「安全地帯・零ZERO~旭川の奇跡~」第三章 | 安全地帯好きのブログ

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安全地帯や玉置浩二について好き勝手に音楽のことを書いています。

北海道スペシャル 

「安全地帯・零ZERO~旭川の奇跡~」 

のまとめです。

何回かに分けて書きます。

第3回目です。


全国放送やりますので

完全にネタバレですので

知りたくない方は読まないでください。


第三章『手作りスタジオ』





玉置さん兄貴 一芳さん脱退。

玉置さん曰く、兄貴を首に

「お前と一緒にいたらプロになれない」と

安全地帯のルール(鉄則)
目指すところは頂点。
足を引っ張る(奴は)ダメ


ドラマーが決まる!
玉置さんと豊さんの同い年の仲間から
旭川工業高校の大平市治さんをスカウト。
神居十字街というバンドでベーシストとして活動していたが 、
安全地帯2代目ドラマーとして加入。
玉置さん「俺が鍛えるから」と⋯

札幌のラジオに出演。
インタビューに対して大平さんは
「全然慣れません。
 やりいい、やりにくいの問題ではなく、
   とにかく付いていく」

大平さんはこのコメントの通り、練習の虫で四六時中ドラムに向かっていたそうです。


俊也さん曰く大平さんのことを
「バンドを和ませる、とにかく いい奴」だと
俊也さんと大平さんは北海道で2010年代にChoruspapaというバンドを一緒に演っていました。



当時、旭川に70以上のバンドがありました。
その中でも光っていたのが、

リズムがアマチュアレベルでないと

『六土開正グループ』の3人組

六土開正(ベース)

矢萩渉(ギター)

田中裕二(ドラム)

ZZ TOPやThe Allman Brothers Bandをカバー。Rory Gallagherの「Tattoo’d Lady 」(いれずみの女 )では矢萩渉がボーカルをとってました。
安全地帯も六土開正グループのメンバーもどちらも気になっていたようです。


旭川の音楽シーンではオリジナル曲の安全地帯とカバーのロックバンド六土開正グループが一緒になるというのでビックリしたでしょうね。


新生安全地帯 8人メンバーに

玉置浩二(ボーカル)

武沢豊(ギター)

武沢俊也(キーボード)

宮下隆宏(ベース)

大平市治(ドラム)

六土開正(キーボード)

矢萩渉(ギター)

田中裕二(ドラム)

目指したものは

アメリカのロックバンドみたいに

同じところで育った

地元の仲間だけで作る音楽


「R‐『★』指定」

「あの昭和生れの田舎暮らしで

 見据えた相手は米国だった」



自分達でスタジオを持ち、PAも自前で所持しようと

周りが田んぼで家がなくて、レンガ造でしっかりしていた物件を見つける。

天井裏にグラスウールを貼ったり改築し、200万円位費用がかかった。

4ヶ月の作業の末に音楽スタジオ


1978年2月

『ミュージックファーマープロダクション(МFP)』 完成



完成の夜に玉置さんと田中さんが揉める。

仲裁に入った宮下さんのパンチが玉置さんの鼻に当たり骨折し病院に運ばれ手術をする。


1.5〜2ヶ月位玉置さん練習に参加が出来ず。


借金を返す為に1〜2ヶ月バイトをする。

金が貯まったら練習をするというサイクルを繰り返した。



週末は家に帰り、洗濯したり、食料を持ってきたりした。



練習前に走っていたそ


宮下さん「玉置さんの才能についていくのは大変だった」と


コンサート

チケットの割当表

チラシもチケットも手づくり

チラシを買い物公園で手配り


アマチュアで旭川公会堂に800人の観客を定期的に入れていた。

映像は1979年10月のライヴ

「力ある限り」

「二度とこない今日のために〜

     歌え! 叫べ!! 
        力 ある限り〜」



デビュー後とは違うハードロックバンド安全地帯の映像。


「新しき人生」

「どんなに遠くても歩き続ける〜」


2024年12月10日