吉川市長選についてどう考えているの? |  みどり色の地球

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市長選について、どう考えているの?

既に期日前投票も始まってしまっていますが、したためておきます(結論は一番下)。

「何もせず、何も言わず、抑圧に抗議せず、それで自分たちにとっての良い社会、良い暮らしを求めることは、不可能だ」by ネルソン・マンデラ

 

個人が「市の最高権力者」に立ち向かうことは目の前のメリットなんてどこにもありません。正直、生きづらいだけです。『面従腹背』が楽ちんです。特に強いリーダーに対してはそうです。しかし、それでは自分たちにとっての良い社会はつくれません。

 

議会と現市長が対立していると見ている人がいるのかもしれませんが、議会の役割を考えると、問題があれば指摘したり、反対をするのは当たり前です。私は常に真実を追求し、いつでも是々非々であるよう努め、そして、言わねばならぬことを言ってきたと自負しています。そして、表題のネルソン・マンデラの言葉通り、私はどんなに抑圧を受けても、より良い暮らしを求め、圧力に負けずに発言し続ける努力をしてきたし、これからもしていきたいと思っています。

中原市政で納得いかない3つのこと

①これまで行政と協働関係にあった環境団体に対し、なんの協議もなく予算をゼロにしたこと。団体はたった20数万円で様々な啓発事業を行ってました。予算がなくなればボランティアでやっていました。なんともコストパフォーマンスの高い事業をこなしてくれていたのに、予算だけでなく、その活動の場が奪われたこと。(詳しくは↓の後半部分)

「協働」という観点でも本当におかしくて、「岩田議員の言う通りだ」と私の目の前で涙を流す職員もいましたが、泣きたいのは予算を切られた団体の方ですし、可哀そうなのは環境教育で生の体験を味わえなくなった子ども達です。納得いきません。

 

②森林環境譲与税という日本の木材を利用促進するための費用を、大沢雄一居宅跡地の整備費用に使うこと。森林環境譲与税の目的の達成には程遠く、住民監査請求ものだと考えています。納得いきません。(詳しくは↓)

 

③おあしすの「はーとふる・ぽっと」跡地の有料貸出について。

 おあしすに来た方に一番目につく場所で、手作り品の展示や販売など、数日継続して使いたい方に有料で貸し出して欲しいとお願いしてきました。鍵がかかるので、作品や品物などをそのまま置いて帰れるのが丁度いいのですが、実現しません。市の収入にもなるし、市民が活躍出来て一挙両得な取り組みで、なぜできないのか、納得できません。

 

どの課題も数年言い続けてきたにもかかわらず、結局、何の改善もみられませんでした。予算がほとんどかからず、考え方ひとつで解決できることばかりです。

「新しい人達」と進めたいまちづくり

市長の言葉には「古い」と「新しい」という表現がよく見られます。上記の環境団体も「古い」にカテゴライズされたのでしょう。新しい人達と新しいやり方でやりたいのです。

例えば

「らっぴーカード」という商工会の取り組みがあったのに、「大吉(大好き吉川)ブランド」を始めたり、

「市民協働事業」という制度があるのに「ステップアップ助成金」をつくったり、

「ふれあいスポーツ大会」があるのに「障がい者スポーツフェス」をつくったり等、

今ある取り組みをさらに発展させるのではなく、自分初の独自の取組みをはじめます。

 

このように市の事業が塗り替えられていきます。それを新しい時代が来た!と喜ばしいことと思う人もいるのかもしれませんが、市の「施政方針」で書かれていることが、すべて自分が始めたことばかりなのは違和感を感じます。市の事業は脈々と続いているのです。

先人に敬意をというけれど

庁舎のオープニングイベントでは元市長や元議員の姿は見られませんでした。吉川橋の渡り初め式では、あたかも自分がやったと挨拶されましたが、その後に蓮見元県議が吉川橋ができるまでの上田知事との昔のやり取りについて話されました。

元副市長の退任時の最後のご挨拶でも、今、市が取り組んでいる様々な事業は深井前市長のアメニティー構想が実現しているのだと、吉川市の長い歴史を感じるお話がされました。

諸先輩方が、もっと先人、これまでまちづくりに関わってきた方々に敬意を示さなくてはいけないよというメッセージを送っているように思います。

決して平等ではなかった

「古い」と「新しい」に差を感じたように、議会の中でも差を感じました。
執行部は議員の質問に対して答えますが、議会は市長の考えを問う場なので、答弁はたとえ部長の口から発されても、それはすべて市長の考えということになります。本来なら同じ質問には同じ答えがあるはずです。しかし、自分に迎合する議員に対し初めにいい答弁をしたいのか、その前に同じ質問をしても答弁をあいまいにしはっきり答えないことがありました。
また、「●●に対し市が行ってきたものは」という私の問いに対し「支援してきました」というたった10文字の答弁があったことには驚きました。

市民の声を聞くってどういうことなのか

中原市長はフットワーク軽く、様々な現場に足を運んでいることは評価します。そこで会う人々の声に耳を傾けることも大切なことです。同時に議員の声も同じく「市民の声」でありますが、そのことは軽んじられている気がします。議員の口は一つですが、市民の代表の声であり、発言は重たいものです。しかし、そのような認識は薄く、議員も1市民と同等の扱いのように感じることが多々あります。

私の知り合いで自治体の職員が何人かいますが、皆が口をそろえて言うのは、議員は市民の代表であり、議員が話すことはよく聞くようにと一番最初に教育されたということです。

地方自治体議会は首長と議員との二元代表制

市長は執行者であり、予算を立てることができます。議会は市長が立てた予算を承認し、市政が市民のためにちゃんと機能しているかをチェックする役割です。議員は指摘し、時には修正案を出することはできても、予算を立てることができなければ、執行する立場にもなく、権限の大きさは圧倒的に市長にあります。なんせ20人対1人なのです。市長と議会はそれぞれ市民に選ばれる二元代表制であり、「議員」は「市長」の応援団ではありません。両輪と言われ、前進を後押ししたり、時には加速しすぎればブレーキの役目を担う必要があります。数は力なりという古い政治のやり方ではなく、全議員との共感と合意を大事にしたダイバシティの政治に転換して欲しいです。

かたくなな姿勢

おあしす改修の一件から始まった議会との不協和音。お互い学ぶものがあったと思うし、その後、変化もあったように感じるところもあるけれど、上記の私の3つの課題については、今の聞き取りの様子では、来年度も改まる姿勢はなさそうです。

環境問題は「今」が一番深刻です。去年より今年、昨日より今日が大変で、一丸となって進めなくてはならないのに、なぜ環境団体が不要なのか。環境大臣功労賞をもらったようにコツコツとまじめに取り組んできた人たちを存じ上げているので、今の状況には絶望しかありません。

私が議員を辞める際、市長にご挨拶に伺った時も「報告を受け、市全体を見て判断した」と議会の答弁と同じことを仰いましたが、「もし本当にそうした報告を受けているならば、報告そのものが忖度されているのかもしれませんね」と、お伝えさせていただきました。市長の答弁が事実と合わなかったこと(上記リンク)がなぜなのか考えてもらいたいです。

ちなみに面会そのものは、お互い吉川市のためには連携と協力をしましょうという和気あいあいとしたものでした(と、思っていますし、そうしていきたいものです)。

加藤克明さんを応援します

繰り返しになりますが、私にとって3つの大切な政策は予算はほとんどかからず、考え方ひとつで解決できたはずです。それが前進しなかったことは非常に残念な結果で、到底中原市長を支持できるはずはありません。それはご本人が一番わかっていると思います。

私が四半世紀かけて培ってきた吉川市の環境政策、目標値が以前よりも後退しているのです。まさに再起動し、さらに発展させていくために、今回の市長選は加藤克明候補を応援することにしました!

加藤候補の政策を丸ごと全部賛成しているわけではありませんが、40コ程の政策協定を結んでいただきました。自分たちが大切にしたい政策実現の近道となるであろうリーダーを選ぶのは当たり前のことです。

まちづくりは一人でやるものではないと思います。私は強いリーダーよりも、一緒にまちづくりができる人を選びたいと思います。