私は以前、「いのちの田圃の会」というがん患者会の会長をして講演やセミナーで回っていました。
しかし、全国縦断キャラバンで全国の会員さんとお会いすることで、自分の立ち位置に疑問を感じたことで患者会をやめました。

講演者やセミナー講師という立場はいわば先生。
どうしても上から目線になってしまうのです。

するとどうなるか?
関心が出来のいい人にむいてしまう。
そして、できない人はダメな人となってしまうのです。

以前の私もそうでした。
命がかかっているのに、なぜ変えられないのだ?と・・
そして自分や治った人たちはこんなにやってきたんだと・・・

すると、私の周りにはできる人が集まりできない人は去っていく。
その結果、さらに自分のやっていることが素晴らしく感じて突き進む。

そんな感じで、視野狭窄に陥っていたのです。

しかし、キャラバンで全国を回ったとき、何人かのひとに「変えれば良いことは分かっているがそれができない。できなきゃ治らないということは、私たちに死ねということか!」と言われたのです。

出来ないことをやれと言ってもできるわけないし、それを強要することで更に状況を悪化させてしまう・・・・。

人を助けるつもりが、同時に傷つけ苦しめてきたことに気づきました。
そう思って見回すと、世の中そんなことばかり・・・

成功論や偉人伝は出来た人の話だし、それぞれ立場も環境も違うので一つのケースでしかありません。
それを番人に当てはめようとすることが、人を苦しめ格差社会を作り出してるのはないか?と

さらに言えば、その成功者が作った社会で、普通の人がそれに合わせようとするから、これほどにも体や心の病が増えているのでは?と思うようになったのです。

ならば私のやるべくことは、同じ立ち位置にで共に過ごすこと。
そのためには今までの概念に合わせるのではなく、私たちの概念を作ること。
出来ないことを悔やむより、できることを喜び共有すること。

そこには教えることはなく、ああなりたいという目標と実践者がいるだけでいいのです。
赤ちゃんは、歩いている人を見て、自分も歩いたら違った世界を見れると思って、転んでも転んでも笑顔で立ち上がってあるこうとします。
 
私はそれをイメージしています。
 
私たちが「めぐみ農場」でやっている自然栽培も同じ。
人間が植物の上に立って育てるのではなく、自然界と同じ目線に立った栽培なのです。

だ方外から何も入れず、その場の環境を整えてあげるだけ。
それは「自然を信頼する」ことで成り立ちます。
壊した自然が戻ればきっと元気になると・・・

いくら台風で倒れても、害虫に食われても、きっと良くなると信じて。
それは癌になったとき自分の自然治癒力を信じて目の前のやるべきことをしっかりやることに他なりません。

その結果、自分にも人にも優しくなれる社会が創れると思いませんか?

それは「めぐみ」を感じることができる立ち位置。

私たちはそんな想いを「めぐみ農場」に掛けています。

偉そうなことを書いていますが、私もまだ以前の“教えぐせ”や“上から目線”が知らず知らずのうちに出てきてしまいます。
めぐみ農場は私自身が自然を信じることができるる人間に成長するための場でもあるんですよ(^^♪

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