がんフーフー日記 -103ページ目

4月になれば彼女は

ダンナである。





週末の補足、いくつか。




土曜の状況は厳しかった。


ぐったりと寝込んだヨメ。

ずっと食事は採れず、さらに水すら胃に入れられない。


私もそばにいながら何もできない。

ただおろおろと、しかし目は離すことができず、

ずっと続く緊張感の中、こっちも金縛りにあったように

次第に神経が磨耗していくという状態が続いていた。




入院が決まったとき、ヨメが淋しそうに

「病人が家にいると、空気が重くなるからね」と

つぶやいたが、やはりその側面は否定できない。




在宅での看護を引き受けるということは、

患者に家庭の安らぎを与えるのと同時に、

家族に対しては逆に、家を病室化することになる。

それも、医者や看護師が巡回してくれない病室である。


専門外の私にとって、その精神的負担はかなり重いものだった。




この入院で、ヨメは点滴などで体力の回復を計るとともに

私もちょっくらリフレッシュさせてもらいたい。


元気になれば、また楽しく次の手を打てると思うから。




点滴を受けているヨメの横で、私はパイプ椅子に座る。


新聞を読んだり、持ってきた文庫本を読んだりもするが、

次第に飽きてしまい、たまに院内を探険したりもする。

この期に及んで、子どもっぽいことをする。


点滴がきいてきたのか、少しずつヨメがしゃべりだす。




「そういえば、最近ダンナと話してなかったわい」



話せる体調ではなかったからか、

お互い、あえてくだらない話に逃げ込んでいたのか。




「ぺ~が本当にかわいいんだわい」



これからぺ~に今後どんな子に育ってほしいか、

めずらしくマジメに話し合う。

ヨメは「優しい子」、私は「愛嬌のある子」、

一致したのは「人の中で生きてほしい」ということだった。



それが私たちが38年間費やして辿り着いた

価値観のようだった。




入院の準備を終えて、家に帰る。

結局1日中ぺ~の世話をREさんに任せっきりだった。


ぺ~はぺ~で不機嫌で、どうも一日中寝つきが悪いようだったが、

私が帰ってきてしばらくするとついにバクハツして、

ものすごい勢いで泣き始めてしまった。


全身をしならせ、腹の底から声を出して泣く。

小さい体が痙攣して、顔を真っ赤にしても、

エネルギーは留まることをしらずあふれ出て、

あふれ出て、声を枯らし、涙をまきちらし、

もう何が哀しいのかというレベルを超えて、

ただ「100%純粋な哀しみのカタマリ」と化して、

彼は1時間もの長い間、ドン底でのたうち続けた。


それはこれまで見たことのない激しい泣き方で、

いつまで経ってもやまなかった。



途中からはあまりに哀しそうなので、

おかしくなって笑ってしまうほどだった。





週末休んで、またやってきてくれた義母が

丁寧に丁寧にあやしてくれて、

最後はダブルノックアウトみたいな感じで、

2人ばったり布団に倒れ込んで眠っていた。



ばーばの愛情の深さに深く感謝するとともに、

きっとぺ~はこういうことも忘れてしまうんだろうと思った。



REさんは「ぺ~も何か感じてるのかね」と言う。

母のいない家に彼も不安を感じているのだろうか。




全身から全力の感情をほとばしらせながら、

1時間近くもわめき続ける。


あんなこと、私にはできないなと思った。


あんな強大な哀しみとはいったいどんな哀しみなのか、

なかなか考えても想像つきそうもなかった。