夢を語るペテン師 | 君の中にまだボーイは宿っているか?

君の中にまだボーイは宿っているか?

引っ越し整理の途中で見つけたゲームボーイで再び遊びだした男のブログ

仕事場の雰囲気があまりよろしくない。

 

仕事は皆しっかりしているが、一本芯の通った意思を感じない。共通意識というのか皆が一つの目標に向かっているというより、自分の仕事をこなしているという感じが強い。

 

長は妻で、どちらかというと職人気質で経営者っぽくない。自分は仕事にのめりこむが、周りも当然仕事なのだから自分同様のめりこむのが当たり前だと思っている。

 

でも、長は自分のやりたい仕事を一所懸命にすることが出来、直接褒められ、大きな仕事が出来たという達成感もあるだろうが、その周りの人間がそれと同じ感覚にはなれないという事が今一わかっていない。

 

受付の対応が悪いとクレームがあった。

 

僕は、クライアントに良い所悪い所のアンケートを取ることによって、外部の視線を知る事や、自分たちが実際に受付の向こう側からクライアントという立場に立って受け付けして貰うことを体験する事、そしてその姿をビデオで録画して皆で見るというのはどうだろうかと提案したが、問題解決をする事より、皆を傷つけまいとしてかそれは出来ないと断られた。

 

確かに今の職場では難しいかもしれない。

しかし、これは実際に僕の以前の職場で実際にやってきたことだった。

 

それをやれる職場とやれない職場の違いは、人間関係の問題だと思う。

 

僕の以前の職場は、あまり長い時間一緒に働くことはなかった。長くて二年、それを過ぎると皆それぞれに独立したり高まった能力を買われてほかの職場へ求められて巣立っていく。あまり長い時間を一緒に過ごせなくても、とてもいい雰囲気であり、一つの目的に向かって情熱的だったともいえる。

 

今の職場では、皆5年以上勤めているのに、人間関係はあまり濃くはない。家庭を持っていて守るものも多い人達だという事もあるが、休日を一緒に出掛けたりする仲では無いだろう。

 

以前の職場ではクレーム対策をしても仲間の落ち度を責めるわけではなく、皆がその落ち度に気が付くことと、それをどう対処しようという気持ちであふれていたが、今の職場では、注意点を洗い出すことが落ち度ある人を吊るし上げて責め立てるように思えるのは、そういうことを言える間柄ではないという事なだけではないだろうか。

 

 

以前の職場ではこんな事があった。

 

ある休みの日、責任者三人のうち一人が全日休日出勤になったのだが、その三人は月に3回休みがとれるかどうかというくらい忙しかった。じゃんけんで負けた僕が出勤することになったのだが、当日出勤してみると結局他の二人も気になって出勤してきてくれた。そうなると、出勤していても仲間と一緒だと休日に感じられるし、仲間も仲間で気楽に様子を見に来ているので働いている気もしていなかった。おかげで気楽に過ごすことができた。

 

多分、今の職場ではそういうことは起きないだろう。お互いに気を使い、頼り頼られるという気持ちが薄いのだと思う。それもまた、みんなの気持ちが一つになっておらず、自分の仕事をこなせばいいという意識でしかないのだろうと思う。

 

僕と妻との違いは何だろうと考えた。

 

それは、自分以外の人に大きな希望や夢を見せる事かもしれない。

 

みんながみんな仕事に夢や希望を見いだせるとは限らない。

 

だから、こうなってこうなると良いんじゃない?あの人本当に感謝してくれたね、良かったね。そんなところに気が付いてくれたの?助かったよ!そこはちょっと違うよね、でも大丈夫、みんな最初は出来ないけど、真剣に頑張ればいずれわかるから、わからなかったら何でも聞いて。俺は依怙贔屓するから、だって真剣に頑張った人を可愛がるのは当たり前でしょ?今日は上手くいかなかったなぁ、でも明日はこうやって対処しようと思うんだ。

 

以前の職場では、こんな言葉であふれていた。

 

今の職場では、あるのかもしれないけど、漏れ伝わるほどは聞こえてこない。

 

良く妻には言う事がある。

 

「熱狂の渦に巻き込ませたらいい。」

「妻はみんなのルフィ―にならないとね。」

 

自分がこんなに感動した、こんなに頑張ったのに患者さんを助けられなかった、みんなのおかげで良い診療が出来た、疲れたけどやり切ったね、もっと苦しんでる人を助けるためにはどうしたらいいか教えて、私はこういう風にしたいから力を貸して。

 

そんな言葉で、自分が見ている景色の高さまで引き上げればいいと思う。

 

それが、とても難しいイバラの道でも大きな夢を持って、一緒に歩く人さえいれば夢のない危ぶむ人も一緒に歩きだしてくれるはずだ。全員がいなければ一つの仕事を達成することはできない。

 

苦労して高い山の頂上にたどり着いたのなら、そこから見える素晴らしい景色を皆で眺めたい。

 

妻は、先に相手の考えすぎて難しい事や面倒なことを頼むのが下手だ。僕は、何とか頼み込んでごり押しすればどうにか出来ると思っている。それもまた、お願いできる人とできない人の気質の違いかもしれないが、結局はそれが出来る間柄の人達かどうかという事ではないかと感じる。

 

大きな絵空事を語るペテン師になってほしい。

 

確かにそれは、知らない人から見れば出来っこない無理なことかもしれない。でも、それは絵空事かもしれないが、絶対できない出鱈目を言っているわけではない。

 

人は一人で自分自身に小さなペテンをかける。

 

綺麗な水着をみて、ある夏の楽しい一日を想像して頑張ってダイエットをはじめたり、外国人の友達をたくさん作る夢をみて、英会話をはじめる。

 

でもそれも、ペテンになるか夢の実現になるかは、どこまで強く夢を見続けられるかにかかっている。辛くても一緒にやる仲間がいればやれなくても楽しく、挫けそうでも誰かがフォローしてくれる。できなかったことを後悔したくなくて、最初から無理だというのとは、人生においてかなり大きな違いを生み出すのではないだろうか。

 

ベテランペテン師の僕が皆をペテンにかけてやろうとも思ったが、妻が院長をするならば、僕はペテン師になるよりもピエロでいなければならないと思った。

 

そして、みんな一人一人に小さな魔法の花を手渡し、大ペテン師の誕生を待ちわびるのである。

 

そんなピエロの長い長い独り言。

 

いつかこのメイクを落とす日が来るまでは、良きピエロでいたいなと思っています。