Gambler’s-daddyのブログ

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自分の実体験から、ギャンブル依存に関して信じていいものと信じてはいけないものを仕分けしてみた。

信じていいもの。

〇厚生労働省指定の依存症全国拠点機関

独立行政法人国立病院機構 久里浜医療センター

肥前精神医療センター

岡山県精神科医療センター

大阪府立精神医療センター

医療法人杏野会各務原病院

神奈川県立精神医療センター

〇全国精神保健福祉センター

〇依存症専門病院

〇全国ギャマノン

〇全国GA

もちろん個別の特徴や相性はあるかもしれません。しかしそれはどんな世界でもあります。

 

単純に信じてはいけないもの。

▲民間回復施設・・・・ギャンブラーによってかなり向き、不向きがあります。状況による適合性の有無もあります。慎重な見極めが必要です。治療の逆効果になる場合もあります。

施設は少数の回復者職員で運営されていることが多く、医療の深い専門的訓練は受けていません。施設の運営には外部の精神医療機関や弁護士とのタイアップなども記述されていますが、施設の予算と工数の理由で実際はほとんど実態がなかったりします。期間も長く、保険も効かず、多額の費用もかかります。

▲個人開設の相談員・・・ギャンブル回復者や依存症相談に関わった経験者などが開設している場合が多いようです。表向きのキャッチフレーズは大概正論で固められていて、つい信じてしまいますが、裏にいろんなうさん臭いものが隠されているケースが多いようです。初期には良心的に活動していてもだんだん変質しているケースもあります。一般的にはおすすめできません。

利用する場合は必ず評判や裏の顔をネットや口コミで確認してください。

ギャンブル依存症関連の数々の社団法人やNPO法人・・・玉石混合です。どれが玉でどれが石なのかかなりの見極め力と一定の関わりと時間を要します。先に信用できる機関への相談を行い、その上で機能と評判と必要性を確かめて参加、利用するのがいいでしょう。

×ギャマノンの“反応”おば様・・・ある意味最もやっかいな人達です。ギャマノン経験が長く、ベテランのおばさまでギャンブラーと離別したり、あきらめたりしている人が多いようです。ギャマノンで仕切ったり、 新人指導に意欲を燃やしたり、失われたギャンブラーとの共依存関係をギャマノンにも持ち込んで“うざい”言動をしているおば様です。

禁止されている「アドバイス」行為を行ったり、スポンサー&スポンシー関係で他人の行動を支配したりすることが多いようです(反応行為)。本人は悪気がなかったり、善意のつもりだったりするので改善は望めません。。

古臭い「底つき理論」を笠に着て、「あなたはまだ無力を認めてない!」「はっきり突き放しなさい!」「びた一文あげてはダメ」!「家を追い出しなさい!」「路頭に迷おうが、身を持ち崩そうが手を出してはダメ!」「犯罪や自死を選ばれてもそれはその人の運命なんだから仕方がないのよ!」などとまるで新興宗教の教祖のような傲慢さを持つ罪深いおば様も少なくありません。

ギャマノンに寄生しているようなおば様もいるので、黙ってそのギャマノンを去るしか方法はないようです

 

くれぐれも自分自身の直観を信じてホンモノとニセモノを仕分けし、絶望の道に迷い込まず希望の道を見つけてください。

 

数年に渡る本人と家族との葛藤を経て、自律的な回復への道を目指し始めた息子は、外部の専門機関の力を借り、生きづらさの根源的意識の形成への気づきと修正と生き直しの方向を見出し、今、回復への道を着実に歩み続けてている。

 

生きづらさの根源的な意識は、本人の特異な性質と家族関係の中で形成された幼少期のトラウマだった。

トラウマは長い時間をかけて徐々に歪んだ気質を形成し、

歪んだ気質はやがてある精神疾患に繋がっていった。

その精神疾患を下敷きにして、やがて多くの対人関係のトラブルを経験し、心の傷を深めていった。

心の傷とストレスは時にギャンブルを必要とし、時に自死意識に繋がり、時に嘘と借金を重ねることになった。

多くのものを失い、自尊心を失い、生きる希望を失った。

この根深い深刻な事実が、全ては本人の「「このままじゃダメなんだ。自分の力で回復を目指そう」という意識を出発点にして、外部の専門機関の助けを借りてようやく究明できた。

 

依存症にとって「究明」=「治癒」ではない。

それは等身大の自分を取り戻した新たな生き直しの出発点という意味でしかない。

しかしこれは回復の道を歩む為の絶対的な通過点だ。

これからの人生に何か絶対的な保証が有るわけではない。

しかし、それは失敗があって、も回り道があっても、「ありのままの自分自身の人生」であることは間違いない。

それこそが希望の道なのだ。

「12 STEP」の古典?的な解釈によれば、ギャンブラーに向き合う家族への指針は下記に要約される。

①、強迫的ギャンブル(ギャンブル依存)は病気である。

②、ギャンブラーの家族はほとんど共依存の関係になっていて、ギャンブラーの手助け(借金肩代わり、後始末)をやっている。それは結果的にギャンブラーの病気を悪化させる。

③、家族は自分の無力を認めなければならない。

④、ハイヤーパワー(自分を超えた大きな力)を信じ、問題を委ねる。

⑤、ギャンブラーを手放す。

⑥、家族は自助会(ギャマノン)に繋がり、仲間の力を借りて「12 STEP」を学習、実践する。

⑦、手放されたギャンブラーは手助けがなくなり、やがて底つきをし、回復への道を歩む。

 

問題があるのは③、からだ。

自分の実体験に基づいて現代意訳をしてみよう。

③、依存症は根の深い深刻な精神疾患であり、本人や家族の力だけでは治せないという「無力」を認めよう。

こうして少し丁寧な解釈をしただけで直ぐに④以降の適切な解釈が見えてくる。

④、家族がまず積極的に外部の様々な専門医療機関、回復施設、精神保健福祉施設、自助会などの機能と役割を学習し、コンタクトし、本人の個別状況に見合った最適な機関を探し出し、そこに問題を委ねる(複合的な委ね方もある)。

⑤、否認と依存症状によって正常な判断力を失っているギャンブラーに対し、家族は粘り強く“愛”の力で学習結果を示し、家族自身の共依存からの変化も見せ、信頼関係を取り戻しながら本人の深い心

(生きづらさの根源意識)に訴えていく。

そして本人に対し、「このままじゃダメなんだ。自分の力で回復を目指そう」という心境にまで導く。

そして、外部の力と本人自身の回復への心境の次元に至ったら、家族は手放しを始める。

⑥、家族はギャンブラーを委ねた外部の専門機関や家族自身の自助会に繋がり、この問題への学習を深めつつ、自身の精神的な疲労の回復にも努める。

⑦、外部の専門機関の力を借り、自律的な回復への道を目指し始めたギャンブラーは生きづらさの根源的意識の形成への気づきと修正と生き直しの方向を見出し、回復への道を歩む。

 

これこそが、12STEPの理念の「愛を与えよう。そして手を放そう」の現代的翻訳なのだ。

ハイヤーパワーはこうした現実的な行動によって結果的に生じるものなのだ。

④、⑤、⑥、⑦の過程では素晴らしい出会いや、共感や、新たな認知・認識・発見があり、しばしばそれは奇跡的と思う状況を伴ったりする。

決して平穏な過程ではなく、ブレたり、迷ったり、悩んだり、究極の選択を迫られる機会も何度も経験したりする。

しかし、その都度絶対間違えない為の考え方は実にシンプルだ。

 

『決してギャンブラーを孤立させてはいけない』

 

 

病気は病気の原因があり、その結果症状をあらわす。

例えば、40℃の高熱を発していればそれは症状だ。当然その原因を診断することとなる。

感染症なのか、何らかの炎症なのか、内臓器官の疾患なのか、、、、、。

そして、検査し、診断された病因に対して適切な治療を施すこととなる。高熱は結果的に治まる。

もちろん治療の手段の中には必要に応じて解熱処置もあるだろう。しかしそれは付随したものでしかない。

精神疾患も同様である。あらわれている症状に対して様々な分析がなされ、その結果特定された病名に沿って適切な治療行為が始まる。

依存症もWHOが認定する精神疾患なのである。なのになぜこの病気にだけ偏見と誤解と誤った俗説がまかり通っているのか。

一見解り易い“兵糧攻め”と“手放し”の考え方は合体して確実にギャンブラーを追い詰め、孤立化させる。経済的に、社会的に、精神的に、家族関係的に。

孤立したギャンブラーは行き場を無くし、やがて絶望する。

多くは身を落とす。悪質な金銭的負債を抱え込む。失踪もする。ホームレスにもなる。自死行為にも繋がる。自暴自棄行為や犯罪にも繋がる。

その実例はマスコミ報道で何らかの事件の形で日常的に耳にしている。

他のあらゆる病気の患者に対してはあり得ない行為が薬物、アルコール、ギャンブル依存症者に対して

は行われたりしているのだ。しかも最もケアーの義務と責任を負う近親者、家族を含めて。

 

ギャンブラーの真の底つきは「自分はこのままではダメなんだ。治療回復への道を進もう」という意識変化点なのだ。

そこの真の底つきに愛や共感や支援は極めて有効であると同時に、一方、依存症者を孤立化させてはいけないというのが精神保健医療の常識なのに、実際はなぜその真逆行為が横行しているのだろう。

「12 STEP」の古典的解釈のどこに問題があるのか、自分の実体験から考察してみた。

 

「12 STEP」の古典?的な解釈によれば、ギャンブラーに向き合う家族への指針は下記に要約される。

①、強迫的ギャンブル(ギャンブル依存)は病気である。

②、ギャンブラーの家族はほとんど共依存の関係になっていて、ギャンブラーの手助け(借金肩代わり、後始末)をやっている。それは結果的にギャンブラーの病気を悪化させる。

③、家族は自分の無力を認めなければならない。

④、ハイヤーパワー(自分を超えた大きな力)を信じ、問題を委ねる。

⑤、ギャンブラーを手放す。

⑥、家族は自助会(ギャマノン)に繋がり、仲間の力を借りて「12 STEP」を学習、実践する。

⑦、手放されたギャンブラーは手助けがなくなり、やがて底つきをし、回復への道を歩む。

 

これを文章のまんま素直に解釈すれば、

依存症の病気は手助け(金銭的肩代わり、後始末)が大きな問題で、それを断てばギャンブラーは

ギャンブルをする兵糧が経たれ、やがてギブアップし、音を上げるはず。

というような単純解釈になってしまう。

いわゆる自称“業界”オピニオンリーダー女史がバラエティ番組に出演して叫んだ、

「ギャンブラーなんて兵糧攻めにすればいいんだよ!」の考え方になるのである。

 

少し考えればこれがいかに破綻に満ちた考え方であるかは直ぐにわかることだ。

依存症ということが病気であるという認識であればその病気の原因に向き合い、そこに向き合って

最適な治療行為を考えるというのは極めて常識的なことなのだ。

なのに、病気の症状だけを取り上げ、強制的に対処療法をとればいいなどという単純な考え方になぜ偏ってしまうのだろうか?

それはまるで、精神保険医療の世界などない古い時代の「アル中オヤジなんて徹底的に酒を取り上げればいいんだよ!」に通じる発想ではないかと思ってしまう。

 

こんな次元の考え方が不思議にこの“業界”では普通にまかり通っている。

統計的なデータは見えてないが、この考え方の潜在的な犠牲者は相当数いるのではないかと想像する。家族もそしてギャンブラーも。