少し落ち着いてきました。
ご心配くださった方々ありがとうございました。
今は実家で仏守りをしています。
兄弟で順番に朝から夕方まで実家に居て仏番をしています。
空き家になってしまったので夜は誰も居ません。
実は、今朝父親が夢に出て来てくれました。
苦しい顔でもなく、笑顔っぽさのある表情でした。
話をしようとした所で目覚めてしまいました。
父親の健忘録と言うのもおかしな話ですが、振り返りは行いたいと思います。
時系列で言えば
23日に私は父親に会っています。
毎週土曜日に洗濯や1週間分の食事を支度しに来ていました。
いつも何も言わないのに父が
『毎週毎週土曜日に来てもらって悪いなって思う。近所の人もお前は娘が世話してくれてええな。遠い所から毎週来てもらって可愛そうやなって言われて』
私は『みんな羨ましいと思ってるんよ。』
父が『そうやな。羨ましいんやな。』と笑いました。
土曜日は土用の丑の日だったので鰻を食べさせてあげました。それとビールと唐揚げ。
父親はここ数年唐揚げが好きになり、毎週買っていってました。ちなみに、私が作った唐揚げは美味しいけど…(笑)2日目はカチカチと言われました。
毎週土曜日に1週間分の出来事をお互いに話してました。
私は婦人科で排卵済みだった話をしようとしてやめました。いつもの婦人科受診した話もしていたので。
何故かその時は話すのをやめようと思ったのです。
父親も特に話す出来事も無くて、高校野球の話や世界陸上の話をしていました。
好物のじゃがいもを炊いた物作ろうとすると
おかず一杯あるからもういいよと言われました。
鯖が好きでいつでも焼けるように1つずつラップして冷凍庫に入れておきました。
卵焼きもいつも作ってました。
ここ最近目玉焼きが好きで大体3個目玉焼きにしてましたが、その日は目玉焼きもいらないと言われました。
今思えば、その時は近かったのです。
鰻は生協の4パック国産を買っていて、1つ食べたので後3回食べれるね〜と笑って言いました。
ビールは冷たく無かったけど、氷を入れて飲んでました。
『うまいなぁ〜ビール飲みたかったんや〜』
と、一気に2本飲んでました。
焼酎も持って行ったので『これもちょっとだけ飲もうかな』と水割りにしていました。
家は専業農家で昼からは特に仕事がなく家で過ごすので飲んでもいいなと思ってました。
私はちょっとした片付けをして、桃を貰う予定だったのでいつもより早目に帰宅すると父に言うと『早よ帰れよ〜気をつけてな』と見送ってくれました。
もう会えなくなるなんてその時は分からなかったから。
いつも帰りに『また来週来るわ。何か欲しい物あったら電話してよ』と言って帰ってました。
あの時と思う事は一杯あります。
日曜日は珍しく玄関の納戸を掃除してた私
夫の着ていなかったクールテックのシャツが新品のまま2つ出て来たので父親にあげようと思いました。
そして、ハンガーも足りなかったので持って行ってあげようと紙袋に入れて玄関に置いてました。
玄関の納戸というか、クローゼットはコートなどしまう様にしてましたが、いざと言うときの為に喪服も入ってたのです。
喪服は当分いらんしなぁ。2階のクローゼットに持って行こうと出してました。
虫の知らせだったのでしょうか。
ある程度実家に持って行ってあげようと紙袋に入れていたら『父に電話しよう』と思ったのです。
しなかったですが。
その頃はお昼を少し回った所でした。
多分電話しようと思った頃父は他界したのだと思います。
死亡推定時刻が昼頃になってました。
父は1日半発見されずだったのです。
最後に父に会えてよかったと思うけど、やっぱり色々考えるし後悔も出てしまう。