ゲーム後進国日本 -4ページ目

戦闘民族日本人 その1

いつから言われ始めただろうか。「日本のRPGは自由度が無い」という、いかにもJRPGファンからニワカ洋ゲー信者と卑下されそうな、国産ゲームを批判する際に広く使われている名文句。確かに短絡的すぎるとは思うがこの言葉が意味する所は事実でもある。日本のRPG、いわゆるJRPGには海外のRPGでは当たり前に存在する冒険や探索、自由な意思選択などの要素は無いに等しい。ストーリーの指示通りにキャラクターを進め、立ちふさがる敵を倒し、話を進める。JRPGの多くはこの繰り返しである。このような戦闘とストーリーしか楽しみの無いJRPGが氾濫した結果、日本におけるRPGとは「ストーリー付きの戦闘ゲーム」、または「戦闘付きの映画」であると定義付けられてしまった。


こういったJRPGが存在する事自体は問題無いとは思う。クロノトリガーなんかは今となっては時代遅れだが、紛れも無い名作である。古めかしいコテコテのJRPGを求めるユーザーは今も多く存在するだろう。だがこんな内容のRPGが日本のRPGの9割を占める(あくまで個人的なイメージ)現状はいかがなものか。そしてそれ以上に問題なのが、ユーザーのRPGに対する印象の統一である。日本のゲーマー達はJRPGに教育され続けた結果、彼らはRPGに対して「戦闘」でしかゲームとしての面白さを理解することができなくなってしまった。どのようなRPGであれ、発売前にメディアによってもたらされる情報はどれもこれもキャラクターがどうとか世界設定がどうとか、まるで発売後の設定資料集のような内容ばかりで、ようやくゲームシステムの情報が出たかと思えば戦闘システムの話ばかり。公式サイトを見ても、キャラクターや地域紹介だのどうでもいい情報ばかりで、ゲームシステムに関する情報の殆どは戦闘システムに割かれている。なにしろユーザーがこういった情報しか求めていないのだから。RPGのゲーム要素と言えば戦闘しか知らないのだ。


そんな日本のユーザー達にとってまさに黒船来航となったのが、Oblivion、Fallout3、そしてskyrimの登場である。もちろんこれらBethesda作品以前にも良質な海外RPGは腐るほどあった。だがそれらはどれもPCゲームであり、また静かなブームしか起こらず、海をわたって知れ渡る作品は無かった。しかしこのBethesda作品は、日本で発売される前から全世界で絶大な評価を集め、日本でもあらゆるメディアが大々的にその凄さを称えた。いくら洋ゲーが嫌いとはいえ、ミーハー大国の日本人がこのゲームを無視することはできなかった。


その日本のユーザー達はこれらの作品を楽しめただろうか?確かにネットでは概ね良好な評価を聞く。だがそれと同時に、まるで親の仇かのようにこき下ろす者も大勢いた。そしてネットの外では、まったく楽しさが分からないというユーザーが大量に存在したたと思われる。どうして彼らはSkyrim等を楽しめないのだろうか?ではSkyrimの戦闘を確認してみよう。ガシガシ殴りあうだけ。または魔法をかけ続けるだけ。もしくはスニーク状態から一撃をお見舞いするだけ。つまらない。そう、Skyrimの戦闘はつまらないのである。どんなに熱狂的なSkyrimファンであれ、プレイ後に戦闘シーンを思い出して面白かったかどうかを問われれば、返答に困るだろう。


ところがSkyrimの戦闘は面白いのである。何を言っているのかわからないと思うが、Skyrimの戦闘ほど面白いRPGは、ARPGはともかくJRPGには存在しないだろう。少なくとも、「プレイ中に」戦闘がつまらないと思う事は一切無い。なぜこのような現象が起こるのかといえば、日本のユーザーはSkyrimの戦闘をJRPGの戦闘と同じような見方で抜き出しているからである。SkyrimにはJRPGのような戦闘は存在しないのに。


JRPGの戦闘は独立している。ランダムエンカウントであれシンボルエンカウントであれ戦闘が開始すれば謎空間に放り込まれ、先ほどまでいたフィールドとは全く別の法則によって縛られ、戦闘が終わればまた移動と会話しかできないフィールドへと戻される。これなら戦闘の良し悪しを他作品と比べるのは容易いだろう。ところが海外のRPGはこれとは別物、いわゆるシームレスなのである。特にSkyrimの場合、戦闘行為でさえもシームレスである。戦闘中でなくても剣を触れるし魔法も撃てる。あらゆる行為が時と時間に限定されない。こうなると「戦闘」とはどのような時と場面を指すのかわからなくなる。だが日本のユーザーはその答えを「敵と殴りあう数秒間」と結論づけてしまった。


実際にはSkyrimの戦闘は長大なものである。人によってはプレイ中は常時戦闘のようなものだと感じることもあるだろう。索敵や魔法の下準備なども戦闘であり、戦闘後に転がる敵の死体から武器防具をはぎ取ることもまた戦闘である。対話や隠密行動で戦闘を回避することも立派な戦闘である。市井の民の助けを聞いて戦地に向かったり、見事敵を打ち倒して報酬を受取ることもまた、戦闘の一部なのである。日本のユーザーの多くはこれが理解できず、「敵と殴りあう数秒間」だけを意味もなく抜き出して批判しているのが現状だ。


(次回につづく)

ultima一本無料 M&M一本130円 ドラクエ一本900円

恐らく今年、いや今後数年に渡って、「日本のゲーム市場の堕落を象徴するセールス」として名を連ねるであろうゲームが誕生した。wiiのドラゴンクエストI・II・IIIだ。そんなに売れなかったのか?いや逆だ。売れすぎたのだ。初週25万本、累計31万本(10月4日現在)という昨今の日本市場においては堂々たる数字。あまりにも売れすぎだ。だいぶ前に当ブログでドラクエ6のリメイクがミリオン達成したことを不相応だと嘆いていたが、リメイクしてくれるだけ有難いものなのだと今回の一件で理解させられた。


ご存知だと思うがドラクエ123、これは、リメイクではない。ベタ移植なのである。FC版123とSFC版1+2、3という豪華五本だてベタ移植。それをビミョーな特典つけて4500円(小売価格)で売りつけているのだ。あまりにも、あまりにも情けなさすぎる。こんなものを30万人以上の人間が買っていったのだから怒りを通り越して呆れも通り越して悲しくなる。


よくもまあスクエニはこんな恥も外聞も無い行為を行えるものだ。スクエニだけではない。任天堂のスーパーマリオコレクションもそう。ナムコが年1のペースで出すのレトロゲーム詰め合わせタイトルもそうだ。はるか昔の名作セットに高級感をつけてパッケージにして販売する。あさましい事この上ないし、それを買うユーザも大馬鹿だ。確かに昔の入手やプレイが困難なゲームを再びやりたいという需要があるのは認めるが、SFC、あまつさえFCのタイトルなんて1本100円の価値があるかも微妙なところだ。PSのアーカイブは1本600円程度で買えるのに(スクエニの某タイトル除く)何故日本のメーカーは80年代後半~90年代後半のFC・SFC時代の名作を安売りすることを絶対に拒むのだろうか。本当にその名作をやりたい人は、ロムデータを違法ダウンロードするか、中古のカセットを探して入手するか、不要な装飾がゴテゴテついたバカ高い詰め合わせ作品を買うしかないのが現状だ。


それでは海外では過去作の扱いはどうなのだろうか。世界3大RPGと言われるwizardry、ultima、Might and Magicの三作 (Bard's Taleとかローグとか言いたい人もいるかもしれないが、キリがないので無難なこの三作で。)を例に挙げてみよう。

まずwizardry・・・といきたいところだが、本家wizardryの制作会社Sir-Techは既に倒産している上にその後の権利関係がゴチャゴチャしていて、リメイクどころか再販も一切行われていない。ただ日本での販売権を持つ企業(これも倒産や合併を繰り返して今どこでどうなってるのか不明)が、日本語版をあちこちで移植したり、wizardryの名を冠した外伝的タイトルを乱発しているのが現状である。まあともかく、海外のメーカはwizardryI・II・IIIなんてものは出してない。


続いてultima。こちらは制作会社のOrigin SystemsがEAに買収されただけなので、権利関係がしっかりしている。ultimaほどの大きなシリーズになるとどこでどんな売り方をされてきたのか計り知れないところだが、少なくとも現在の時点で過去作を一番手軽に手に入れることができる方法は見つけられるだろう。ということで調べてみた。といってもいくつかのダウンロード販売サイトで検索をかけるだけですぐ見つかった。GOG.comという過去の名作を主に扱う有名な販売サイトにて、1・2・3の三本セットが5ドル、4・5・6の三本セットがこれも5ドル。なんと1980~1990年に発売された六作品がたった10ドル、日本円にして800円弱で購入できるのだ。それだけではない。Ultima4に至っては数年前から無料で配布されている。この無料配布というものも海外ではよく行われており、例えばGTA1、2なんかも無料で配布されているし、oblivionで有名なThe Elder Scrollsの2も無料。Hidden&DangerousやTRIBES、FEARのマルチ版など、割と新し目のゲームもフリー化されている。これは今話題の基本無料アイテム課金というものでは一切無い。基本的には企業やシリーズ作品の宣伝という名目でフリー化しているものが殆である。というのもこういった過去作になんの価値もないという土壌があるからこんな太っ腹なことができるのだ。未だに過去作に商業的な価値があり続ける日本では到底できない芸当である。


最後にMight and Magic。これは実にシンプルだ。前述したGOG.comにて、1~6までの6本セットが10ドルで売られている。ちなみにサウンドトラックと300ページ超のデジタルマニュアル付き。Might and Magicは他タイトルに比べればあまり古くないシリーズで、6が発売されたのは98年である。ドラクエ6が発売されたのは95年なのだから、順当に考えればドラクエ1~6のセットは10ドル以下で売られなければならないはずだ・・といってもこんな皮算用が何の意味も持たないことは理解している。あくまで指標として。


総論として、日本でいうFC、SFCと同世代のゲームが海外では1本1.7ドル程度で売られているのだ。無駄な装飾やオマケなんかつけない。パッケージすらない。ただゲームがやりたい人のために、スマートにゲームそのものを提供しているのだ。対して日本では過去の古臭いタイトルを誰の手にも渡らないよう大事に保管しており、どうやって付加価値をつけて高く売りつけようかしか考えていない。ユーザーにしても、それを名作というだけでなんの不信感も得ずに買っていく。


いつから日本人は、ゲームの購入に関してここまで無抵抗を貫くようになったのだろうか。見栄えがよければ、タイトルの聞き心地が良ければ、内容や値段に関わらず買っていく。売れるものが良いものとは限らないのはどの国でも当たり前のことではあるが、この国に至っては悪いものが売れてしまう。その結果悪いもの支持されてるという事実だけが数字として残り、悪貨が良貨を駆逐してしまうのだ。ゲームの購入という行為は今後のゲーム業界の行く末を決める選挙の投票という側面も持っている。あからさまなアコギな商売や中身を伴わないゲームをなんとなくな理由で購入しないで欲しい。あくまでゲームは娯楽品。娯楽だったらゲーム以外にもあるのだから、ちょっとでも不満に思ったゲームは買わないで他のことにお金を使うのが一番だ。

当ブログにアフィリエイトの類は一切ありません

2ちゃんねるまとめブログを恐れるゲーム関係者たち
http://slashdot.jp/article.pl?sid=11/08/15/0936215

こんな低レベルな討論が存在していいのだろうか。まさに下衆、醜悪、低俗極まりない腐りきった議題。ソクラテスが生まれる以前の古代ギリシャのシンポジウムの方が遥かに有意義な話し合いを行っていただろう。あんな無法地帯に真っ当な議論を差し向けることは表現の自由の無駄使いだ。むしろこの記事はブログの影響力を宣伝するための提灯記事じゃないかと思えてくる。

はちま起稿とオレ的~という二つのブログは、あくまでネットユーザー達の膿でしかない。ゲームを取り巻く低レベルな罵り合いをわかりやすく具現化したもの。無知を先導して広告料を徴収するための機械だ。確かに昨今のネットの評判というものはこれら二大ブログの方向性とほぼ合致しており、ブログで評判の良いゲームは面白いゲーム、悪いゲームはクソゲー、と言うふうにネットユーザー達の意見を支配しているようにも見える。だがまとめブログと言う物が存在しなかった頃にも、ネット上の意見を支配する存在はあった。それは日本人が大好きな「空気」である。例えばFFなんかは個人の意見を尊重するまでもなくゴミ以下の産業廃棄物として扱わなければいけない風潮が当時もあった。2ちゃんねるでFF新作の話題があればそれはFFを叩くことから始まり、強引なスクウェア批判につながり、不自然なエニックス賞賛に終わる。逆にFFを褒める奴は流行に流される無知ゲーマーという烙印を押される。そういった「空気」が、当時のネットにはあった。まとめブログはその空気を具現化しただけである。したがってはちまもオレ的も単なる器でしかなく、これについて論じるのは一見有意義に見えるがその実まったくの無価値である。


とはいえこの二大ブログに群がり教えを乞う人の多いこと多いこと。確かにこの二大ブログが持つ影響力というものは論ずる価値があるかもしれない。ただしそれはブログについてではなく、それを利用する白痴たちについてだ。最近、いや昔からいたのが表面化しただけなのかもしれないが、知識もないのにゲーム業界を語りたがる連中が多すぎる。本来ゲームはプレイして楽しむだけの物なのに、買う気もないゲームソフトやゲーム会社、制作者に対しあーだーこーだ議論したがる輩があまりにも多く見受けられる。べつに批判することを批判しているわけではない。問題なのは知識もなくこれといった意見も持ち合わせてないのに、批判めいてゲームを語りたがることだ。そして批判する対象を求めまとめブログに辿り着き、自分なりの知識と意見を持った気になり、ゲーム業界を語る。まさに考え方がブログに支配されている。自分なりにゲームを語りたいのであれば、自分の意見を持ち、それを知識で肉付けした上で、こうやって自分のブログなり何なりで発信していけばいい。2chやまとめブログのコメント欄でいくら吠えてもまったく価値はない。



それにしても理解ができないのは、こんなブログに擦り寄るゲーム会社がいることだ。いわゆるステルスマーケティングの如く、裏取引で自社のゲームに好意的な書き込みのみ採り上げさせる、という事をするのならまだ理解できる。しかし公然と新作ゲームの体験会に呼んだり、公的な配信番組に出演したり、クローズドな会合に呼んだりするのはあまりにも気持ち悪い。まとめブログというアンダーグラウンドのそのまた下のウェブサイトの管理人に表立って媚びを売ることがまともな人間のすることだろうか。確かに彼らはネットにおける求心力や広報手腕に関しては日本でも随一の存在だ。本を出してもいいレベルだろう。だがゲームに関してはどうか?彼らはゲームに関して何が成し遂げたことがあるのだろうか。ただ2ちゃんねるの言葉をまとめて、それを踏まえて偉そうな言葉を付け足すだけの人間が、まるで我が国のゲーム業界のご意見番のような扱いをされているのはあまりにも情けなさすぎる。まあゲハブログに影響される白痴ユーザーを釣るため、という非常にわかりやすい大義名分があるのは事実だが。