4月になれば彼女は
ダンナである。
週末の補足、いくつか。
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土曜の状況は厳しかった。
ぐったりと寝込んだヨメ。
ずっと食事は採れず、さらに水すら胃に入れられない。
私もそばにいながら何もできない。
ただおろおろと、しかし目は離すことができず、
ずっと続く緊張感の中、こっちも金縛りにあったように
次第に神経が磨耗していくという状態が続いていた。
入院が決まったとき、ヨメが淋しそうに
「病人が家にいると、空気が重くなるからね」と
つぶやいたが、やはりその側面は否定できない。
在宅での看護を引き受けるということは、
患者に家庭の安らぎを与えるのと同時に、
家族に対しては逆に、家を病室化することになる。
それも、医者や看護師が巡回してくれない病室である。
専門外の私にとって、その精神的負担はかなり重いものだった。
この入院で、ヨメは点滴などで体力の回復を計るとともに
私もちょっくらリフレッシュさせてもらいたい。
元気になれば、また楽しく次の手を打てると思うから。
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点滴を受けているヨメの横で、私はパイプ椅子に座る。
新聞を読んだり、持ってきた文庫本を読んだりもするが、
次第に飽きてしまい、たまに院内を探険したりもする。
この期に及んで、子どもっぽいことをする。
点滴がきいてきたのか、少しずつヨメがしゃべりだす。
「そういえば、最近ダンナと話してなかったわい」
話せる体調ではなかったからか、
お互い、あえてくだらない話に逃げ込んでいたのか。
「ぺ~が本当にかわいいんだわい」
これからぺ~に今後どんな子に育ってほしいか、
めずらしくマジメに話し合う。
ヨメは「優しい子」、私は「愛嬌のある子」、
一致したのは「人の中で生きてほしい」ということだった。
それが私たちが38年間費やして辿り着いた
価値観のようだった。
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入院の準備を終えて、家に帰る。
結局1日中ぺ~の世話をREさんに任せっきりだった。
ぺ~はぺ~で不機嫌で、どうも一日中寝つきが悪いようだったが、
私が帰ってきてしばらくするとついにバクハツして、
ものすごい勢いで泣き始めてしまった。
全身をしならせ、腹の底から声を出して泣く。
小さい体が痙攣して、顔を真っ赤にしても、
エネルギーは留まることをしらずあふれ出て、
あふれ出て、声を枯らし、涙をまきちらし、
もう何が哀しいのかというレベルを超えて、
ただ「100%純粋な哀しみのカタマリ」と化して、
彼は1時間もの長い間、ドン底でのたうち続けた。
それはこれまで見たことのない激しい泣き方で、
いつまで経ってもやまなかった。
途中からはあまりに哀しそうなので、
おかしくなって笑ってしまうほどだった。
週末休んで、またやってきてくれた義母が
丁寧に丁寧にあやしてくれて、
最後はダブルノックアウトみたいな感じで、
2人ばったり布団に倒れ込んで眠っていた。
ばーばの愛情の深さに深く感謝するとともに、
きっとぺ~はこういうことも忘れてしまうんだろうと思った。
REさんは「ぺ~も何か感じてるのかね」と言う。
母のいない家に彼も不安を感じているのだろうか。
全身から全力の感情をほとばしらせながら、
1時間近くもわめき続ける。
あんなこと、私にはできないなと思った。
あんな強大な哀しみとはいったいどんな哀しみなのか、
なかなか考えても想像つきそうもなかった。