月曜日の六本木クラス、2時間弱の練習のうち、ベンガン持つのは15分ぐらいで、後は基本功。いいバランスです。指導者のレベルアップが期待できそう。高橋ETSUZO先生が丁寧に教えてくれます。

 『本能寺の変 431年目の真実』(文芸社文庫)。面白かったです。すっきりしたぁ。


 本能寺の変は戦国時代の大事件のひとつ。明智光秀が、京都の本能寺に宿泊していた織田信長を急襲した謀反事件ですね。時代劇では、天下布武を目前に自害を余儀なくされた信長が、炎に包まれて「人生五十年nn~」と舞ったりするわけです。
 光秀は首尾よく作戦を完遂するのですが、岡山県の奥の方で毛利攻めをしていたはずの羽柴秀吉が現実離れをしたスピードで攻め上ってきて、あっという間に成敗されてしまうのです。主君の死に慟哭しながら備中から堺へ駆け抜ける秀吉軍の「中国大返し」は、これまた戦国物語の名画面なのであります。


 でも、なんか、とてもウソ臭い。


 光秀は日ごろ信長に、ハゲねずみなどと言われていじめられ、神経衰弱に陥り、突発的に恨みが爆発した、というのが通説ですが、どう考えても???です。
 そんな軽率な人物が、長く朝廷と織田政権との間を取り仕切って、公家サイドからの信頼を保ち続けることができたものなのでしょうか。
 福知山など、光秀が知行した地方では、今も名君の言い伝えが残っているようですが、ハゲと言われて落ち込んでいるような人が、庶民から尊敬を集めることができるでしょうか。
 普通に考えれば考えるほど、本能寺の変のいきさつは信じることができません。時代劇で、それらしく演じられれば演じられるほど、しらけてしまうのです。
 でも本能寺で信長が襲われたことも、その後光秀が秀吉軍の襲来の中で落命したのも、事実であることは間違いないようです。
 
 ホント、不思議ねぇ、と思ってしまう中で『本能寺の変 431年目の真実』を読んだわけです。
 いやぁすっきりした。そういうことだったのね、と。

 いろいろ面白いことが書いてあるんですが、ポイント3つだけ言わせてください。


① この事件は綿密に準備されていた。
② 信長排除は多くの武将が望んでいた。
③ 今日語られている本能寺の顛末は秀吉のプロパガンダによって決定付けられている。

 ②についてですが、信長は、天下平定が終わった後、国内は順次、身内に領地を回して、外様の武将は海外討伐に向けるつもりだったようです。もともと、信長は配下の武将たちに、敵地を攻略させインフラを整備など行政の地固めをさせた後に、新たな領地獲得のミッションを課していきました。地ならしの済んだ領地は自分の子や近親の部下で固めながら全国制覇を進めていったのです。よって、日本国内の平定が成就すれが、領地はすべて近親者に分配し、武将たちには朝鮮、中国に遠征していただく、となっていくのは必然なのであります。
 そのことは、みんな気づいていて、ヤバイと思っていたようです。で、誰か早く信長を亡き者にして欲しいと心中密かに願うもの多く、それをやってくれそうな武将の筆頭格が光秀であり、秀吉だったと……。

 なあるほど、ですねぇ。

 おっと、ビールも2杯目になりまして。だんだん何言ってるかわからなくなりますが、もうちょっといわせて。
 ③についてです。現在そうだと思われている光秀の人物像や、本能寺にまつわるエピソードは秀吉が事後、でっち上げたストーリーが下敷きになっているものだそうです。権力を手にしたた秀吉が、その正当性を世に知らしめるためにウソ八百並べる。その権力に逆らえない状況のなかで、支配層にかかわる人々は「それ間違ってんじゃねぇ」とは口が裂けても言えない……。そういう現実、リアルですねぇ。
 そうして流布されたプロパガンダが後に『太閤記』などの物語の下敷きになって、今日の戦国時代のイメージの中に定着している、というわけです。

 それにしても、秀吉はどうやって有得ないスピードで岡山から堺へ駆けつけることができたのか。なぜ信長はかくも無防備で本能寺に宿泊していたのか。その影には家康暗殺の陰謀があり、また、真実を解き明かすキーマンにイエズス会宣教師が連れてきた黒人の少年がいたりと……、あまり知られていないけれど聞けばなるほど、いっそうリアリティーが深まるような事実が、この本にはいっぱい書かれておりますよ。

写真は本文と関係ありません

 放鬆して丹田に意識を向けると、なにがしかの感覚が起きてきます。でも、それが気沈丹田かというと、よく分かりません。ましてや他人のことになれば丹田に沈んでいる気が見えるわけもないので(見える人もいるという話を聞いたことはありますが)、お手本を探すのも容易ではありません。

 『健康太極拳稽古要諦』には丹田に意識を集めると動きが軽やかになる、といったようなことが書いてあります。
 逆に解釈すれば、動きが軽やかになるような(丹田への)意識の集め方があるということです。
 太極拳経には、気沈丹田 の後に 虚領頂勁 の言葉が続きます。2つの熟語はセットで解釈するのが通例のようで、「気沈丹田になれば虚領頂勁が整う」、とか「丹田に気を沈めて虚領頂勁せよ」などと訳されます。
 これも逆から読めば、虚領頂勁が整っていれば気沈丹田ができていることになるでしょう。
 丹田に沈んでいる気は見えなくても、虚領頂勁なら何となく様子でわかります。
 気沈丹田の“見える化”ができました。シメシメって感じですね。
 でも、虚領頂勁が整うってどういう感じ?