あえて言おうクソであると
先週行われたGame Developers Conferenceでのとあるインディーズクリエイターの発言がネットで話題となっている。こんなブログを見ている人ならもうご存知だろう。例の「日本のゲームはクソ」発言だ。
http://www.kotaku.jp/2012/03/wysjgjs.html
この事は海外ゲーム情報サイトで記事にされるやいなや、2chやツイッターの至る所で波紋を呼び、まとめブログも一斉に記事にした。それも当然だろう。これまで日本のゲームがつまらないという事実は誰もが遠まわしにしか口にしなかった。無名のネットユーザーがネットを介して言ったり、日本の製作者が柔らかい物腰で、日本のゲームの希望を見せつつ海外のゲームに遅れをとっているとつぶやく程度だった。それが今回、GDCという一大イベントにおいて、多くのゲームクリエイターが見守る中で、見ず知らずの日本のゲームクリエイターに対してはっきりと「suck」と言ってのけた。さらにあろうことか会場に居合わせた数百人の観客が笑いと歓声で沸き立ったのだ。
この事件は今後の日本のゲームの立ち位置について大きな意味を持つかも知れない。それまで人権を持たなかった「日本のゲームはつまらない」という偏見が、極めて客観的な共通意見と化したのだ。多くのゲーマー達が「ああやっぱり皆そう思ってるんだ・・・」と確信したのである。この事件が海外でどれだけ話題になっているかは知らないが、会場に居合わせた人、そしてこの事件の記事を見た人はこれから日本のゲームを批判することへの抵抗がかなり和らぐだろう。今はまだ世界的には無名のインディーズゲーム開発者の一人が言い放っただけに過ぎないが、もしかすると近いうちにCliffy BやGabe Newellといった第一線で活躍する著名なゲームクリエイター達が当たり前のように「日本のゲームはクソ」という認識を表に出していくようになるかもしれない。
それにしても驚いたのが、今回の事件に対するネットの反応である。またいつものように大量の洋ゲー嫌いのユーザーが意味不明な反論をまくし立てて、和ゲーも洋ゲーもどっちもどっちだという結論に持って行こうとする意見が多数占めるのかと思えば、9割近くがこの発言に同調し、日本のゲームを批判する意見で占めたのである。(無論この数字はまとめブログでピックアップされた書き込みで判断しているのではない。転載元のスレッド等を複数見ての判断である。)
数年前、いや去年の段階でさえ、ネット上で日本のゲームの批判を主とする話題となれば半数は日本のゲームの擁護、または海外ゲーム批判の書き込みがだった。それが今やむしろ擁護することがマイノリティなのである。そうなるとこのブログの存在意義はどうなるのか。少し困る。
ゲームレビュー 「ARMORED CORE V」
アーマードコアVはなかなか意欲的なゲームだ。プレイヤーが自分たちのチームを作り、チームで拠点を所有する。そしてプレイヤー同士が争い、拠点を奪い合う。今までこういった勢力争いするオンライン対戦ゲームというものは、あくまであらかじめ決められた特定の勢力が存在し、最初にどの勢力に所属するかを選び、そこで決められたように戦うのが一般的だった(MAGやクロムハウンズなど)。だが本作におけるチームというものは完全にプレイヤーの支配下にある。すべての行動にはプレイヤーに決定権がある。自分たちが結成した軍団がゲーム内で名を轟かせることも可能なのだ。他にも多くの新鮮なオンライン要素を含んでおり、近年の国産ゲームにしてはかなり冒険している。他のゲームもこういった心意気を見習って欲しいところだ。ゲームの良し悪しはともかく。
以上の文章はあくまでこのブログとしてのものである。これより以下は、このゲームを購入した一消費者としての意見。
上で語ったようなオンライン要素は、ほとんど破綻している。どこがどう破綻しているのかは、もはやあちこちで散々語られているので割愛する。プレイヤーは沢山いるのに対戦ができないという、あまりにもユーザーをバカにしすぎているシステムである。というかその破綻を抜きにしてもとにかくインターフェースがあらゆる部分で出来が悪くイライラさせられる。特にパーツ関連。新しいパーツが入荷されたと通知されるが、数多くあるパーツのの中でどこのどれが新しいパーツなのかの表示が一切無い。そしてパーツを購入して付け替えようとする時も、購入と同時に付け替えだとか、新しく買ったパーツの表示だとか、同名のパーツを能力値以外で見分ける表示だとか、そういう「あるのが当たり前」のことが一切存在しない。このゲームは何から何まで不親切すぎるのだ。身の程を知らず実現できもしない夢を追い求めた挙句、こんな小手先の工夫さえできていない。あまりにも情けないゲームであり、こんなのを買ってしまった自分もまた情けない。
自分のアーマドコアシリーズの経験は、3とこのVの二作しかない。昔3をプレイした際の感想は、「全体的に不満の残る内容だが、尖った部分もある。熱狂的なファンがいるのも頷ける」というものだった。だがこのVをプレイした感想としては、その「尖った部分」がなくなり、ただ全体的に不満の残るだけのゲームと化してしまっている。これは別に尖った部分が劣化して丸くなったわけではない。現在はその尖った部分が当たり前に存在するからだ。尖りきった面白い部分があり、その他の要素も全てクオリティーが高い。そんな夢のゲームを、現在の海外メーカーは軽々と作ってしまうのだ。本作のような硬派な国産ゲームの多くは、海外産ゲームが台頭している現在ではまったく必要が無いものなのである。熱狂的なファン以外には。
しかしここまで批判しておいて、自分にこのゲームを批評する権利があるのかと不安になる。大作ゲームを作る能力の無いメーカーが、熱狂的なファンだけを相手に、小さなコミュニティで細々と作り続けているゲーム。それがアーマードコアシリーズに対するイメージだ。そういったゲームが存在するのは悪いことではない。実際、自分が傑作だと思っているゲームの多くはそんな感じだ。そのようなシリーズに縁の無かった新参が何を喚いても仕方がないことかもしれない。
戦闘民族日本人 その2
海外のRPGだけではない。FF12もそうだ。あれだけ洗練された戦闘システムは日本で100万本以上売れたRPGでは他に存在しないだろう。シームレスなだけではなく、味方へのコマンド指示というRPGとして陳腐なものを撤廃したガンビットシステム。これらにより従来のJRPGには存在しなかった快適さ、キャラクターの位置関係による戦略、そして何よりフィールドとの一体感等を実現させている。さすがは松野氏と言える画期的な戦闘システムである。事実海外で大ヒットとなったDragonAge:Originsシリーズは、有り体に言えばこれをパクっている。
だが周知の通り、日本においてFF12という作品は、FF史上最低作品とも評されるクソゲーであった(FF13・14が発売される前までは)。それはストーリーやキャラクターに批判も多かったが、戦闘システムに関してもすこぶる評判が悪かった。多くのユーザーがFF12の戦闘を「見てるだけ」と評したのだ。何しろ彼らは魔法や必殺技でド派手なエフェクトが発生しないと満足しないし、戦闘の楽しさといえば弱点属性を突くことと的確なタイミングで回復をすることしか知らない。それを自動でやってくれるのだから不満が湧いてくるのも仕方ないだろう。人によっては「戦闘BGMが無い」と馬鹿げた批判をしているのもあった。彼らは自分が好きだったRPGと違うところがあればクソゲー、としか言えないのだろう。結果、その続編であるFF13はあんなことになってしまった。
JRPGを変えるかもしれなかったSkyrim、従来のJRPGの殻を破ろうとしたFF12。どちらも失敗に終わった。まず何よりも「戦闘」が変わらなければいけないのに、ユーザーがそれを拒む。日本のRPGがJRPGという言葉を払拭するのはまた当分先のことになるだろう。
そもそも日本のユーザーはRPGの戦闘にこだわりすぎている。Skyrimなんかは例え戦闘が全てムービーシーンに据え変わったとしても、ある程度の面白さは保持しているだろう。JRPGにおいて戦闘はまさにゲーム全体を意味するが、海外のRPGにおいて戦闘はゲーム全体を繋ぎ止める役割を持ったものに過ぎない(最も重要な要素であることに変わりは無いが)。日本のユーザーはまさに戦闘民族であり、戦い方にも保守すぎている。まるで鎌倉時代の武士といったところだ。彼らはまず戦闘に関して寛容にならなければならない。メーカーにRPGの戦闘に関して自由を認めて欲しい。そして従来のJRPGに対する印象は捨て、RPGというジャンルに囚われずあくまで1つの作品として、そのゲームを評価するべきだ。