もう23年…

もうすぐ四半世紀か(--;)

今のオレの年齢の頃の父親はさすがに記憶にあるな

数少ない記憶の中で、この2~3年の記憶が比較的あるけど、2人で過ごした時間はやっぱりホント少ないな、、、


なんで行ったのか覚えてないけど、もしかしたら意味なんかなくただたまたま行っただけなような気がするけど、連れていってもらった喫茶店はまだあるのかな、、、


下町の商店街の端の1本入った道にある、なんてことない喫茶店


それもたぶん1回か2回行っただけの何の思い出もない喫茶店


そんなとこしか二人で過ごした記憶がない


それでも父親は父親で、オレの中には確実に存在する


親父と呼ぶこともなく、お父さんとも呼んでない


幼少期のパパママ時代から進歩する共有の時間もなく、そこで止まっている

オレだけが大人になり、だいぶ年齢も近くなりさすがにパパはしっくりこないな



オレが今いるから父親はいたが、お父さんも親父もいない


いるのは遠い昔の微かにあるパパがほんの少しいるだけだ







今夏にまた命日が1つ増えた

大好きだったお婆ちゃんが長い人生を終えた

最近は入院していたが見舞いにも行けず(行かず)なかなか会えてなかったが、休みの日の夕方に、ふと行こうと思い病院に行った

後から聞いたら最近は寝てばかりだったらしいが、行った時も案の定寝ていた

婆ちゃんの寝顔を見て、なんかすっかりお婆ちゃんだな…とか思い、あと何回会えるのかとか思って数分見て病院を出た

それが最期に会うことになる他界する4日前だった

とくに行く予定ではなく、何気なく行っただけだけど、後から考えると、最期に呼ばれたんじゃないかと思う

実際に最期に会った親族はオレだったらしい


孫の中で、オレがダントツにお婆ちゃんと一緒に過ごした

小さい頃は毎週泊まりに行き、一緒に電車に乗り、一緒に飯を喰い、一緒に風呂に入り、一緒にテレビを観て、一緒に寝た

大人になってまた同じ屋根の下に住むことになり5年位は一緒に過ごしたかな

家を出てからは会う機会は減ったけど実家にいたから帰れば顔を見た

寡黙なひとだからとくに会話はなかったけど、会うと嬉しそうな顔をしてくれてた


とくに何かを語ることは昔からなかったけど、オレへの行為、オレを見る優しい目から、オレはお婆ちゃんから色々なことを教わっている


今のオレにいいところがあるとすれば、それは幼き頃にお婆ちゃんからもらった愛情によって育まれたものだろう



眠った顔はとても穏やかな顔をしていた



もうすぐ50数年ぶりに爺ちゃんと同じところに行く

ずいぶん離れていたし、爺ちゃんとゆっくりとしてね


もうすぐ2年が経つ

ひとはなぜ生きるのか?
ヒトはおそらく自分が死ぬことを知的に理解している地球上の唯一の動物である

それでもひとは未来に希望を持って生きていけるのだから不思議だ


他の動物も本能的に食べられないようにしたり、危険なことはしないから、死は分かっているが、それをしなければ死なないと思っている……というかそんなことすら考えていないように思う

また自分以外の仲間や同種の死を目撃するが、死を理解して、死を悲しんでいる様子はない

以前テレビで見たが、ヒトの進化の過程でもネアンデルタール人以前は、仲間が死んでも数歩歩いたら、その事実を忘れていたと考えられるといっていたから、現代における他の動物もそうである可能性が高い


さて、オレの人生

平均寿命で考えたら、ザックリであと半分

ただし保証はないから、今突然苦しくなり倒れても1秒は生きていそうだから、残り1秒~約40年

仮に長生きしたとしても、あと約60年だ


絶対に100年後にはいないことを知っている


なので後世に繋げるようにと考えるが、生物の歴史上では今の人類はたいして長くないし、滅びる可能性のが高いだろう

そもそも地球自体もいつ無くなってもおかしくないし、運良くいっても50億年後には無くなると言われている


つまり自分だけでなく、ひとも地球も将来は無いことを知っている


だが、現実の日々は"未来に希望を持って生きている"


未来のために今日をがんばり、明日は必ず来て、よい日になると願っている

どんなに頑張っても、どんなに成功しても、必ず未来は終わるのに明日以降の未来を考え生きている



この矛盾の中で生きている



ひとはなぜ生きるのか?


生まれてしまったから?


生物として死ぬことが恐いから
生きているのか?



そうではないと思う


もちろん生物"ひと"の最大のテーマの1つとも思えることだから絶対的な答えは分からないが、"終わってしまうから無くてもいい"とはならないはずだ


ひとは、命を自ら断つことをする唯一の生物だ(と思う)
日本においても99.99%以上のひとはしないが、するひとがいる

色々な事情があると思うし、そこには哀しい想いが多く切ないが、ひとがそれをする時は"未来に希望が無いと思った時"なんだと思う



ひとは死ぬために生きているのではない

"死ぬまで生きること"に意味がある


無期で有限である人生は、その生きている間に価値がある


だから、未来に希望をもって生きるのだと思う