放鬆して丹田に意識を向けると、なにがしかの感覚が起きてきます。でも、それが気沈丹田かというと、よく分かりません。ましてや他人のことになれば丹田に沈んでいる気が見えるわけもないので(見える人もいるという話を聞いたことはありますが)、お手本を探すのも容易ではありません。

 『健康太極拳稽古要諦』には丹田に意識を集めると動きが軽やかになる、といったようなことが書いてあります。
 逆に解釈すれば、動きが軽やかになるような(丹田への)意識の集め方があるということです。
 太極拳経には、気沈丹田 の後に 虚領頂勁 の言葉が続きます。2つの熟語はセットで解釈するのが通例のようで、「気沈丹田になれば虚領頂勁が整う」、とか「丹田に気を沈めて虚領頂勁せよ」などと訳されます。
 これも逆から読めば、虚領頂勁が整っていれば気沈丹田ができていることになるでしょう。
 丹田に沈んでいる気は見えなくても、虚領頂勁なら何となく様子でわかります。
 気沈丹田の“見える化”ができました。シメシメって感じですね。
 でも、虚領頂勁が整うってどういう感じ?