SKY IS LOVE.
ダンナです。
この1年のあいだ、ずっと「お別れ」を意識してすごしてきました。
ヨメに対してはもちろん、それが引き連れてくるもろもろも含め、
いつもお別れの予感を胸に抱いてすごしていたような気がします。
ヨメを見送り、いろんなことが動き出そうとしている今、
ちょっと私は困っています。
センチメンタル敏感肌とでも言うのか、
まるで冬の日のはかない陽射しに照らされているように、
目に映るものすべてが美しく見えてしまうのです。
木に大量の毛虫がついてるとかできゃあきゃあ騒ぐ友人たちのざわめきも、
煙がもくもくたなびくだけの喫茶店トークも、多摩川に吹く秋の風も、
赤ちょうちんで流される涙も、もじゃもじゃの変な髪形も、
別れ際の不意の一言も、
いちいち胸を苦しくさせて、じっとその場に立ちすくませます。
まあ、男子的に言ってみれば、
捨てる前に今一度眺め返すお色気本への愛惜と
根っこの部分ではなんら変わらないのもわかるのですが、
それでも一体このキラキラ感は何なのか。
今頃になってそんな優しいカオ見せんなよ、と言いたくなる私は、
たしか38の不惑間近のオッサンだったはずだが。
ふと、想像しました。
もしかして、ヨメが最期に見た風景も、
こんなキラキラ感にあふれていたのかな、って。
飲み会でも、自分が帰った後におもしろいことがあるのがイヤで、
最後まで席を立とうとしなかった、トコトンまでに往生際の悪い人でした。
だからきっと、いろんなことはトコトン最後まで見届けたかったはず。
KMくんの結婚式も、BOOちゃんの子どもも、友人たちのこれからも、
家族みんなの未来も、そしてもちろんぺ~の大きくなっていく姿も。
病室で私たちがだらだら話している、あまりにフツーの風景が、
ベッドで横たわるヨメの目には、
まぶしいくらいに美しく見えていたのかもしれない――
そう考えると、嬉しい気持ちが湧いてきました。
ああ、フーフでおんなじだ、と。
おれひとりじゃないんだな、と。
ヨメに山ほどの無念があるのなら、私にも海ほどの未練があって、
風が吹くたびそれはちくちくと痛むけれど、花のようにそれは悪くない。
これからヨメは天国で、私はあたらしい街で、
いつかその想いが空に還るのならそれはそれでいいし、
たとえそうはならなくても、星のようにそれは悪くない。
消せない想いを抱えて、一緒に行けばいい。
一緒に歩いてくれる人がいるなら、こんなんだってやっていける。
秋の高い青空を見つめています。
一見あそこはツルッとパキッとドライにキメてるように見えるけど、
本当はたくさんの声にならない想いに満たされ、
したたり落ちそうにあふれてる。
いつでもそこにいるじゃない?
みんなそこにいるじゃない?
SKY IS LOVE.
こっちは元気でやってるよ。
次回、フーフー日記、最終回っす。