がんフーフー日記 -38ページ目

アンサー

ダンナである。





ヨメががんだということを初めて知ったのが9月4日だったから、

あれから1年が経ったことになる。

ヨメが逝ったのが7月9日だったから、

あれから2ヶ月が経ったことになる。


だからなんなんだという気もしなくはないが、

人はあえて区切りをつけたいがために、

指を折って数を数えるのかもしれない。

おかしなものに頼ってるもんだとつくづく思う。


今後の身の振り方を考える時間として

四十九日をいただいた私だが、

いつのまにやら10日近くすぎてしまった。


いつまでもうだうだしているわけにはいかないだろう。

私の出したアンサーは、以下の通りです。




年明け、ぺ~と一緒に故郷の広島に帰ることにしました。

しばらくは実家で両親に子育てを手伝ってもらいながら、

あたらしい仕事を探そうと思います。


年内は、川崎でフリーランスとして仕事をします。

現在まとめようとしているこのブログ本の作業と、

お世話になった方々に、せめてもの仕事での恩返しを。


現在ぺ~はまだ、いわきのヨメ実家で面倒を見てもらっていますが、

近いうちにウチに帰ってきてもらう予定です。




アンサーの理由は、以下の3つ。


1. ぺ~と一緒にいたい


「しばらくは預かってもらって仕事をしたら?」

「子どもは3歳くらいまで記憶がないから大丈夫よ」

親切心からそう助言してくださる方もおられたけど、

やっぱり私はぺ~と離れてすごすのはイヤだと思いました。


彼が初めて歩く瞬間も、彼が初めてことばを話す瞬間も、

できれば仔細に見ていたい。

別に私になにができるわけではないけれど、

できれば常にそばにいる存在でありたい。


そう思ったのです。



2. ひとりでぺ~の面倒を見るのは厳しい


それは彼が発熱したときに、痛感したことでした。

もちろん保育園に預けたりして、

立派にシングルファーザーをやっておられる方もいるのでしょう。

でも私にはそれは、自分のキャパシティを超えたものに思えました。


さらに言えば、なるべく彼を日常的に複数の人と

ふれあえる環境に置きたかった。

それはばぁばかもしれないし、じぃじかもしれないけど、

いろんな価値観、いろんな関わりの中で育ってほしいと思ったのです。



3. 両親に対して


夏休み中、ファミレスで見た風景が目に焼き付いています。

それは、小さな子どもを中心に、じいさんばあさん、そして母である娘が

テーブルを囲んでいるという、まあ、どこにでもある風景だったのだけど、

その風景をウチの両親にも味わわせてやりたいなと思ったのです。


両親には今回の件で迷惑もかけたし、いろいろがまんもしてもらった。

おまけにぺ~はダンナ側にとっては初孫です。

実際喜んでくれるかどうかわからないし、ヨメ家族には大変申し訳ないけど、

やはり私はファーストチョイスは「こちら側」にさせてもらいたい。


そう思ったのです。




さんざん悩んだというわりには、結局最初に頭に浮かんだ、

実に順当で、無難すぎる結論に落ち着いたことに、

妙な淋しさを感じています。


でもこれが私の出したアンサー。

このようにして、これからやっていこうと思います。