3月の診察で「したいことは早めにやんなさい」という主治医の話をそんまま受けて、このGWに(おそらく)最初で最後の海外家族旅行を金もないのに思いつき予約したチュウネンコ一家。オヤジは腹痛に悶えながらもいろいろ準備中。




4月18日 申請していたパスポートの受領に出かける。「必ず本人の受け取りが必要なんよ」と役所がいうので、一家四人で揃い踏み。「お名前と生年月日を行って下さい」と一人ずつ聞かれて受け取る。最後は小5の息子の番だ。



係員「お名前は?」

アホ息子「・・・ええっ、ほ、本名ですか?

家族全員と係員「・・・ぶわっはっはっはー!わははー。げはげは」

家族「おめえはいつから芸名つけたんだよっ」「とーちゃん知らねーぞ」「私もしらなあい、教えて、○○~(←本名)」

・・・何とか本名を言い終えて。

係員「生年月日を教えてください」

アホ息子「んーと、2000年の、きょ、きょうは4月のじゅうはちにち・・・」

家族「こら○○、今日の日付を読んでどうすんだ」「2000年しか合ってない」


緊張しまくりがストレートに出て、間違いなくアホな息子だなあと思うけど、微笑ましくて可愛いと感じる親としての感覚は心地よい。



20日 2週間ぶりの通院診察。継続的な腹痛、だるさと極端な体力低下、食べたいのに飲み食いが進まない状況など訴える。



主治医「また貧血が進んでる。副作用で赤血球がつくられにくくなっているけども、出血しなきゃここまで低下しない。胃の患部から出てるなー、こりゃ」

わし「あのう、先生が“したいことは早く”と言うので、5月連休に家族旅行をすることに。飛行機の搭乗時間が長くて・・・旅行中だけは、何とか体力を保たせたいんですが」

主治医「うん、貧血を直せば、ぜんぜん大丈夫。それじゃあ、次週の抗がん剤治療は中止・延期にして、旅行までは輸血することにしましょう。」



てな訳で、たっぷり鎮痛剤を処方してもらい、出発までに3日間の輸血点滴を行うことに。・・・しっかしさ、治療を止めてまでして「思い出づくり」の方が重視してもらえるんだねえ。俺の癌はマジで相当ヤバイのかなー。まだ国内温泉旅行だって行きたいのに・・・。





・・・痛っ!! 病院から家に帰って、室内に放していたウサ公のフサフサな毛をナニゲにいじっていたら、指をいきなり噛まれちゃった。(血は出ないけど、かなり痛いなー)さて、ボーっとしてる場合じゃない、これで旅行を満喫する段取りが一つ片付いた。そこそこ歩けるなら、面白い旅行にできるかもしれない。

stageⅣの、ちょい呑みブログ

 ▲犯人の赤茶のネザーランド・ウサ公。家具やコードは噛まないくせに。

癌の進行の按配から、こないだの診察時に「したいことは、早めにしといた方がいいよ」と医者に言われたので。


わし「じゃあゴールデンウイークにみんなで海外でもいくかあ」

妻「行けるときに行くしかないなら、まあねえ」

わし「パリとか、いきてーなー」

妻「・・・どこがいいか、子どもらにも聞いておくわ」


翌日

妻「フランスでいいってさー」

わし「はあ?マジか。グアムか、せいぜいハワイあたりに落ち着くかなと」

妻「子どもらもフランスがいいんだと。予約、取っちゃって」

わし「んじゃネットですぐに。・・・しかし、フランスでいいって何だよ、あいつら」


・・・というわけで、出発まで1ヶ月もない4月半ばに、空いていたパリ5日間の旅を予約。家族4人で100万。

わし「GWだからめちゃ高いなー」

妻「もちろん、ローンを申し込んでね」


パリでワインと料理に舌鼓!をもくろんではいるが、最近かなりやばい。

職場での飲み会も一次会の付き合いがやっと。そして食の量が激しく落ちた。食えないのだ。酒量も進まない腹痛もしんしんと恒常的。何より歩いたり立ったりだけで、疲れがめちゃ早い。酒席でも座っているだけでキツくなるときもある。


やべーなあ。たぶん最後の海外になりそうだというのに、微妙な体力だぜ。医者に頼んで、どうにか保つ薬とかを処方してもらお。もはやツアーのキャンセル代が半端じゃないからさ。


で、何が何でも楽しんでくるのだ。へへ。

生きてたよー  ひさびさ更新。

あんまりいろいろあったので、日記メモ的に整理しておこう。





2月14~15日 佐渡へ出張。会議後、両津のいつもの寿司屋に行くも食欲・酒欲なくホテルでバタンキュー。ああ「ナメタカレイの刺身」がピカピカしていて、丸々と焼けている「つくね」のうまそうな色合いを目の前にしながら、箸がつけられない、ビールも進まない!面白くないこの自分の体調。


27~28日 上越へ出張(の、ふりしてお遊び)。

stageⅣの、ちょい呑みブログ  板倉区の「かまた」でカニ会席料理を堪能。食いきれないほど、次から次へと新鮮なカニが出る。この夜は、唐突に開催された温泉混浴大会にもついうっかり参加したため「ものすごく飲み、そうとう食べる」状態に。


3月上旬 ほぼ毎晩「ギネス・スタウト」をちびりと呑み、チーズ「パルミジャーノ・レジャーノ」をつまんでいた(どちらも、はまっている大好物!)が、どうも恒常的な腹痛がやってきたような感じになってきて。


3月11日 事業報告承認や4月からの人事など決める会議で、壇上でとある議案を提案中にグラり。「私の、なまず頭のせいで揺らしてごめんね」とちょとだけ笑いをとるも、ホテル2F会議場のシャンデリアはいつまでも揺れっぱなし。

  ・・・被災された方々には、心からお悔やみとお見舞いを。


3月16日 腹痛、貧血がひどく、予定していた抗がん剤は中止。


17日 「おっ。ひさびさじゃん」「ついにはげたねえ」というナースの視線を感じながら腹痛に悶えながら入院。

医者「チュウネンコさん、CTの結果ね、癌が広がってたわ

わし「はあ。やっぱり」

医者「今の薬はもうやめて、次のやるから」

わし「はあ。もうそれしかなければ」

医者「抗がん剤は、去年6月から12月まで、S1とシスプラチン、今年1月に拡大見られたのでカンプトに変更して。今回また進行しちゃったからパクリタキセルという薬に」

わし「パクリもダメならどうよ」

医者「この4種を使い回し。成分や薬効がそれぞれ違うので抑止的なことは期待できる」

わし「はあ、なるほど。で、私(の余命)はあとどれくらい・・・」

医者「わからない。ただ体力があるうちに、やりたいことをしておいたほうが良い。早めに」

わし「ははあ、わかりました」



23日 退院。事務所へ顔を出して元気だよとアピール。妻の誕生日なので夕食は寿司屋へ。さすがに今夜はノンアルコール・ビールでやめとこう。  ああ、うにが旨い。シャバはいい。パリと南イタリアとか、ヨーロッパに行きたいなあ。

 まっ、とりあえず元気よくまた仕事に行こう。