信念なんて持たなくても良い!

成功本なんかを読んでいると「どんな願望や夢を持っていようと、信念がなければ目標達成どころか行動を起こすことも継続することすらできない」なんて書かれています。

 

確かに、目標を達成したり、ものごとを成就したりするには“信念”を持つことは大切です。

しかし、私は信念に支配されてはいけないと思うようになりました。

では、信念に支配されるとはどんな状態か?

自分が正しいと思っているものをだけを受け入れ、他を排除すること。

そしてそれを守るために無駄なエネルギーを使うという状態です。

どうして、そう思うようになったのか?

何を隠そう私がそうだったからです。

以前の私は、「ガンは自分の力で治すもの」という信念に支配されて西洋医学や三大療法を排除し、相当なエネルギーを使ってきました。

それで得たものは憤りや怒り、そして不満だったのです。

そんな経験を経て、“信念”に支配されるとどうなるか?

信念という言葉の元に自分の正しさを主張し他を寄せ付けず、さらにその考えを他に押しつけるようになってきます。
 

それは即ち、自ら思考停止状態に陥っていることに他なりません。

すると最後には思考停止し正しさを主張する同類ばかりが集まり、信念に依存することによって成り立つ集団ができあがり争いに発展していまいます。

信念の戦い!なんでことに・・・・

では、信念は必要ないものなのか?

否、やっぱり大切なものだと思います。


わたしが言いたいのは、信念は大切ですが、もっと大切なのはが「意識的に生きる」ということ。

即ち信念に頼らず、変わる勇気や覚悟を持つことだと思うのです。

私はこれまで何度か“信念”を変えてきましたが、その時はたくさんの非難を浴びました。

急にそれまでと違うことを言い出したのだから当たり前のことです。

しかし、信念を変えたことにより自分で作った拘束が外れ、とっても楽に生きられるようになりました。

 

そして、“信念”の捉え方が変わったのです。

今私が思う信念とは最初に持つものではなく“結果”で良いのでは?と思うようになりました。

つまり“信念”を作るための仮説をつくり、それを証明するための行動をして、出てきた結果を“信念”とすればいいのだと。

だって、信念が持てなかったから上手くいかなくなったのですから、最初から信念なんて持てるはずありません。

 

そんなことでわたしは、「信念なんて持ってなくても、信念をつくるために行動することが自分の未来をより良く、望んだものにしてくれるのだと思うようになったのです。

 

 

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以前にもお伝えしたように緑内障での視野欠損が進み、PCやスマホが見え辛くなってきたので、今年からこれまで出版した著書の内容をアップしています。。

 

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三日坊主で良い!

   

ものごとがなかなかうまくいかない人にその理由を聞くと、「優柔不断で何をやっても三日坊主で継続することができないのです」なんて言葉を良く聞きます。

 

しかし、それは「三日坊主で継続できない」ことに問題があるのではなく、継続できないこととうまくいかないことをイコールにしてしまうことに問題があるのです。

 

つまり、うまくいかないかった時の理由として“三日坊主”を自分で選択しているということ。

 

それは子供が緊張するとお腹が痛くなることと同じ。

 

また三日坊主になってしまうので、変わりたくないという自分の意志でもあります。

 

例えば、タバコをやめたくて禁煙をするけど、いつも三日坊主になってしまうという人がいたとします、その人は頭の中では健康のために止めた方が良いと頭の中では考えているけど、本当は止めたくないのです。

 

だから、「自分は三日坊主だ」という解釈をつけてたばこを吸うことの理由付けをしています。

 

そんな人に「三日坊主はよくないから頑張って継続しなさい」といったとしても本人が継続できないと決めてしまっているのでそれは無駄なこと。

 

ではそんな人が上手くいくにはどうしたらいいのでしょうか?

 

「三日坊主を継続すればいい」と、三日坊主を肯定してあげるのです。

 

 

 

すると“三日坊主=できない”という自己否定から“三日坊主でもできる”自己肯定に傾き、「ならばやってみよう」と肩の力が抜けることで徐々に継続ができるようになってきます。

 

習慣というものは良きも悪きも、繰り返してできたことの結果です。

 

とはいっても、最初から毎日繰り返してきたわけではなく、最初はたまにであったものが3日に1回になり、2日に1回になり、毎日になるといったように自分で意識することなく徐々に習慣になってきます。

 

最初から毎日なんてことになったら習慣になるものも、ならなくなってしまうのではないのでしょうか?

 

なので、最初から毎日続けるなんてことができるのはごく一部の限られた人だけで、それを無理してやろうとすれば体や心にダメージが残ってしまうのです。

 

わたしは若かりし頃プロボクサーだった経験があるのですが、ボクシングというスポーツは3分1ラウンド間に1分休憩があるので、練習もすべて3分刻みで1分の休憩を入れるというスタイルと採ります。

 

この練習を始めたころはこの3分がとても長く感じ、1分が短く感じますが、徐々に慣れてくることで知らず知らずのうちに何ラウンドも続けることができるようになり疲労も少なくなるのです。

 

「3日坊主を繰り返す」というのもこれと同じ原理。

 

出来ないことを無理して変えようとするのではなく、変わるようにするということなのです。

「またダメだった! でもまたやろう」を繰り返すことで、前の習慣は徐々に薄れて、知らず知らずのうちに変わっていくことの方が自然だとおもいませんか?

変えられないものを変えようと思うとストレスを生みます。

そのストレスこそが変化を阻害する要因なのです。

だから“三ヶ日坊主”こそがストレスをかけずに変わる最大の武器だと思うのです。

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心が病むのは当たり前!

わたしはがんが発覚する2年程前に「うつ病」になり3か月間休職しました。

 

その後職場復帰をしましたが、うつ病=怠けもの病といった意識があったため、周りに対する後ろめたさや自分に対する惨めさに苛まれ、それらを払拭しなければと、さらに体と心に鞭打って頑張りました。

 

苦境な状況になったときにはどうしても心が病んでしまい、その病んだ心がさらに状況を悪い方向へ向かわせてしまいます。

 

わたしも、それに違わず何のために頑張っているのかもわからなくなり、すべてを投げ出して楽になりたいと思うようになりました。

 

今思い返すと、そんな心がガンという病を呼び込んだような気がしています。

 

それが証拠に、がんと解ったときほとんどの人は目の前が真っ暗になりますが、私の場合は「これで当分大手を振って会社を休める」とほっとした気持ちの方が大きかったのです。

 

また入院してうつ病の症状も軽減されましたが、その理由はがんになったことで、これまで必死に頑張ることで隠し通してきた小さくて弱い本当の自分に戻ることができたからだと思います。

 

「うつ病」は自分の本当の心に蓋をすることで起こる病気だと思っています。

 

「うつ病」の鬱は鬱蒼のうつで、その状態は草木が生い茂っている自然なさまともいえます。

 

しかし現代社会ではその鬱蒼という自然な状態を、雑然、危ない、汚いなどと悪い解釈をしています。

 

私はうつ病もこれとまったく同じで、人の自分らしく自然な心で、あれがしたい、これをしたいと、自由に生い茂ろうとする心を、あれをしてはけない、これをしてはいけないと規則や規制をして蓋をしてしまいます。

 

更に言えばこれに加えて、「常識」「普通」という概念が入ってきます。

 

「常識」とか「普通」というのは、森に言い換えれば「人工林」のようなもの

 

人間の都合で自然豊かな森に杉や檜を植樹し、そしてそれを管理できなくなったら今度は、危ない、汚いなどと言って近寄らない。

 

挙句の果ては生物の生態系を壊して、苦しくて出てきた動物を排除する。

 

これは、うつ病や精神疾患の患者さんを排除しようとする現代社会とまったく同質なものだと思います。

 

鬱蒼とした状態を言い換えれば「生命力」溢れた状態です。

 

それなのにそれを社会の都合の良いように変えようとすることで「生命力」を奪ってしまうのです。

 

私がうつ病を克服できたのは、

 

この「常識や普通という概念」の蓋をはずしたからです。

 

これも癌になったことで価値観を変えざるを得なかったことが大きかったと思います。

 

うつ病は「病」ではないと思っています。

 

従って、うつ病の患者さんを治そうと思うことで逆に治らなくなってしまっている様な気がしてなりません。

 

治さなければいけないのは、患者さんではなく周りの人のほうではないでしょうか?

 

しかし、これは一人や家族だけの問題ではなく社会の問題なので状況は変わらないのです。

 

私がうつ病になって、そして克服した体験者として語れることは、

 

自分に素直で純粋だから「うつ病」になってしまう。

 

更に言えば、良い人過ぎるのです。

 

とは言っても、「うつ病」になってしまった原因は患者さんにはない訳ではありません。

 

患者さんは自分の本当の心に蓋をすることで、生命力を奪ってしまったことがうつ病になってしまった原因だと思います。

 

つまり「うつ病」とは、常識によって生命力を奪われ、常識に囚われた自分の価値観が自分の心を突き刺し生命力を奪ってしまうことから発症する病だとわたしは思うのです。

 

心が病んでしまうのは、自分の心に嘘をつけないくらいまじめな人だから。

 

即ち正常だからなのです。

 

そして私がうつ病を克服できたのは、この章で書いたような常識を超える非常識な生き方をしたからだと思いま

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非常識は褒め言葉!

わたしはこれまで多くのがん患者さんを見てきて、がんを治すためには常識を超える力が必要だと思うようになりました。

常識とは世間一般共通の価値観

がんという病は、治らない病でイコール死や終わりということが世間一般です。

したがって多くの場合、がんになったらもう自分ではなすすべがなく対処はすべて医者や病院に委ねるというのが常識となっています。

 

そこで私が不思議に思うのは、がんになったほとんどの人が常識で治らない病を治そうとして、常識の中であれこれしているということです。

 

常識を覆そうと思うのなら、常識から外れなければいけないということは誰でもわかるはずなのに・・・・

だから、がんが良くなる人は、たとえ病院で医者に罹っていたとして、考え方や言動が常識を越えている人が多いのです。

たとえば、がんになってもまったく気にしない。

この際だから、楽しもう♪

どうせ死ぬのだから、悔いの残らないようにしよう♪

医者は信用せず、自分で治そう♪

これらすべて、世間一般の考え方とはかけ離れているので、それを可笑しいと言ったり、非難したりするのです。

私が仕事を辞めると言ったときも、「辞めて食っていけるのか?」

「世の中そんなに甘くはない。家族もろとも路頭に迷うには目に見えている。」

定期検査に行かないと言ったら 

「手遅れになったらどうする?必ず後悔するぞ!」

「自殺行為だ!」等など、あれこれ言われました。

でも私はそんな非常識な行動をしたから今があると思うのです。

ごく一般の日常の中では常識に耳を傾ける必要があります。

多くの意見に耳を傾けようとしなければ、間違えなく周りから白い目で見られ爪弾きにされてしまいます。

 

しかし、非常事態の時は常識に縛られていたら、常識の範囲を超えることはできません。

当たり前のことですが、常識で乗り越えられない事態だから、非常事態なのですから。
なのに、多くの人は常識の範囲を乗り越えることができない。

私は自分の体験、そしてがんから蘇った多くの方とお会いした経験を通して、非常事態のときには常識を越えた行動や考え方、そして発想が必要だと思うのです。

人生の中には、たとえ非常識だと言われても、やるべきことがあります。

それができないから、非常事態に陥ったらそこから脱出できないのです。

動物は身に危険を感じたら死に物狂いになるが、人間は知識が邪魔してなかなかそれができない。

非常事態に陥ったとき、あれこれ考えず、後先を見ず、なりふり構わず、常識を超えた行動をしてこそ、そこから復活への道が見えてくるのです。

 

わたしは人から「非常識だ」といわれたら、「自分らしく生きているのだ」と解釈して喜ぶようにしています(笑)

 

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守るべきことなどない!

こんなことを書くと怒られるかもしれませんが、自分の人生が悪い状況のなったときには生きていくうえで〝守るべきことなどないのでは?ないか?″と思うようになりました。

 

もちろん守るべく大切なものはありますし、人の道は外さないことは言うまでもありませんが、守るべき事となると????なのです。

 

約束、時間、ルール、規律、法律も時と場合には・・・・
 

これらを守ることはとっても大切なことではありますが、守った方がいいことで守らなければいけないことではないと思うのです。

 

その理由は、“守らなければいけない!“というストレスが私たちを苦しめる大きな要素となっているから。

 

会う約束をしたのだから体調が悪くても破るわけには行けない。

 

一度決めたのだから守らなければいけない。

やると自分で言ったのだから、その言葉は守らなければいけない。等など

 

以前のわたしも人間として、大人として、これらは守るべきだと思っていましたし、言ってもいました。

 

しかし、会社で管理職になり、仕事も多面化してくると徐々に守るべきことに拘束され自分らしさは欠落していき、心は雁字搦めに・・・

 

その結果、鬱になり、がんになったのです。

 

するとさらに守るべきものという意識が重くのしかかってきたのです。

 

ガンになる前の生活、地位、家族の生活・・・・

 

いったい自分は何のために生きているのか?

 

それらを守って、一番大切な命を守れなかったら本末転倒ではないのか?

 

守らなければいけないのは自分と家族だけ。

 

それさえきちんと守りさえすれば、たとえ他はすべて失ったとしても人生に悔いはないと思いました。

 

規則や約束などを守ることは人としてとっても大切なことです。

 

しかし、それは自分が守ると決めればいいことで、人に守らなければおかしいとか、ダメだとか言って押し付けるものではないような気がします。

 

例えば

 

私は時間を守れないルーズな人は好きではありません。

 

何らかの事態があってたまに遅れることは誰にでもありますが、ルーズな人は遅れても言い訳ばかりで早く来るという選択肢はありません。

・   

自分の都合で人の時間を奪っていることに気付いていない自分勝手な人なのです。

 

しかし、私はそれをとやかく言うつもりはなく、いやだったら離れるようにします。

 

人には人の価値観がありますから、自分の価値観とは合わないことの方が多いでしょう。

 

約束もしかりで、時間が変われば状況も考え方も変わります。

 約束したからといって、それに拘束されたらずっと過去にとどまることになり、未来は過去の延長線上にしか存在できなくなってしまうのです。

 

わたしは「守るべきことは何もない。」と思うようになって、常に自分が変化できるようになり、人生の幅がひろがり、生きることがとっても楽になりました。

・   

困難な状況に陥ったとき、重要なことは守るとか守らないとかではなく、自らがどうありたいか?という視点で決め、その自分との約束を守るためだったら、人の道さえ外さなければほかに守るべきことなんて何もないと思うのです。

 

 

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