こんばんは。
本日も昨日の続きをご紹介します。
昨日紹介した高萩市の次に行った場所は、
北茨城市です。Wikipediaによると、
茨城県の最北端で、律令時代には東海道の最北端でもあった。
20世紀頭になると、久原房之助が常磐炭田の運営に乗り出し、
炭鉱町として発展した。炭鉱町の時期は、
高度経済成長期まで続いた。
常磐線・国道6号・常磐自動車道が縦断し、南の水戸市までは
57km、日立市までは25km、北のいわき市平までは38km、
いわき市小名浜までは25kmである。このため、県境を越えた
いわき市との関係も親密であり、観光面でも、県内の他の
市町村よりもいわき市と提携する傾向が大きい。又、いわき市の
小名浜以南では、北茨城市の景勝案内が随所で見られる。
商圏では、概して日立や平への傾斜が目立つ。
野口雨情の出身地であり、岡倉天心が愛でた五浦海岸を
抱えるなど、美的な景勝地が多い。
市域は北西に細い角を伸ばす三角形をしており、北がいわき市、
南が高萩市、西の端が鮫川村と塙町に接する。
市域の大半は低い多賀山地の山林である。東に太平洋に面し、
市街は海岸沿いの平地にある。北西部の花園山から花園川が
南東に下り、海岸近くで大北川に合流する。大北川は西の
高萩市から来て太平洋に注ぐ。北部では里根川が北西から
南東に流れる。花園山は分水嶺で、山の西はいわき市の
鮫川水系に属する四時川の上流部となっている。
ということで、
北茨城市役所へ行き、旗を撮ろうと思ったのですが、
うまく撮れませんでした。
あきらめようと思ったところ・・・
偶然、消防署分団前にあった看板にかかれていたので、
一枚撮りました。
ということで、北茨城市の任務完了。
次の場所へ行く前に、日立市の海岸沿いを通り、
車を停めました。
続いての場所は・・・
東海村です。Wikipediaでは、
水戸市から北東へ約15kmの距離にあり、東は太平洋に面し、
西は那珂市、南はひたちなか市、北は久慈川を境に日立市に
接している。常陸台地の北端に位置する一帯で、久慈川の
南側と真崎浦、細浦などの低地は沖積層で、
水田地帯となっている。一方、台地は洪積層で、畑地と
平地林が広がり、東へ緩やかに傾斜したその先端が砂丘と
なっている。砂丘は現在、防砂林として活用されているほか、
日本原子力研究開発機構、日本原子力発電株式会社などの
敷地となっている。
日本で初めて原子力の火が灯った村として有名である。
1957年(昭和32年)に日本原子力研究所(当時)東海研究所が
設置され、日本最初の原子炉であるJRR-1が臨界に
達して以来、多くの原子力関連施設が集積することとなった。
現在も日本原子力研究開発機構、日本原子力発電東海発電所・
東海第二発電所など多くの原子力施設が村内に所在し、
近隣市町をあわせた茨城県の太平洋沿岸部は日本の
原子力産業の拠点となっている。
1999年9月30日に東海村JCO臨界事故が発生した。村内では、
施設の周辺住民の中性子線被曝や風評被害など、
様々な影響があった。
全国の村では、岩手県岩手郡滝沢村、沖縄県中頭郡読谷村に
次いで3番目に人口が多い。また、人口密度は4番目に高い。
茨城県条例による町制施行要件は満たしている。
茨城県内にある村は、本村と稲敷郡美浦村の2つのみ。
車は東海村役場へ行き、
写真を一枚撮ってきました。
東海村も任務完了。
明日は9日に回った最後の2箇所をご案内します。
ではまた明日。























