は、7年前から帯状疱疹と胃がんに罹患してから、認知症のような症状が…


は10年前から誤嚥性肺炎を繰り返し入退院を繰り返し、今年二月またまた入院し、口から薬さえ飲めなくなり、点滴だけで生きています。


総合病院は、もうここで何も治療することはないので、療養型の病院へ転院を勧められ、今申込みを何件かしています。


明るかった母の事、ワガママで母に依存して生きてきた父の事


そして私のことを書いています。


母が認知症になった経緯は ↓



母の兄、私の叔父が亡くなって、

もう15


母は自分の家族、

自分が産まれた家が自慢でした。


いつも、

私の家、私の地元を

軽く小バカにしていました。


それは直接的ではなかったけど、

言葉の端々に表れていて


私の地元は、

本当に田舎で民間のバスもなく、

田んぼだらけです。


母は、まあ街の出身で、

祖父の会社が潰れるまでは

お嬢様として育ちました。


3つ子の魂、100までといいますものね。





田舎に嫁に来て他のお嫁さんと話した時のギャップ


子供の時から日本舞踊を習っていたこと


お手伝いさんがいたこと


地方議員をしていた祖父のこと


祭りとなれば、親戚を集めてご馳走をふるまっていたこと。




そして美人?(だったらしい)母がモテたこと。(娘としてこんな話聞きたくなかった)真顔


認知症になっても、話すのは昔の話ばかり


少しは私や兄の話をしてほしいと思ってしまうほど。


イベントバナー


父と結婚してから苦労ばかりの母。

この話はまた今度話します。


それでも、明るい母に育てられ、なんの苦労もなく育ったことは感謝しかありません。


話はもとに戻りますが、

母の兄、叔父は神奈川県に住んでいました。なので私のいとこも神奈川県にいたので、私にとっては、まあ他人みたいなもんですが。


叔父は、

もともとこちらの出身で

代々続くはこちらにあります。

母や叔父が育った家は、

祖父の会社が潰れたあと、

整理したんだと思います。

今はありません。


私の従兄弟(母の姪)たちは、

二人共娘で嫁いでいます。


叔父の遺骨は、代々続く墓に納めることになりました。


従兄弟たちが、唯一地元で頼れるのが、

わたしの母で、母は本当にお節介というほどの世話焼きの人だったので、それはもう一生懸命お世話していました。


叔父は、向こうではお寺との付き合いもなく、

亡くなった時、

従兄弟たちは葬儀屋から紹介されたお寺に葬儀を依頼すると、30万だったかな?


恐ろしく高額で、その話を聞いた母は、

母の従兄弟のお寺に相談。

すべて10万で神奈川県まで行ってくれることにはりました。


母の実家の墓がある地元の寺にも、母が依頼して49日法要をたのんで執り行われました。

一周忌までは、従兄弟もこちらにきて滞りなく行われました。


そんなこんなで、従兄弟姉妹は母に恩義を感じ

御歳暮御中元を母あてに送ってくれていました。


美味しそうな物が届くと、

いつも母は



サムネイル

〇〇ちゃんから、美味しいものとどいたよー。

今度とりにおいでー。

子ども達には食べさせてあげて!


と電話をかけてくれていました。



気づいたのは一年くらい前ですが、

そういった連絡がパタッと無くなったのです。


先日、実家の掃除をしていた時に

二階の荷物がたくさんある所に段ボールが

開けてみると、

芋けんぴが、賞味期限は1年前のものです。

母の姪、私の従姉妹からです。


なんで2階にあるのか?謎ですが


あー、やっぱり従兄弟は送ってくれていたんだ。

私は従兄弟と全然連絡をとっておらず、母を介して従兄弟の近況を聞いていました。


きっと母は2年くらいは、荷物が届いても、お礼の電話をしていないんだろう?

申し訳ない。


従兄弟はこちら出身ではないし、こっちの親戚とも付き合いがない。

何も知らず、好意で送ってきてくれていたんだ泣き笑い


実家の整理をして、

従兄弟からの年賀状を発見!

従兄弟姉妹に、それぞれ手紙を送りました。



母が認知症で、今年には施設に入らなくてはならないかもしれないこと


父も今、入院していること


お菓子など、受け取っても、母はもう分からなくなっていること


年賀状も数年前に高齢でやめて、出せないこと


本当に今迄、御歳暮や御中元、年賀状をありがとう。


住所しか分からないので、

慌てて手紙で送りました。


それが2週間くらい前


そして昨日

従兄弟から手紙が届きました。


そこには



 

母に対する感謝


今迄連絡なくて心配していたこと


手紙を読んで実情を知り驚いたこと

また何か手伝うことがあれば連絡くださいと

携帯番号が書いてありました泣き笑い


嬉しい!嬉しすぎる。


従兄弟からの手紙



母がいたから、

色んな事がまわっていたんです。

従兄弟がこう言ってくれるのも

母が今迄、見返りを求めずに

誰かのために頑張っていたから


そうじゃなければ従兄弟も

御歳暮御中元送ってこないし、

手紙の返信も無かったはず。


母と叔父(母の兄)もとても強い兄弟愛があったので、叔父が亡くなった時の母のショックを今でも思い出します。


そして、今も母の心は、

幸せだった実家にあります。


そして芋けんぴ、真空だったので食べました。

お腹痛くなってません口笛

※良い子は真似しないでください。