心と体と健康と豊かな人生ととことん向き合うブログ 太田 直 -4ページ目

心と体と健康と豊かな人生ととことん向き合うブログ 太田 直

元カイロプラクター&インストラクター

現在は心理学を学び、更にヘルスコンサルタントとしての道を歩んでおります。

皆様の心と体と健康と豊かな人生のお役に立つような情報をお伝えしていきます。

神仏を信じていますか?


この問い自体が間違っているという可能性を考えたことはありますか?



神仏は感じるものです。僕の中では。



感覚だから


証明はできない主観的なものだし、


完全な否定もできない。


うつろうこともありますから。



信じるか信じないかを問うならば

その応えは比較的論理的説明を問われるのが

世の習いであるからには



信じるか信じないかと問われた時には

論理的な説明がつかないという前提をもって

信じられない、信じないと応えるのが当然と言えば当然なので





あなたは神を感じますか?
あなたは神を感じたことがありますか?


と問うた時にはまた違う返事が返ってくるのでは?と思った次第です。


特に追跡調査はしてません^ ^;


本当はデータ取ってみたい^ ^
体が不調に見舞われる時

筋骨格系は歪みや緊張やだらけや痛みでそのことを教えてくれる



筋肉が弱化し逆の動作をする筋肉がが緊張し

歪みや緊張やだらけや痛みの起きる状態を作る


その状態を癒せるかリセットできるか、
また知らずにいるのか長期間放置するのかってところで



歪みや緊張やだらけや痛みが強くなったり、慢性化したり、複雑化する


歪みを歪みで補正することもあるし
性格とか運命とか他人の意見とか変えられないって思い込みで緊張やだらけが続いたりするし、
無理にポジティブに持っていったりや過剰にネガティヴに反応することで


それらの状態を維持し保持し、時に深刻化させる




筋肉が弱化している状態は対となる筋肉の交感神経が過剰に働く要因となるし、細胞の炎症も起きる。

筋肉の繊維化なども起こり、代謝が不活化し老廃物を溜め込み

いわゆる老化の状態を形成していく。



僕は老化の過程を全ては信じない。


老化を信じるよりは、

休養や回復、鍛錬による機能向上を信じる



弱っている筋肉を強化する。


トレーニングをどうすれば良いのか知り、実践してみる。


もし、トレーニングをやってみてちゃんと筋肉を動かせないとか、そもそもやる気が出ない場合には、

食事や休養を見直したり、
考え方やものの見方や自己の捉え方を変えてみたり、
付き合う人や使う言葉ややり方を変えてみたりすることも必要になってくる。




健康を維持するということは、

時に習慣を変え、仲間を変え、人格を変え、運命を変える。

そういう覚悟が必要とされることもあるんです。



でもそれも体の中だけのことで、実は遊びの範囲でできることでもある。


その癖人生が変わっていくんです。


体のルールを学び、取り組み、結果があって、やり方を変えてみたり自分に起きた変化に色んな感動をしたり、


仕事にも似てるし
遊びにも似ている


体を癒すということは

そういうところにあるんです。

とにかく書き出すってことで脳の中を真っ白にすることは大切。

次の行動がしやすくなる。


ブレインダンプってのがある。


ちゃんとしたやり方はわからないけれども、しっかりと書き出してみる


今日の脳からの出力内容は以下の通り。



筋を制限する理由

動かない・我慢じっとする

行動しない出ていかない気分を変えない目に入るものを変えない付き合う人を変えない解決をしない得られる結果を変えない知識を得ない

精神的制限と未解放

癒すところ祓い清めるところから幸せの基礎は作られる


幸せは機械的側面に大きく影響を受ける


アンチメカニズムでは幸せにならないよ。

メカニズムと一緒に生きるんだから。



体を癒す

体のメカニズムに従う学ぶ

仮に幸せになることは義務であるなら

体の癒し方についてプロセスだけでなく、メカニズムも学ばないとね



幸せってとても感覚的

家の快適さで得られる幸せもあるし、

人に恵まれて感じる幸せもある

行動できることが幸せということもある。



幸せの為に

お金や物や体や仲間は必要だけど

それら自体が幸せではない、

そこに同時に幸せを感じるから幸せなんだよね。



そこには幸せに感じる

プロセスもメカニズムもあるんだよ

感覚である以上は体を通して感じるんだよ


それは筋肉の緊張や弛緩かも知れないし

神経系、シナプスの繋がり方かも知れないねそういう感覚

そんでホルモンの分泌



そういうことが分かってくると

幸せというものに対してとても謙虚な気持ちになれるのよ



ホルモンの分泌だけを求めるなら、僕はそれはドラッグ中毒と精神的な構造は左程差はないかな?って直感するし

緊張が高まってばかりで幸せを求めると病気とか精神的に病んだり、攻撃性が緩められなくなって周りがついていけなくなったりする。成功者が不幸な理由って結構この辺の体の原則を無視した結果のような気がするんです。




結構、簡単。幸せを感じることは。




僕がテレビを見ていた頃は欲とか欲しい気持ちをくすぐるような映像とか言葉が溢れていたわけだけど、



そこに合わせて物事を見ていた結果、僕は心と体がバラバラになったの



マーケティングも学んでみるとそこのところが冷静に見れるのね



で、心理学もやファシリテートなんかも学ぶと自分が本当に欲しいと思っているものとか


自分が何をして行くのかなんかも分かってくる



テレビや広告なんかはそれを潜在的に欲しがる人に向けて流されるものだけど、


それを見ていると僕もそれを欲しい一人のような気になってたりする





本当に欲しいものとは別に他人が欲しいものも欲しい気持ちが無意識に入り込んで来ていた。


そしてもう一つ

僕の中にはそれを本当に欲しいんだ!って気持ちを欲しいって気持ちも生まれたりしていた。



で、とにかく欲しい感覚が自分と乖離したところで設計されていて、


しかしそれが毎日のようにテレビで放映されているのを見ていると乖離している自分が自分のような錯覚に入り込んでしまうことがある



すると体に負荷がかかるし、自己同一性を保てなくなるから

体や自分をいじめて見たり、

自分に負荷をかけてもらえる環境に入って見たりする

(個人的見解)


なんとなくその物語の延長に感じるのは、mr.都市伝説氏なんかが話すマイクロチップを体内に埋め込む話とか


漫画なんかに出てくるサイボーグとかキメラとかのお話な気がしていて

僕はそれを不自然に思うんです。




グローバル化の思想の限界が囁かれて

どことなくナショナリズムの流れに回帰して行く雰囲気はあるけれども、


星の配置もそのようになっているようだけれども、



それを今度単純に戦争の話と結びつけることは、もちろん考えなければならない問題の一つではあるのだけれども、それ以外の見方もあるとは思っているのですが



その星の配置について僕が連想したのは


マーケティング的に仕掛けられて来た、或いは戦後の教育で培った精神性とは別に、

人体の感覚とそれを感じさせる人体のメカニズムに今一度思いを馳せていく学ぶ時間を作りまとめて行くという意味で


意識の矢印を外側ばかりに向いていたのを内側にも向けるタイミングなのではないのかなと感じている



思考している私たち脳にとっては実は肉体はなくてはならない別の組織なのであって、


その別の存在である体ときちんとしたお付き合いをするのはとても当たり前の話だと思うし、



支えてくれる体に謙虚に、且つ尊敬の念も持つことがあってもいいと思う。



僕はそういう事ができる方を素直に尊敬するし、お話を聞いて見たいなって思うんです。



もしこれから世界が変わって行くのであれば、一人一人の愛あるエネルギーがパワーアップしていく方がいいし、


もし世界が豊かになっていくのであれば、

ドクター任せではなく、きちんと体のことを理解して管理できる人たちからどんどんと豊かになっていくそういう基礎があった方が健康的でいいよなと思うんです。



人は環境の生き物だという言葉もあるけれども、一つ私たちが環境からの影響を多分に受けているのはもちろんなのだけど、


同時にその環境を変える力もあるというのならば、


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