唐突ですが、〝生きている意味”なんて考えたことありますか?


私たちの身の回りで起こることにはすべて〝意味”があります。

なんかよく聞く言葉ですね。

何を隠そう私もそう思っていました。

私の場合、がんになった意味をずっと探そうと思っていましたから。

しかし、今はちょっと違った考え方をしています。

起こった物事自体には意味がないのでは?と

私は”意味”とは「意向の味」

意向とは心の向かう方向であり、どうしようかという意志

起こった出来事に対して自分がどこに向かって行くかという意志をもつこと。

そしてその結果、その出来事に対してどんな味を付けるか?だと思うのです。

例えば、私がガンになったこと自体には意味はありません。

私の場合、がんになったことで死ぬことを恐れるのではなく生きる方向に向かうと決め、がんになったことに対して悪いのではなく〝良かった”という意味付けをしようとしました。

そして今はその通りの人生を送っているのが現実です。

つまり、〝意味”とはあるものではなく、自分自身がどう生きるかによって創り出すものだと思うのです。

したがって、”意味”なんてものはない。

意味を探している間は自分の向かう方向が決まっていないから、その出来事に対して味をつけることなんてできっこないのでは?

生まれてきた意味、生きる意味、人生の意味、病気になった意味・・・・・

そんなものはありはしない。


今というこの一瞬を自分らしく生きるために生きる!


ただ、それだけ。


シンプルで自然。

意味を考えるより、まずはどんな素材でどんな味付けをして、どんな料理を作るかを決め、調理を始めることが大切だと思うのです。

思った通りの味にならなければ、素材や調味料を変えてまた作ってみればいい。

料理でいえば「あー美味しい料理だった」、人生でいえば「あー良い人生だった」と箸をおけるという結果こそが“意味”だと思う。


「自分に素直に生きる!」
 
文章で書けば1行であっという間に書けますが、実際にやろうと思うととても大変なことです。
 
私はそれを実行するために、他人にどう思われようが
 
何を言われようが
 
「エイ!」と心の掛け声をかけて、自分の気持ちに素直に、心に正直になるための決断をしてきました。
 
時にはこれまで必要としてきたり、大切にしてきたりしたものや人でさえ別れたり、離れたり。
 
すべては今の自分がどう感じ、どう考えるかで、取捨選択をしました。
 
その結果、非難されたり、恨まれたり、怒られたりしたことも多々あります。
 
しかし、やっぱり過去の自分ではなく、今の自分に正直に生きたかったのです。
 
自分を含め周りもすべて日々変化をしています。
 
したがって、過去の自分と変わる事は当たり前。
 
もちろん他人も、すべての周りの環境も然り。
 
だから自分も他人も含めて言っていることや、やっていること、考えていくことが変わることは当たり前なのではないのでしょうか?
 
それなのに多くの人は「あの人は変わってしまった」「言っていることが以前と違う」などと言って変わったことを良、としないのは何故なのでしょうか?
 
たぶん自らが変わらない選択をしているから。
 
それも我慢して。
 
その方が非難されることも、恨まれることも、怒られることもなく、安心安全だから。
 
でもそんなことしていたら、自分はいったい何処に行ってしまうのでしょうか?
 
本当の自分を生きていない、なんてことになってしまうと思うのは私だけでしょうか?
 
私は19年前にガンになりあと何年生きられるか?が解らなくなったことで、常に今を大切にしようと決めました。
 
それが「今の自分に素直になる」という事だったのです。
 
その結果、一時的には大変な状況に陥ったり、心が苦しかったりしたことはありますが、最終的にはすべてがあの決断で良かったと思えます。
 
それが過去から切り離した、新しい未来を生きるということ。
 
つまり子どもの頃のように、瞳を輝かせワクワク生きるという事だと思うのです、

明日、明後日、12月7日、日本生命財団のシンポジウム「高齢社会を共に生きる」~つなげる・支え合う居場所つくりと地域共生社会~で『東郷ささえ愛家族の会』の実践報告に大阪に行ってきます。

 

 

 

 


ワークショップやシンポジウムはZoomアプリより
次のコードをご入力いただければオンライン視聴が可能です。

もし関心があったら,ご覧下さいね。


○12月6日(金)高齢社会ワークショップ
 ウェビナーID 857 1010 7782
 バスコード 376661 

○12月7日(土)高齢社会シンポジウム
 ウェビナーID 856 1962 5080
 バスコード 074100


当日の発表資料が日本生命財団HPに掲載されているようです

 

 


よかったらご覧下さいね。

 

先日、行き詰まったら、行き当たりばったりということを書いたが、私はガンになったあるとき、人はいつか必ず死ぬので、死から逃れるのではなく受け入れ、いつ死んでも良いと思える生き方をしようと思い、今も生きている。

 

“悪いものから逃れようとする”ことはマイナスのエネルギーを発するし、楽しいことではない。

 

そんな私も癌になった当初は「癌」や「死」から逃れようと毎日必死に様ざまなことをやっていたが、不安が晴れることなはなく常に何かに怯えていた。

 

楽しいなんて思えるはずもなかった。

 

しかしあるときから、「これから先、何年生きられるかは解からないが、癌にまでなったんだからこれを機に今までとは違う自分らしい生き方をしよう!」と決めた。

 

すると不思議なことに自然に楽しさが沸きあがってきたのだ。

 

その結果、「癌になったこともそんなに悪いことではないなぁ~」から


「癌になって良かったことも結構あるなぁ~」


そして「癌になったからこそ、今こうして楽しく生きていられる。

もしならなかったら・・・・ぞっとするなぁ~」

と変化してきたのだ。

 

そんな体験があって、私はもしかすると今の世の中も「良くなるために悪くなっているのではないのだろうか?」と思うようになった。

 

今の社会のあり方もまさしく癌のようなものだと思う。

 

多くの人はその癌化した社会から逃れようと必死の形相になって逃げたり、戦ったりして笑顔や楽しみを忘れて疲弊してしまっているのではないのだろうか?

 

そんな中に幸せも未来もないような気がする。

 

私の知っている“癌からの生還者”のほとんどは「癌になったことで第2の人生を生きることができた!癌に感謝とまではいかないが、恨んだり、後悔することはない」と言い切っている。

 

これは、今の社会もまったく同じことが言えるのではないか?

 

私は、悪いものから目をそらしたり、戦ったり、非難したりするのではなく、悪いこと自体は良くなるためだと捉え、よい方向に変わっていくきっかけだと思うようになった。

 

「良くなるために、悪くなる」

 

癌も今の時代も決して悪いものではない。


もちろん緑内障も。

 

悪いものだと捉えてしまうから、すべてが良くならないのではないのではないのだろうか?

 

良くするためには、悪い中から小さな良いものを見つけ、それを大きく育てていくことだ。

 

誰も好き好んで癌になったのではないように、だれも好き好んで悪くしようとしたのではない。

 

みんな一生懸命良くしようとして生きてきたが、ちょっと方向がずれて悪くなってしまっただけでなないのだろうか?

 

悪い現在に焦点を合わせて必死によくしようと頑張るのではなく、良い未来に焦点をあわせて、それを創造すべく笑顔で楽しく前に進もう!


未来は今の延長線上にしかないのだから、今が楽しくなければ、いつになっても楽しいという状態は生まれてこないような気がします。