こんにちは、小野村奈緒美です。

 

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わたしは恐怖や不安で動けなくなっている方を、

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それから、

ドキドキこれまでの人生について。

 

 

 

『大河への道』という映画について

語ってみようと思います。

 

 


昨日の記事のつづきです。

 

 

 

 

 

 

 

江戸時代を生きた、

 

伊能忠敬(いのう ただたか)

 

という日本地図を作っていた人です。

 

 

 

ただ、

 

地図が完成したのは、

 

伊能忠敬が亡くなった3年後でした。

 

 

 

けれど多くは、

 

”伊能忠敬が、地図を完成させた人” 

として伝わっている。

 

 

 

私も、そう認識していました。

 

 

 

 

 

 

でも実際は、

 

伊能忠敬の遺志を継いだ、

 

残された弟子たちによって、

 

 

 

現地に行って測量し、

 

当日測量した分までを、

 

手書きで図に仕上げることを目標とした、

 

睡眠時間も削っての、

 

超・過酷なハードスケジュールだったそうで、

 

 

時に、危険な場所では、命を落とした人もいたとのこと。

 

本当に大変な苦労や、想いだったろうなと思います。

 

 

 

 

 

しかも、この地図!

 

ほぼ完ぺきな測量による地図

 

だったそうです。

 

 

 

 

 

やがて国から認められ、

 

国家予算として莫大な資金援助を受けていたことで、

 

忠敬が亡くなってしまったことにより、

 

その資金が下りなくなる可能性が・・・あせる

 

 

 

そのため、忠敬の死は伏せられて、

 

高橋景保を中心に、

 

残りの地図の作成作業は進められ、

 

死後3年後、ようやく日本地図が完成されました。

 

 

 

決して死を、幕府にバレてはならないわけですから。

 

映画では、その経緯を面白く表現されていましたが、

 

幕府との間に立っていた、高橋景保は、

 

さぞかし大変なご苦労だったと思います。

 

 

 

 

 

地図の完成までの、そこに

 

たずさわった人達の熱い想いが伝わってくるように、

 

地図を、将軍にお披露目したシーンは、

 

さすがに泣いちゃいました笑い泣き

 

 

 

 

 

絶対に、いいものを完成させたいという想い、

 

意気込みや、

 

職人魂のような気迫さを感じられた映画でした。

 

 

 

 

時代背景や、価値観の違いはありますが、

 

やっぱり人の熱い想いは、

 

心が震えるほど、感動しますね。

 

 

 

 

 

私も、プロ意識を持って、

 

来てくださった方に、

 

真摯に向き合っていきたいなと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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