終息なんかしないのだ
ダンナです。
昨日、わざわざいわきからやってきてくれたギテーの車に乗って
ギフがいわきへ戻っていきました。
連休明けから仕事に戻るということ。
こんなふうに、いわきには「こんな時に逃げていられるかー!」
「おれが故郷を元気にするんじゃー!」みたいな、
がんばり者が多くてホント困りもんですよ。
だからこそ、心配がまた頭をもたげてくるのです。
震災から12日が経過しました。
原発は相変わらず予断をゆるさない状況ながら、
「待ち」の状況に陥っているため、派手なニュースが減ってきています。
テレビはふつうの編成に戻りつつあります。
首都圏では電車もほぼ通常のダイヤで運行しています。
いわきでもようやくガソリンが手に入りやすくなったという連絡を受けました。
僕自身も、ずっと気を張っていたからか、
「そろそろひと息つきたい」という気分を感じています。
緊張の当然の見返りとしての、弛緩が押し寄せてきているのです。
そして、被災者の方々にとっては、
こういう時が一番危ない、という認識があります。
ずっと火事場のクソ力で押さえつけていたものが、
じょじょにあらわになっていく。
なくしてしまった人の命、
なくしてしまった仕事、
なくしてしまった家、
なくしてしまった車、
なくしてしまった思い出の品、
なくしてしまった風景、
なくしてしまった人間関係、
なくしてしまった信頼関係、
なくしてしまった未来予想図、
で、これからどうするの?
これからどうなるの?
これから何を支えに生きればいいの?
不安、痛み、疲れ、後悔、不条理さへの怒り……
そんなつらい感情が、たとえがあまりに不謹慎ではありますが、
本当に地震の後の津波のように、一気におそいかかってくるのが、
これぐらいの時期であるような気がしています。
そして、そのつらさをさらに加速させるのが孤独感。
次第にニュースとして扱われなくなっていく。
直後は心配して連絡をくれた人たちも、「収束の気配」を感じて
それぞれの場所に戻っていく。
やっと麻酔がとれてびりびりと痛みを感じ始めたときにこそ、
支えてほしいみんながいない。
「もう大丈夫っぽいし」ってことで、放置の姿勢になっていく。
でも、当事者には収束なんて、ないんです。
むしろこれから、ぶっこわれてしまったものを肌で感じて、背負っていく。
建て直さなければならないものの大きさにガクゼンとし、絶望する。
当事者は終息なんかしないのだ。
だからせめて、「うっとおしいかな?」と思いつつも、気遣いのメールを。
これまでほど頻繁でなくていいので、引き続きのハートサポートを。
そして、現地のがんばり屋さんたちは、
ぜひとも積極的な弱音と泣き言を!!!!
適切なサボリと、クレバーなヤケ食いと、禁煙中の一服と、
たまには全力のダメダメシンキングを!!!
私の経験上、推奨したいと思っておるのですよ、みなさん。
かなしむほどに、つよくなる。
こころもきずなも。
かなしいけれど。
私の場合は、そんなよくわからない歌をぶつぶつつぶやきながら
事後を乗り越えてきた気がします。
我が家的な「復興」だって、まだまだぜんぜん霧の中。
だけど意地でも信じているのです。
絶対しあわせにいきてやる、と。