どんとこいスイッチON
ダンナです。
ヨメの体調、やや落ち気味です。
ちょっと熱が出てきたり。
なかなか、まっすぐ行ってくれないものです。
あせらない、あせらない。
天気も今日は寒の戻りです。
ふと、思うのですが、
私にとってヨメががんになったということは
思い切り晴天の霹靂だったけど、それは心配して、
見舞いなどに来てくれる友人たちにとっても同様なわけで、
それはつまり、
おじいさん、おばあさんのレベルではあったかもしれないけど、
同世代の友人が、こうして生死を賭けた戦いに
巻き込まれているということは、きっと初めてなんじゃないかな、と。
たまたまですが、先日くも膜下出血で亡くなった巨人の木村拓也コーチは
ひとつ年下の37歳。
つまり、もう私たちは「そういうことが起こりえる年齢」なんですよね。
上の言い方も、相当ごうまんだけど、
でも、これまではリアリティを持ってなかったし、
幸いなことに、そういうことに遭遇しなかった。
どっかしら、モラトリアムな気分のまま、
20年近く大人をやってきたし、やってこれたところもあった。
だけど、もう、そのままではいられないのでしょう。
人には何が起こるかわからないのだし、
それが自分じゃない理由なんて、どこにもないのです。
一度そんなスイッチが入ってしまったら、どうなるんだろう?
そんなわけで、今さらかもしれないが、
今回の件を通じて、これまで考えなかったようなことを
身近なものとして考えるようになりました。
社会的ドキュメントにもいっそう目がいくようになりました。
たとえば「無縁社会」の問題
(私が病気に倒れたら、誰が看てくれるのだろうか?)。
たとえば「ワーキングプア」の問題
(この医療費に、みんな対応していけるのだろうか?)。
たとえば「医療危機」の問題
(お医者さんはみな、とても忙しそうだ)。
ぺ~のことも同時進行なので、「子育て手当」問題ってのもある。
(川崎の保育所なんて、どこもいっぱいいっぱいだ)。
もちろん、自分の将来問題やら、生き方にまつわる問題、
生命に対する哲学的問題……なども引き続き山積みである。
不遜にも、それがとてもおもしろいと思うのです。
もしかして、これまではなまぬるい部屋の中で眠っていたのかもしれない。
今はシビアーで、危機感と恐怖が常にあって、
肌がひりひりと焼け付くような状況であるが、
なんかしらん、生きてるなぁという手応えがあることも、確かなのです。
こういうことは一度きっちりオトシマエをつけといた方がいいと
思っていたので、願ったり叶ったりではあるんですよ。
どんとこい生死にまつわるエトセトラ!