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Gambler’s-daddyのブログ

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一か月のご無沙汰でした。

 

究極の選択という言葉がある。

ギャンブラーとその家族にもそれがある。

その選択を誤ると片方は希望の道に繋がるが、片方は絶望の道となる。

 

ギャンブラーとその家族は、この“業界”の深い指針となっている「12 STEP」のイデオロギーに

たいがい何かしらの直接的か間接的な影響を受けることになる。

これは、アメリカで古くからあるアル中オヤジの回復治療活動の中で生まれたものらしい。

家族の自助会であるギャマノンに関しての「12 STEP」の記述にもこういうものがある。

「ギャマノンの第一回ミーティングは、1958年4月11日にカリフォルニアのロスアンゼルスで開催された」

すなわち、ギャンブラーとその家族に影響を与えているのは、精神医学など発達していない古い時代のキリスト教の影響が色濃いアメリカにおいて、アルコール依存症のオヤジ(たぶん)の回復経験学が原点になっているのである。そしてそれがやがてギャンブル依存症者や家族にも指針として流用され、いつの時代かアメリカから海を渡り、神道と仏教を下敷きにした文化を持つ日本にも伝わり、現代においてもそれがほぼ原文直訳で活用されているという状況なのだ。

「指針」は大きな管理責任能力のある特定の組織や団体がそれを取り扱っている訳ではなく、あくまでもギャンブラーの家族や関係者を中心とした自主活動によってなされているので、その古典的指針が現代的に翻訳、意訳されたりする環境にはない。

そういう背景を十分踏まえれば、この指針が解釈によって希望の道に繋がったり、逆に地獄の道に繋がったりする背景が理解しやすくなるかもしれない。

このブログを読んでいただいた皆様、今までありがとうございました。

世の中にはたくさんの問題、課題があります。

今の日本はたいがい大きな問題・課題は何かしら一定の取り組みがなされています。

しかし、ギャンブル依存症はとても大きな問題、課題であるにも関わらず、長い間放置されてきたと感じます。

放置どころか警察庁の管轄下で「違法な街なかギャンブル(換金システム)」の業界が黙認されているとか、野党やマスコミも正面から取り上げないとか、全国津々浦々にそれが普及しているとか、世界的にも信じられない状況になっています。少子高齢化日本の貴重な経済力を支える多くの男子(女子も)を蝕んでいる実態があるにもかかわらずです。

しかし最近、ようやくこの問題が社会的にも取り上げられ、各方面の課題に対しても遅まきながら取り組みが始まっているように感じています。

地道に着実にこの課題に向き合い、「ギャンブラー及びその家族ファースト」が貫かれることを願っています(あらぬ方向には歪まないよう)。

 

私の今までの、悪戦苦闘とその中での学んだこと、体験したこと、気づいたことをこれまでに書いてきました。

まだまだ、勉強不足、経験不足、認識不足があることは承知しています。

誤解や見当違いの部分があったらお詫びします。

自分の見解を一通り述べましたので、とりあえずこのブログはしばらくお休みします。

また勉強、経験、認識が深まったら再開します。

ありがとうございました。

 

ギャンブルからの回復にはいろんな構図がありますが、

最近多く見受けられる、若者の心の障害を背景にしたギャンブル依存症の回復の構図

をまとめてみました。

ご参照ください。

これはあくまでも推測であるが、現在いろんな方面でギャンブル依存症ビジネスが構想されている気配を感じる。まだマスコミや公式な場では表には出ていないが、現場の最前線に触れるとその気配は決してあいまいなものではなく結構具体的だ。

そういう構想が出てくる最もな背景がある。

 

①、巨大な手つかずの潜在需要がある。

  ギャンブル依存症者(約300万人~500万人)、家族(約500万人~1000万人)

②、自助会(及び一部の回復施設)の防衛力が弱い。

  有効な受け皿である自助会(GAやギャマノン)は利害のないピュアな自主活動であるが、

  その為、認知・宣伝・啓蒙機能が弱く、医療機関との効果的な連携機能も弱い。

  同じ機能を合理的な利益活動に置換する強力な企業組織が出現した場合の防御機能が弱い。

③、社会(国、自治体)と医療機関の依存症者への理解と受け皿機能が弱い。

  ギャンブル依存症者を精神疾患者と認知し、障害者の位置づけでフォローし、ケアーをする認識は

  極めて歴史が浅く(ここ5年前後?)、受け皿の認識、理解、キャパシティが貧弱な状況。

④、老人介護ビジネスは飽和状態であり、新しい福祉ビジネスの潜在的期待感がある。

⑤、IR法案とギャンブル依存症対策法案の動き

  政府の推進するIR法案とパッケージになっているギャンブル依存症対策法案の検討に伴って、近年急速にギャンブル依存症に対する社会認知が進む一方、ギャンブル(パチンコ、パチスロ)の民間業者の事業環境の悪化が顕著になっている状況がある。業者にはギャンブラーから吸い上げ、ギャンブル依存症者や家族からさらに吸い上げる発想(福祉という隠れ蓑)が生まれる土壌がある。

 

ビジネスモデル案の仮想事例

・事業モデル:自助会(GA,ギャマノン)経営、依存症回復施設経営、社会復帰ケアー施設経営

・協賛対象:ギャンブル業界(出資、マネージメント人材供給)、地方自治体(出資者募集、認知支援)

・援助と支援装置:一部のNPO法人(集客、啓蒙、資金募集)、厚労省(補助金、広報・宣伝・啓蒙)、

            医療関係者とのビジネスウィンウィン関係形成、マスコミ連携、一部政治家連携

 

このビジネスモデルが成立した場合、見かけの社会正義事業という悪貨がギャンブラーとその家族の根源的な回復努力(自主性)という良貨を駆逐するだろうことは間違いない。

現在一生懸命取り組んでいる各関係機関と関係者の警戒と自らの機能強化を促したい。

また政府、所轄官庁には「ギャンブラー及び家族ファースト」の視点を中心におき、安易なビジネスモデルや一部の野心家への責任移管、丸投げにならない見識を求めたい。

 

ギャンブル依存症を総合的事業やその事業化野心の対象にしてはいけないのだ。

 

 

 

 

  

回復への道筋に反してそれを妨げるものがある。俗説と偏見と誤解だ。

 

①、底つき理論=突き落としの理解

    「ギャンブラーなんか兵糧攻めにすればいいのよ!」

    「とにかく、助けないで、放っておいて、落ちるところまで落とさないとだめよ!」

    「共依存はだめ。ギャンブラーをコントロールしてはだめ。一円も援助してはだめ。」

    「犯罪者になっても、ホームレスになっても、自死を選ばれても仕方ない。」

    「ギャンブラーの話なんか一切聞いちゃだめ。ギャンブルの為にどんな嘘でもつくんだから。」

    「ギャンブラーをあなたが更生させようとするのは無駄なこと。あきらめて自分を救いなさい。」

そのぐらい家族が悩み、追い詰められ、そういう言葉に救われたりしている現実も数々承知している。

しかしそれでもなお言いたい。

誰よりもギャンブラーが一番苦しいのだ。死を意識するほど苦しいのだ。

その苦しみの地獄の門までにたどり着く手助けができるのは、ギャンブラーを愛するあなただけなのだ。

ギャンブル依存症はWHO(世界保健機関)に認められた病気(精神疾患)なのだ。

 

②、ギャンブル依存症は治らない。脳がタクアンになってしまってるから、ダイコンには戻れない。

    「ギャンブル依存症は病気であり、決して意思が弱いとか、自律心がないからではないのだ。」

ということを科学的に実証する為、NHKがギャンブル依存症の特集番組でギャンブラーの脳が特別な機能の仕方をするという実験映像を放映した反響から生まれた俗説らしい。大元は下手くそな誰かの比喩だと思われるが、その言葉が独り歩きして俗説となって広まっている。

脳の機能が特別になるのは、鬱やその他の精神疾患、あるいは極限を極めるアスリート、卓越した芸術家や音楽家など様々にあるらしい。もちろんそれは状況によって十分戻る機能。

アルツハイマーや脳障害など脳の変質や形質的機能障害とは本質的に異なる。

ただギャンブルによって得られた快楽の記憶は消えない為、継続的な自助活動は必要だ。

全ての依存症にはそれが有効だと言われている。

あるNPO法人が取材編集した貴重な資料が入手できた。

そこには12人のギャンブラーのリアルな記録が載っている。

とても丁寧にヒアリングされ、その内容が脚色なしに、詳細に、上手にまとめられている。

ギャンブラーは100人100色ではあるし、この資料でも男性、女性、各年代の様々なケースが取り上げられている。

その中から、「ギャンブラーが回復する」ということへのキーポイントを探り出してみた。

 

私の印象で抽出したものは三つ。

①、自分との深い向き合い

②、自助会への参加継続

③、早期発見、早期治療

ここで②、③は説明するまでもないそのままのこと。

大事なことは①、やはりこれが多くの事例を観察しても浮き上がってくる。

①がないと、どれだけ自助会や治療、回復機関のお世話になっても再発する印象だ。

そして、②、③のキーポイントもそれにリンクして結果的にスポイルされる感覚だ。

「自分との深い向き合い」、まさにそれこそが「地獄の門の扉を開ける」意味なのだ。

そのポイントに至ることこそが、依存症からの回復に向かう最大の重要通過点となるのだ。

 

「自分は問題がある。このままではダメなんだ。ここから回復しよう。」という強い主観・直観がギャンブラーの心の中に形成されることが地獄の門の扉。

そのよりどころになるのはギャンブラー自身の「心の叫び」。

その心の叫びをギャンブラーのいつもの嘘から選別し、軌跡として受け止め、やがて地獄の門までナビゲーション(手助け)し、ギャンブラーを愛する近親者の役割。

そして得られるのはギャンブラーの固い心を溶かす何らかのきっかけ、状態、空気、言葉、行動。

それこそが「底つき」という言葉の本質でもあるのだと思う。

決して容易なことではない。しかしその到達点(地獄の門)こそが、回復の本物の道筋に繋がる。

 

その後の回復の道筋は多くの回復者たちから示されている。

 

「心を開く。歪んだ自分を認識する。その歴史を振り返る。」

 

「苦しかった地獄の正体がわかってくる。地獄を声にして吐き出す。自分を受け止めてもらう。」

 

「自分で自分が受け入れられてくる。自分の周りが見えてくる。感謝と共感の気持ちが持てる。」

 

「自尊心を取り戻し、ありのままの自分の足で立っていける心境が形成されていく。」