生活クラブ運動グループで「無茶々園」 |  みどり色の地球

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生活クラブ運動グループ

生活クラブ生活協同組合の目指す社会運動の中で、生協内で出来ないことや、特に特化して取り組みたい部門などの組織を独立させ、それぞれが協働しながら進めています。現在埼玉では6つのグループが構成されています。

・生活クラブ生協(食)

・コミュニティケアクラブ埼玉(相互扶助) 

・ワーカーズ連合会(労働)

・大人の学校(教育)

・三富ライフファーム(循環型社会)

・埼玉県市民ネットワーク(政治)

 

毎年、一緒に研修会を催していますが、今回は生活クラブが柑橘類等でお世話になっている生産者「無茶々園」の大津代表取締役をお呼びして講演会を開催しました。

無茶々園

昭和36年は、農業基本法により、儲かる農業をするために商業的な農業に切り替えられた年でもあります。そうした中でみかんが植えられましたられましたが、収穫まで10年かかります。昭和40年代には柑橘の全国的な生産過剰による価格低迷に、さらに昭和42年に大干ばつ、昭和43年に大暴落があり、非常に危機的な状況となりました。農水省の言うとおりにするととんでもないことになる、その反対をやればいいんだと仰いました。山林所有者が、国に振り回された、国の方向と逆をやるといいんだと同じお話をしていたことを思い出しました。

 

無茶茶園というのは自分たちのために農薬を使わないで柑橘類を生産する、無茶なこと、無茶苦茶なことでもやってみよう!という実験園の名前でした。また、「ムチャチャ」はスペイン語で女の子・チョウチョという意味。ネオン街で女の子を追いかけるより、みかん畑でアゲハチョウを追いかけよう!そんな意味を込めたネーミングです。

 

15アールから始まった実験園が、今では200ヘクタールに広がりました。生産者が増え、品質管理が必要で、9.5以下の糖度をはじくための機械を導入しているそうです。

 

有機農業との出逢い

無茶茶園の社会運動は以下の3つが大きく影響しているそうです。

福岡正信 自然農法を実践する師匠との出逢い

有吉佐和子 『複合汚染』 農薬や化学肥料を多用する農法が問題化

一楽照男 日本有機農業研究会 産直取引の可能性

 

単一のものをつくりはじめ、農薬・化学肥料・除草剤を使うようになり、農民運動、消費者運動が始まりました。ここを忘れてはいけません。常に原点に立ち返る必要があります。「人間が生きるための食べ物を作りたい!」そんなスイッチが入ったのだといいます。そして、私たちに投げかけます。「今私たちにはそのような、スイッチが入ってるか????」

 

有機農業運動の理念

日本有機農業研究会の生産者と消費者の提携の方法 10か条

・単なる「商品」の売り買い関係でなく、人と人との友好的つきあい関係を築く

・生産者と消費者の合意により、計画的に生産する

・消費者は生産物を全量引き取る

・互恵精神に基づいて、価格を取り決める

・相互信頼のために交流を深める

・生産者と消費者が農産物を自主配送する

・グループを民主的に運営する

・学習活動を重視する

・グループの会員数の適正規模を堅持する

・理想に向かって、逐次前進する

 

海と山と

地形的には平地に住宅が密集していて、海が広がっていて、山には石垣が築かれ、その段々畑で作物がつくられています。海では真珠の養殖もおこなわれています。農薬の散布やめて、海と山を循環させる取組みが意識されています。山で里山が減少して問題になっているように、海では磯が減少していて問題になっています。真珠にもチリメンにもプランクトンが必要だからです。海を守るために石けん運動も行っています。海の小島に魚付保安林があって、そこの木はしっかりと守ります。畑の持続には漁師も残さなくてはなりません。海と山は恋人を実践しています。

 

肌で感じる気象災害

カメムシが9月にではじめるようになりました。カメムシに吸われると実が落ちてしまい、残っていても中がスカスカ状態となります。消費者からも食べられないとの声があり、カメムシ対策だけはするようにしています。JAS農薬以外のものを利用せざる負えなく、自主基準も設け始めました。

秋に雨が降るようになりました。10月に雨が降ると 糖度が上がらなくなり、甘味の少ない柑橘類となります。

海ではイルカが湾に入るようになりました。

 

廃校の校舎

平成27年に廃校になった小学校をかえり笑学校とし、コミュニティーの場となっています。無茶茶園の事務所もここにあります。かえり笑学校では、時に仕出し弁当の調理場になったり、住民同士で支え合う街づくりの拠点となっています。

 

6次産業

柑橘や真珠からの6次産業にも力を入れ始めました。真珠パウダー、柑橘の皮からオイルを抽出し、化粧品・yaetoco(祭りの掛け声だそうです)なども生産しています。干し大根や干しニンジン、カンキロウ(リアップの原料)なども生産しています。ここには「ばあちゃん」達にも参加をしてもらっています。高齢者の雇用も生み出しているのです。

 

農業者組織から地域組織へ

福祉事業(株)百笑一輝設立まで、実は18年間かかっています。

知人がヘルパー講座を受けて、とりあえずお給料欲しさに介護事業所で働いたそうです。18年たった後、配食をやってもいいよと言ってきたのですました。それにはまずデイサービスをつくりたいから1億円要るという話になり(ここの発想も凄い)、銀行で借金をすることにしました。借金をすることは銀行が事業計画を見てくれることでもあるので、結果的にはよかったと仰っていました。年金+αで入れる施設をつくります。また、その中で仕事も起こします。介護を受ける前の介護予防をやることが大切で、高齢者にもできる仕事をつくる必要があります。そら豆を皮むき、あんこにするなど、80歳を過ぎても働くディをめざします。ディの場所で内職などを行っています。しかし、デイの時間中でハンカチをたたむ作業などしたが、今のところお金を払うのは難しいとか。

 

FECW(food・energy・care・work)自給圏

無茶々園では、柑橘類の生産だけでなく、地域づくり基金というものを設け、高齢福祉だけでなく、集落で250個の太陽光パネルを設置し、エネルギー自給もめざしています。そして、全ての組織において雇用を生み出します。高齢者、移住してやってくる若者、海外の研修生多様性に富んだ人々を受け入れます。

「来るもの拒まず、去る者追わず」。ビデオの中で、何人もの社員が個別でのインタビューにもかかわらず口をそろえてそのように発言されているのがちょっと可笑しかったです。

育った子が戻ってこられる会社にしたいと言います。移住人口を増やすのは難しいかもしれないが、交流人口を増やすことはできるでしょう。常に地域づくりが頭から離れないとも仰いました。「コミュニティ産直」というお言葉も出てきました。

人口を増やす必要もないが、人口が減ると文化が壊れるので、最低限の人数は必要です。それは祭りを残せる人数・900人だと言います。毎年2組の家族を受け入れていくと維持できるそうです。自給圏を形成しながら、外との連携も同時に進める必要があります。

 

生活クラブとの提携関係

戦後の仕組の中で、とても良かったと考えています。作ったものが、ちゃんとした価格で売れることは、農家が安心してつくれるということです。もっと拡大する必要があるし、もっと自分たちの価値を再認識すべきです。生活クラブの組合員は生産者の食べ物を食べるだけではダメです。今まで生産者支援ばかりだったが、これからは生産地が消費者のために何ができるかを考えていく必要があります。消費地の高齢者の受入れを生産地が担えないかどうかなど。世の中グローバルでアマゾンで何でも買える時代ですが、限界があります。だから組織は小さくしていかなくてはならない。大きな組織は物売り組織になって弱体化していきます。

 

最後に環境省の「地域循環共生圏を」実現しましょうよ!に思わずにんまり「そーだ、そーだ!」と思いました。