毎日を楽しんで生きるってできんのかな?
メールでのやり取りなので、それっぽく読んで下さい。
僕なりの解釈ですが、
「楽しむ」って感情の様に見えるけど、どちらかというと知的活動。
幸せは前に伝えた10の感情にあたるけど、
楽しいはもっと遊びとか、挑戦とか、新しいことをしてみる、いつもしない事をしてみるってあたりに在る。趣味とかの部分。
楽しさと幸せは別物さ。
幸せは体で感じて、それを味わう。
楽しさは頭で起こる
楽しさの後に幸せを感じれたり、
幸せを味わう為に楽しい事をする事はあるけれども、
別のものであるには違いがない。
楽しくないって事は、楽しい事を考えられないって事かも知れない。
「毎日を楽しむ」て事は「毎日楽しい事を発明する」ってことかも知れない。
発明をし続ける事だと言い換えてみると、それはきっと苦しいことになってくるよね。
「毎日を楽しむ」ということにフォーカスし続ける限りは、楽しさを発明し続ける苦しさも同時に味わい続ける事になるかも知れない。
僕が学んでいる矢野先生は、問題は偏りから生まれるということを提唱しているんだけど、
『「毎日を楽しむ」ということにフォーカスし続ける』という事は、その偏りの一つとしても良いと思う。
そこに偏らない様にするのであれば、(例えば幸せにフォーカスしてみたり、自分なりに思考上の意味づけや定義・設計図などを書き直してみる事がいいのでは無いかと感じている。)他の事をやってみるってことだね。
考えてるなら行動してみる、人に聞いてみたり(これやってるね^ ^)、原理原則・原点・法則に帰ってみる。
僕としては「毎日を楽しんで生きる」という事は、偏りであり、その偏りも過ぎれば非人間的であると言っても良いと思う。(肉体の限界を超えることもある)
別の言い方をすれば「毎日を楽しんで生きる」という価値観は一生を捧げるには値しない価値観であるという事だ。
(幸せは体で感じるものである以上、頭で感じる価値観というものそのものが同様に一生を捧げるに値しないと思うのだけどね)
矛盾している様にも思えるけれども、毎日を楽しんで生きようと思ったら「毎日を楽しんで生きるってできんのかな?」って問わないことが毎日を楽しんで生きるコツとなる。
解決しないことが解決になる。解決する事よりも楽しい事をしてみれば良いんだからね。
楽しい事が分からない場合は、新しいことをやってみよう。
以上、乱文ですね。申し訳ありません。



