ゲーム後進国日本 -2ページ目

ポケモンにまじになっちゃってどうするの

日本ではなぜプロゲーマーが誕生しにくいのか、という話をよく聞く。だが答えは簡単だ。日本で人気となるゲームに競技性が存在しないからである。

海外でプロゲーマーが存在するゲームといえば、Counter-Strike等のFPSやStarCraft等のRTSだ。どちらも非常に高い競技性をもち、かつ見てるだけでも白熱する素晴らしいジャンルであると思う。FPSはチームの連携やスタンドプレーが多くの興奮を生み、RTSは奥深い戦略とダイナミックな戦況の変化による「流れ」を楽しむことができる。スポーツに例えるならばFPSはアメリカンフットボール、RTSは野球だ。実際にプレイせずとも、観戦すること自体が娯楽として扱える。

ならば日本で人気の格闘ゲームはスポーツに例えると何か?ボクシング?総合格闘技?いや、個人的に言わせてもらえば、格闘ゲームは中学生の不良グループ同士の喧嘩だ。何の面白みも戦略性も生まない2D空間が訳のわからない派手なエフェクトでグチャグチャになったかと思えば、一つのコンボで優勢と劣勢が入れ替わる。単なる運でしかない相手の出方を「読み」と言い張り、ぶっ放しはそれはそれで評価される。極めつけはキャラクターによる優劣の差の激しさだ。あんなものに世界中でプロゲーマーが何人か誕生していることにまったく理解ができない。

(余談だが格闘ゲームにプロゲーマーが生まれにくい理由の一つに、市販されるデバイスが存在しないことにあると思う。海外では主にプロゲーマーが使用するマウスやキーボード等のゲーミングデバイスの販売会社がプロゲーマー達のスポンサーとなるが、アーケード版の格闘ゲームにはそれが存在しない。)

だが格闘ゲームファンの皆様は安心してほしい。日本にはもっと競技性が低く、試合を見てもまったく楽しくないゲームが存在するのだ。そのゲームこそ新作が発売されたばかりの、ポケットモンスターだ。

何故あれほどまでにポケモンに夢中になるユーザが多いのだろうか。別にポケモンが悪いと言っているわけではない。ポケモンの持つキャラクター性とコレクションや成長等の要素は、多くの人を虜にする魅力があるのは間違いない。それを持ち寄って友人と対戦できるのは更に楽しいだろう。だがそれは行為そのものが楽しいだけであって、戦闘自体や勝ち負けに面白さを見出す余地は存在しない。

ポケモンの対戦は結局のところ単なるジャンケンである。いや、場合によっては二択以下になるのだから、ジャンケン以下だ。もちろんどのゲームも突き詰めてしまえば数個の選択肢を選ぶだけだが、ポケモンはスタート地点の時点で既にほぼジャンケンなのだ。FPSのようにグーでパーを倒す鮮やかなプレイも無い。RTSのように二つのグーでパーを倒す戦術もできない。ポケモンで勝つためには、ただただ攻略wikiに書いてある通りにポケモンを選び、wikiの通りに厳選し、wikiの通りに育て、wikiに書いてある戦術で戦うのみ。そこに技術の差によるブレは発生しないし、経験や練習なんて大した価値は無い。単なるコマンド選択の行き違いや確率で盛り上がれるのなら、宝くじは世界最大の娯楽である。そもそも技に命中率というものがある時点で、パーティーゲームとしては問題ないが、対戦ゲームとしてはまったく成立していない。

そんな底の浅いゲームに、やれ個体値がどうとか努力値がどうとか必死になるユーザが沢山いる。いやむしろ本来の楽しみ方をしているユーザより多いのではないだろうか。ポケモンは本来、自分の好きなポケモンを集めて自慢しつつ和やかに戦うゲームのはずだ。それが何故、あんな大真面目になって研究し厳選し、人生の大半をかけてプレイに没頭するようなプレイヤーが生まれるゲームになったのか。

ポケモンだけではない。スマブラもそうだ。スマブラといえば仲間内で純粋な勝ち負けなど気にせずワイワイと楽しみ、強力なアイテムやステージのギミックで予測不可能なハプニングで笑い合うゲームのはずだ。それが今やアイテム無し、ステージは終点オンリーという質素な設定が、ネット対戦だけでなくお茶の間でもデフォルトとなりつつある。たしかにその方が競技性は上だろう。だが何故、スマブラというゲームバランスのかけらも考慮しないパーティーゲームに、そんなものを求めるのだろうか。

この2つの謎を解き明かす答えはなんだろうか。色々と考慮してあらゆる視点から多数の回答を挙げてみたかったのだが、残念ながらどう考えても虚しい答えがひとつ残るだけだった。その答えこそ、「売り上げ」だ。結局、彼らは売れてるゲームに群がっているだけなのだ。ゲームの内容よりも周りのプレイヤーの数、「みんながやってる」という事実が対戦ゲームとしての盛り上がりを呼ぶ。もしドラクエの新作に対戦モードが導入されたら、似たような現象が起こるだろう。というか実際、ドラゴンクエストモンスターズは競技性なんて一切考慮していない内容だったのに、第三者が勝手にモンスターレートなどというものを用意し、無理やり大会ごっこをするに至っている。そしてドラゴンクエストモンスターズ・ジョーカーでは身の程も知らずスクウェア・エニックスが公式大会を開き、参加者の大半が同じモンスター、同じ技、同じ戦術を取るという謎の儀式が行われた。

似たようなことを何度も言っているが、日本人はもう少しゲームに対する視野を広げるべきだ。インターネットの普及により対戦ゲームが場所や時間を限定する時代は終わった。周りの人間に合わせる必要はなくなったのだ。ネットの世界には数多くの良質な対戦ゲームが、世界中のプレイヤーが待っている。なのになぜ、日本の狭いコミュニティに固執するのか。そのリソースをもっと良質なゲームに費やせば、日本の対戦ゲーム市場もまだまだ伸びしろはあるだろう。

ゲームレビュー「ドラゴンズドグマ」

ドラゴンズドグマは、色々と考えさせられたゲームだ。


まず最初に言っておきたいのは、このゲームは遊べるレベルには達しているということだ。当然、SkyrimはもちろんFableやBioWare作品には遠く及ばないが、そういったメガヒット級作品を除いたオープンワールドRPGの一般的レベル、すなわちTwoWorld、Gotchic、Risen、TheWitcher等といった作品群と比べれば、最下層に位置するものの十分付いていっている内容である。


確かに悪い部分はいくつもある。散々言われている移動手段の乏しさや朝と夜以外の時間を指定するイベント、他にも戦闘中に散歩する山賊、クエスト目的の不親切さ、アンロックDLC、スカスカのマップ等数を挙げればキリがないが、それでもギリギリ、他所様に出せるRPGとしての形を保っていると感じられた。特にプレイヤーの仲間となるポーンのシステムは不完全ながらも評価できる点だ。デモンズソウルの時も思ったが、日本の製作者はこういったアバター的というか、ソーシャル的というか、プレイヤー同士にやや距離感のあるオンライン要素を作るのが得意なのかもしれない。ドラクエ9のすれちがい通信も、個人的には大嫌いだが世の中では大ウケだったらしいし。


総合的に見れば、70点くらいはあげてもいいゲームだと思う。もちろん他の国産ゲームが総じて30点40点レベルであることを考えれば大健闘と言っていいし、一線級の海外産ゲームと比べれば見劣りするのは事実である。


しかし。このゲームには一般的なレビューで説明できる「面白さ」や「つまらなさ」だけではなく、なんとも言えない「気持ち悪さ」を感ぜざるを得なかった。なんというか・・・このゲームは虚しいのだ。普段は理論的、理屈的な書き方を心がけている本ブログだが、これに関しては感性を言い表すしかない。


自分がこう感じる原因は、本作の薄っぺらさやハリボテ感だろう。幾つかのキーワードを入れると自動でゲームが作られる機械があって、そこに「オープンワールド」「剣と魔法」といったキーワードを入力して出てきたのがドラゴンズドグマだった、という話があったら信じてしまいそうなくらい、人が作った物という印象が希薄なのである。


例えばキャラクター。彼らとの会話はまるで自分がゲームの中に取り込まれたと錯覚してしまうほどだ。何しろその手の設定の漫画やアニメにありがちなNPCの不自然さそのものなのだから。とにかく彼らの存在にはまったく個性や人間性を感じられない。嫌になるほど顔を合わせることになる領都の宿屋の主人でさえ、こうしてブログを書いてる時点で、顔も名前も、性格や台詞もまったく覚えていない。他のキャラクターにしても、どこかで見たことあるような格好をして、どこかで聞いたことのある台詞を言う連中ばかりだ。そして極めつけはあの城に住んでいるピエロだ。製作者は恐らくあのピエロを超個性的で憎たらしく、プレイヤーに鮮烈な記憶を植え付けるキャラクターのつもりで作ったのだろうが、個人的にはあのピエロには不自然さしか感じられない。


先程言及したポーンにしても取ってつけた感しかない。正直まだクリアしてないのでなんとも言えないのだが、いくらなんでも設定が適当すぎではないだろうか。こういう仲間システムを作りたかったので、ポーンという存在をムリヤリ付け加えましたと言わんばかりの設定だ。本来ならそのポーンという存在を主軸にしたシナリオと世界設定を作り上げるべきではないか。本作のキモである戦闘に関しても同様だ。まるで他ゲームで使われた戦闘システムやモーションを、そのままこのゲームに移植したかのような違和感を覚えた。例えば強攻撃なんていつどこで使うのだろうか。部位破壊がある割には、部位をピンポイントで狙う攻撃方法に乏しくないだろうか。


そして何より、このゲームには心の底からの欲望を満たすものがない。戦闘や成長といった外面的な面白さがあるだけで、まだ見ぬ地を冒険するだとか、深いストーリーや世界を味わうといった、ゲームシステムで定義されていない面白さというものが皆無なのである。


正直なところ、今までクリエイター魂だの作り手の気持ちだの、そんなものを考えたことは一度も無かった。例え売るために嫌々作ったものであっても、面白いと感じればそれでいいと思っていた。しかしこのゲームで気付かされた。どんなにつまらない日本製のゲームであっても、製作者の愛というものを無意識に感じていたのだ。前に酷評したアーマードコアにしても、製作者のポリシーや目指したいものを感じられた。しかしドラゴンズドグマにはそれがない。プレイしていて伝わってくるのは、言葉に出来ない孤独感ややらされている感だけだ。


本作は決して悪いゲームではない。国産ゲームの殻を破った、賞賛されるべきゲームだとは思う。だがこのようなゲームが国産ゲームのスタンダードになったとしたら、それはそれで嫌だ。海外の真似をしないで日本人らしいゲームを作れとは言わない。日本のゲーム制作者は、日本のゲームらしさを捨てた上で、新たに自分らだけのアイデンティティを見つけて欲しい。

見ざる言わざる聞かざるサールザル

説明するまでもない超大作ゲーム「Skyrim」日本語版の発売からはや半年経とうとしている。本ブログでは戦闘について少し触れた程度で、Skyrimが魅せつけた日本のゲームとの圧倒的な差については深く踏み込んではいない。MOD文化やフリーローミング等の概念や考え方に関してはこれからもSkyrimを例に上げて解説していくと思われるが、Skyrimと日本のゲーム、ないしJRPGとの比較に関しては、あまりにもありきたりすぎる上にまったくの別物で比較できない等の面から控えることにした。


そしてもうひとつ本ブログで触れるのを控えていた問題があった。ゼニマックス・アジアの日本語ローカライズに関してだ。何故この問題に触れなかったかというと、当時十分話題になっていたのでわざわざこのブログで言う必要もなかったから、そして和洋の比較というわけでもないから(海外でもローカライズには多々問題点がある)、という理由があった。しかし現在になって気付いたのだが、この問題をまとめているウェブサイトは思ったより少ない。かの二大ゲハブログでさえ記事にしなかったのだ。なので今回はSkyrimの日本語ローカライズにまつわるゼニマックス・アジアの失態に触れることにする。


Skyrim日本語版の前評判は、そこそこ良かった。いや、悪くて当たり前の他ローカライズに比べれば素晴らしい期待度だった。ゼニマックス・アジアが過去に行ったローカライズはどれも及第点だったし、日本語字幕だけでなくFallout3、NVでも良い出来だった音声の日本語化も行われ、暴力表現の規制といったゲーム部分の変更も一切無い。そして何より、PC版はSteamにて同時発売されるというのだ。日本の多くのPCゲームファンは、とりあえず「世界中で日本だけ買えない」という最悪かつ当然の結末を回避できたことに、ホッと胸を撫で下ろしたことだろう。

しかしゼニマックス・アジアの無能っぷりは斜め上を行った。事の発端はゼネラル・マネージャー高橋徹氏にツイッターで投げかけられた質問だった。


「PC版も日本語音声日本語字幕なのですか?」


家庭用版はメモリ等の関係から日本語音声しか収録されておらず、日本語字幕英語音声という楽しみ方は不可能だった。これは今までもそうだったし仕方のないことだ。だがPC版ならsteamで購入するのだから、少なくとも言語を選ぶことはできるはずだ。(Steamは対応された言語の中からユーザが自由に言語データをダウンロードできる。)もしかしたら字幕と音声の言語を別々に変更できるかもしれない。しかし高橋氏の返答はとんでもないものだった。


「PS3/X360と同じ内容となります。尚、日本国内で英語版を遊ぶには「北米」のパッケージをお買い求め下さい。」


これには多くのPCユーザが首をかしげた。発売前のストアページの言語欄には英語と日本語が一緒にならんでいる。Steamを普段から利用している人にとっては、このことが英語版も遊ぶことができるという絶対的な証拠となっていた。なのに英語版を選べないとは一体?しかし高橋氏は質問に応え続ける。


「国内からSteam経由で購入した場合、日本語字幕・日本語音声となります。逆に、英語は含まれませんのでご注意下さい。ですので、英語版を楽しむには並行輸入の北米版を購入するしかありません。」


(日本語版は独自仕様なのかという問いに対して)「独自になります。海外版はダブルバイト非対応なので。」


この発言は多くのユーザの混乱を招いた。日本語版と英語版は別物。一件なんの問題も無いように見えるが、PCゲームを普段から嗜んでいる人にとっては大問題だろう。まずMODの不具合が懸念される。海外製のMODは当たり前のように海外版で作られるのだから、言語もバイトコードも違う日本語版に適用できるかはかなり怪しいところだ。次に価格。日本語版だけ別物ということは、他言語版とは別のストアページから購入することになる。そうなると日本語版だけ割高になるのは明白だ。またSkyrimはSteamWorks、すなわち他サイトで購入しても、シリアルキーを入力すればSteamでダウンロードし起動することができる。では他サイトで予約した人のSkyrimの言語はどうなるのか。


結論から言えば、これらの問題は全て杞憂に終わった。高橋氏が数日かけて社内で調査しベセスダに確認を取った結果、ゼニマックス・アジアが発表したSkyrim日本語版の言語仕様は、高橋氏が余計なことを言う前までユーザ達が思い描いていた仕様そのままだった。ストアページに書いてある通り普通に英語版も選べるし、MODも問題なく動くし、他サイトで買ってもまったく同じものが遊べた。要は高橋氏がSteamの言語選択の仕様を理解していなかったのだ。一般のユーザーでも知っていたことを、ゼニマックスアジア社員全員が理解していなかったのだ。


これだけでも呆れる体たらくだが、この無能集団の蛮行はまだ終わっていなかった。高橋氏の発言通りSkyrim日本語版は独自仕様であり、海外版とは言語以外にも異なっていた。何が違うかというと、マウスでの操作にバグがあったり、パッチが日本語版独自なので、海外版よりも遅れるというものだ。いやまあそんな事はどうでもいいのだ。よくはないがもっと大きな問題があったのである。


高橋氏は海外版がダブルバイト(日本語を表示する環境)に非対応なので日本版独自仕様にした、と言っていたが、なんと日本語版発売の一ヶ月前に、公式パッチにより海外版がダブルバイトに対応してしまったのだ。つまり日本語版の日本語ファイルを海外版Skyrimにそのままぶち込めば、バグも無く新パッチが即時適用される「完璧な日本語版Skyrim」が完成するのだ。そんなことも知らずわざわざバグ付き劣化版を作ったゼニマックス・アジアの連中は、マヌケとしか言い用がない。ちなみにこの日本独自仕様は今も続いている。ダブルバイトに対応したのだから、海外版と一本化してしまえばいいのに、今もなお新パッチが出る度に日本語版のパッチは遅れている。当然、多くの日本のユーザーはこの日本語版用パッチを利用していないのだが。


何故このような醜態をさらすことになったのか。それはおそらく、本社であるゼニマックス、開発会社であるベセスダとの密接な情報交換を怠っていたからだろう。自分たちが翻訳しているデータがどのように使われるかもわからず、ベセスダがダブルバイトに対応しようとしていることも知らず、目を閉じ耳を閉じ、ゼニマックス本社社員様のお手を煩わせることのないよう、海外から送られてきた仕様書に従って何も考えず作業を続けていたのだろう。こんな連中が日本のローカライズ会社の中ではまだマシな方なのだから悲しい話だ。