気がつけば社会に出てから四半世紀が経つ

同級生の中には子どもが成人し社会人になっているひともいるし、未成年でもだいぶ手のかからない年齢になっているひとが大半だ

そんなこともあって少し時間や気持ち的にゆとりができたせいか、ここ数年は地元の小中学の同級生と飲んだりする機会が多くなった

会うのが中学卒業以来の奴なんかも多く、人のことは言えないが、みなガッツリとオジサン、オバサンになっている笑

家族を持ちそれなりに幸せそうにやっているやつもいれば、まだ独身のやつもいるしバツがついて今独身もいるし、脳梗塞や糖尿病なんてやつもいる

話す内容は毎回同じで、当時の思い出話、子どもの話、老化の話、その場にいない同級生が今どんな感じかを知っているやつから聞く、、が入り乱れた感じだ

そんな中で何年か前か昨年かに、当時学年で一番人気の女の子の話がチラッと出たことがあった

その娘は、可愛いくて、頭が良く、運動もできて、性格はよく分からないけど大人しく誰にでも優しい感じで、男女の誰からも嫌いとかイヤなことを聞いたことがない、絵に描いたような素敵な娘で、小学生の頃から可愛い子だと思っていて、たぶん男子全員が思っていただろう

中学卒業後は会うことがなく、20歳位の時に車で地元を通った時に一度だけバッタリと会った

どこかに出掛ける時で駅に向かっているとの事で、歩いても駅まで10分もないのに「乗って行きなよ」とわざわざ言って数分間だけ二人の時間を過ごした
当時大学生の彼女は少し大人びていて化粧なんかもしてて中学時代よりもさらに可愛くなっていた
数分間なので大した会話はしてなく普通の話しかしてないが、四半世紀経った今でもよく覚えている


その彼女が先日、他界した


聞けば珍しい難病になり、気がついたときには手遅れで、おそらく延命の闘病生活を1年位送っていたらしい

お通夜で、四半世紀ぶりに会った彼女の遺影は彼女の面影があった

彼女自身はおそらく闘病の副作用などもあったのだと思われ少し印象が違った

そしてみなと同じで少しオバサンになっていた

まだこの歳で逝くのは早すぎるけど、ちゃんとオバサンになるまで生きたんだと思うと、少し救われた気持ちにもなった

彼女のお母さんが最後の2ヶ月の様子を言葉に記した内容が貼ってあった

その内容から、彼女は変わらず優しく、家族を愛し、日々を豊かに過ごし、とても気丈にいたことが分かった

実際に彼女の人生がどうだったのかは分からないけど、中学生の頃の彼女から反れることなくそのまま大人になり素敵な人生を過ごしたのだと思う

みんなの中に彼女はいるし、オレの中にも彼女は居続ける


この1年は大変だったことだろうし、これからは安らかに過ごしてね

また、しばらく会わないかもしれないけど、また逢おうね
当たり前だが今年も父親の命日がきた

今年で25回忌

なんとなくだが、一周忌のあとは3回忌や7回忌とか13回忌とか、なんか素数の時にいうイメージがあるから25回忌はなく、本当は2年前の23回忌あたりが正式なのかな(^^;

まぁどっちにしても、約四半世紀の年月が経過していて、個々では何か思ったりしてるのかもしれないが、家族もとくに何もしないし、それに触れることさえもない

父方は、爺さんはオレが生まれる前に他界してるし、婆ちゃんも100歳まで生きたがもういない

オレから見て叔父や叔母にあたる父親の兄弟は、訳あってアフリカの家族みたいに兄弟が14~5人いたが、比較的親い叔父叔母も近年立て続けに他界し、考えてみたら、父親にとって近い存在は元嫁(我が母)と兄とオレくらいしかいないから、その家族が何もしなければ、当たり前だが何もない

それがとくに薄情とも思わないけど、それはそれで当人だったら、なかなかさみしいものかもしれない


父親は25回忌というだけあって、父方家族の中では、爺さんと1~2人の叔父さんに続いてあの世にいったので、比較的早い方だ
ったけど、今は家族の多数が向こうにいるから、意外ににぎやかなのかもしれない

こっちの命日は、向こうでは誕生日みたいなものなのかな?

そう考えると、悲しい日なのか嬉しい日なのか分からなくなるけど、20年以上経ってもなんとなく思い出す

命日に思い出す時の感情は、もちろん楽しい訳ではないが、哀しいとも違う…


オレが覚えてないだけかもしれないが、そもそも共通の思い出自体が、数えるほどしかないが、けっこう鮮明に覚えているのは、20数年前の今日の日のこっちからあっちにいく直前の父親の姿だ

当時もまわりの大人たちのような悲しさは感じてなかった

3つ上の兄は父にすがるようにして、わんわん泣いていたが、オレはそんな気持ちではなかったな

どちらかというと、まわりに合わせて悲しい感じでいないと…とか思ってた

その後、お通夜、葬儀、火葬、納骨とあったが、たぶん1回も泣いてない


それでも命日は、父親を思い出す


それはオレが大人になったから父を思えるようになったからなのか、その後に色々な身近な人の死を経験したからなのか、またはオレが父が他界した歳に近づいてきて、あと何年かで死ぬという父の人生の長さが分かるようになってからなのか分からないが、哀しみとは違うなんか、なんかアナログだとマイナスなんだけど、デジタルな数値で表したらプラマイ0となるような感情になる


他の故人にはこんな気持ちにならないから、それも父親という特別な存在だからなのかもしれない
今年もクソ暑い夏ど真ん中だけど、正月の話

我が家は母子家庭だったためか、田舎がないためか、たまたまそういう考えの親なだけなのか、盆暮れ正月は夏休みや冬休みというネーミングの通り、この期間は"休み"な家庭だった

なので、当然お盆だからといって墓参りに行くこともなく、正月だからといって旅行に行くこともなく、紅白&隠し芸を観て団欒するなんてこともなく、個々に過ごすのが当たり前だった

個々に勝手にその期間生きているのだが、なぜだか、その個々の誰も旅行に行くこともなく過ごしていて、基本は家にいたり、どっか行っても帰ってくるのだから、家族はこの状況を悪く思ってなく、たぶん全員"旅行"という概念が薄いのだろう

そんな我が家は当然おせち料理なんてものはなく、まぁ仮にあったとしても、男兄弟だから、おせちなんか出されても嬉しくはなく、しょうが焼きの方がよっぽど嬉しかっただろうけど…

あったのは母がただ自分が好きだからという理由で栗きんとんと、一応みんないるので、数日分のモチとお雑煮の汁があった


なので、七草粥なんてものを世間では食べているなんて思ってもなく、人生で初めて食べたのは20歳頃の友達の家でだった

我が家がこうだからといって、他人の家は違うので正月早々から友達の家に行くほど図々しくはなく、たぶん年が明けてたまたま7日に挨拶も兼ねて行ったのだろう

おばさんが「七草粥作ったから食べていきなさい」といって出してくれた

友達は、たぶん毎年のことなんだろうから、そんなもんいらないし友達に出すなよ…といった雰囲気だったのを覚えている

ふだん食べない名前の草だらけの縁起ものお粥だから美味しいものとは思わなかったけど、"知識"としては知っているものを初めて食べるので、なんか少し高揚した

初めて食べることを友達やおばさん、おじさんに話し、驚かれつつ食べてみた時に、おばさんからお決まりの味の感想を聞かれた

思ったより草の味もなく、まぁ普通にお粥だな…と思ったんだけど、お粥自体が嫌いじゃないので「美味しいです」と答えたら、ウソばっかりと笑われた

そのあとはまたまたお決まりの七草名クイズを出されて、1つも答えられず撃沈した

つまり"知識"としてあった七草粥は正月に喰うものというだけで、実生活になかったので草名なんかは全く知らなかったのだ

おかけでそれからは七草を忘れない


それから1年か2年か経った時に、色々と事情もあり疎遠になっていて、それ以降会ってない

そのおばさんが一昨日亡くなったと聞いた

今思えば、あの七草粥を作ってくれた時のおばさんの年齢と今のオレの年齢は同じくらいだった

元気な姿しか見たことなかったけど、難病を患っていると聞いたことがあった


あの七草粥には、今年もみんな健康でいられますようにという想いと、今年も生きていられますようにというおばさんの願いがあったのかもしれない


おばさん、今安らかであるよう願っています
ご冥福をお祈りいたします