!と船の上で考え一生懸命舵を取ろうとした結果、周りの素晴らしい景色も、近くの船も見ることもなく、一緒に乗っている人を自分の思い通りにしようとして怒りや苦しみを感じていました。
しかし、流れに委ねたことで、他の船や同乗者との諍いもなく仲良く景色や川の流れを楽しみながら進むことができるようになったのです。
そんな経験を通して、困難に陥ったときには無理に抗ったり、前に進んだりするよりも流れに任せ、行き当たりばったりで自然に任せて進めば、楽しい道中にもなり目的にも早く到着できることになることが解りました。
それなので目の病のことも、ほぼ行き当たりばったり。
いつ見えなくなるか?
1日でも長く見えるようにしたい。
治すことや、現状維持なんてこと考えたって,思い通りになるわけありません。
だから普通に暮らしながら、そうなることを前提に,未来への投資をしているのです。
治したい、現状維持をしたいというのは自分のエゴだなんて思っています。
諦めるというという言葉の語源は『明らかに極める』
気持ちのうえでは、見える人生にピリオドを打ち、見えない人生をよりよく生きるための文節に入っている今日この頃です。
そしていつか来るであろう見えない人生を幸せに生きるというストーリーの結末を想い描いています。
