忘れないために。


初めて母がおかしいな?と思ったときのお話をします。


きっかけは…



帯状疱疹


でした。


スマイルゼミ(高校コース)

 


私はその時小学生の子供2人で、習い事の送迎や家事に追われていました。

たまたま派遣の期間が終わり、まだ家に居て仕事をしていませんでした。


私は人に頼るのが苦手で唯一甘えられてワガママを言えるのは母だけ


車で1時間位の距離にある実家に子供を預けたり、熱が出れば実家へ行き、子供が難しい性格なので、そのことについて話を聞いてもらったり、私は一卵性母娘と言われてもおかしくないような母娘でした。


情け無いけれど、すべてを母に頼り生活していました。


母がいなければ、私はきっと途中で死んでいたかもしれないほど…。

友達もいるけど、心の内は話せない。

人付き合いも得意じゃない。



 

葬式に行く時は、何を持っていったら良いの?


唐揚げはどうやって作るの?


入学式に着物を着るから、準備と着付けをお願い!


母が居たから、夫に不満があっても安心感が得られ、子育てもできていました。


だから母が認知症になるなんて思ってもなかった。

母は楽観的で明るく社交的で、私とは正反対。

パワフルで、私が頭痛でしんどいときは、1時間かけて、家に来てくれたり、本当に私のことを1番に考えてくれた。




これから、

娘が中学
高校
大学
成人式

いろんなお祝いを母と幸せを共有して一緒に喜んで楽しんでいけると信じてたというか、それが当たり前の未来だと思ってた。



私は母に頼りっぱなしで、心配ばかりかけていた。


8年前の夏、母からの電話



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背中が痛くて背中を見たら、赤い発疹が出てて、これは帯状疱疹に違いないし、親戚に行ったら総合病院がいいっていうから、今、病院行った来たら帯状疱疹だって!

入院するか?ってお医者さんに言われたけど、お父さん1人に出来ないからやめたの。

父が、その3年前くらいから誤嚥性肺炎を度々起こし、夜中に高熱をだしていたから


私は、そっかそっかと母が決めたことならと、あんまりひどいようなら、また入院をすすめればいいくらいに思ってた。


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それでね、担当のお医者さんが、70過ぎて胃カメラしたことないなんておかしいって、胃カメラすることになったの。

でも、お母さん怖いからしたくない。


したほうがいいよ。歳だし

 
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胃カメラの日を過ぎてから連絡すると



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怖いから、用事できたって延期した


もう本当に自分のこととなると弱虫な母


でも、結局その1週間後くらいに胃カメラ

その日にまた電話があった



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お母さん、ガンだって。

でも初期みたい。

母は怯えていた。私もビックリした。



でも初期なんでしょ?良かったじゃない。

 
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それから母はおかしくなっていった。

毎日のように病院へ行くようになって、自分で運転していくのも不安になり、私に毎日病院へ連れて行くように要求した。

その頃仕事をしていなかったので、毎日1時間かけて運転して、そこから病院へ連れていった。

もうそのころ、父は免許を返納していたので、私しか居なかった。

母は運転出来るけど、よっぽど辛いんだろう。


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総合病院は、とても混んでいて、半日くらい待たなくてはならない。


母はお医者さんに



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息苦しくて…


デパスを処方された。


お医者さんは、

帯状疱疹の痛みは半年長くて1年以上痛い人もいます。

胃がんの手術は、検査を何回かしてから手術します。今のところは内視鏡手術になる予定です

と言われた。

そう言われても不安で、毎日のように病院へ


帯状疱疹の痛み

胃がんという病名

なかなか決まらない手術日


これが母の心を壊していきました。


私が居ないときも、近所の人から心もみてくれるという内科に1人で行ったり、私にまた近所の人から聞いた他の心療内科に連れて行けって言われた。


なるべく連れて行った。


同時に些細な事を忘れるようになった。


外食して、注文した物が届くと

お母さん、こんなもの注文したはてなマークはてなマークはてなマーク

と驚いた。


約束していた日がわからなくなって、来なかったり


あんなに大好きな孫が何年生か分からなくなった。


胃がんは本当に初期で、あの後内視鏡でとり、5年経って寛解になっている。

がんの手術って、緊急性ないとすぐしないんですね。知らなかった。

手術するまで3ヶ月以上あった。


母はその3ヶ月で、心が壊れたのだろうか。


人は寂しさ不安に弱い。


後妻業とかあるけど、本当は騙されていることをほぼ分かってて、寂しさに絶えられず、騙されててもすがっていたのじゃないかと思う。


私か兄が一緒に住んでたら、こうはならなかったんだろうな。


寂しさと寄り添う。時が戻るなら、あのとき側に居てあげたらよかった。