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LIVIN' ON THE ROAD

-Galsa's Diary-
Since 2008.04.10

こんばんは。

本日も昨日の続きをご紹介します。



昨日紹介した高萩市の次に行った場所は、


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北茨城市です。Wikipediaによると、



茨城県の最北端で、律令時代には東海道の最北端でもあった。

20世紀頭になると、久原房之助が常磐炭田の運営に乗り出し、

炭鉱町として発展した。炭鉱町の時期は、

高度経済成長期まで続いた。


常磐線・国道6号・常磐自動車道が縦断し、南の水戸市までは

57km、日立市までは25km、北のいわき市平までは38km、

いわき市小名浜までは25kmである。このため、県境を越えた

いわき市との関係も親密であり、観光面でも、県内の他の

市町村よりもいわき市と提携する傾向が大きい。又、いわき市の

小名浜以南では、北茨城市の景勝案内が随所で見られる。

商圏では、概して日立や平への傾斜が目立つ。


野口雨情の出身地であり、岡倉天心が愛でた五浦海岸を

抱えるなど、美的な景勝地が多い。


市域は北西に細い角を伸ばす三角形をしており、北がいわき市、

南が高萩市、西の端が鮫川村と塙町に接する。

市域の大半は低い多賀山地の山林である。東に太平洋に面し、

市街は海岸沿いの平地にある。北西部の花園山から花園川が

南東に下り、海岸近くで大北川に合流する。大北川は西の

高萩市から来て太平洋に注ぐ。北部では里根川が北西から

南東に流れる。花園山は分水嶺で、山の西はいわき市の

鮫川水系に属する四時川の上流部となっている。


ということで、


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北茨城市役所へ行き、旗を撮ろうと思ったのですが、


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旗の上の部分しか固定されておらず、

うまく撮れませんでした。

あきらめようと思ったところ・・・


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偶然、消防署分団前にあった看板にかかれていたので、
一枚撮りました。


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ということで、北茨城市の任務完了。




次の場所へ行く前に、日立市の海岸沿いを通り、

車を停めました。


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続いての場所は・・・



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東海村です。Wikipediaでは、


水戸市から北東へ約15kmの距離にあり、東は太平洋に面し、

西は那珂市、南はひたちなか市、北は久慈川を境に日立市に

接している。常陸台地の北端に位置する一帯で、久慈川の

南側と真崎浦、細浦などの低地は沖積層で、

水田地帯となっている。一方、台地は洪積層で、畑地と

平地林が広がり、東へ緩やかに傾斜したその先端が砂丘と

なっている。砂丘は現在、防砂林として活用されているほか、

日本原子力研究開発機構、日本原子力発電株式会社などの

敷地となっている。


日本で初めて原子力の火が灯った村として有名である。

1957年(昭和32年)に日本原子力研究所(当時)東海研究所が

設置され、日本最初の原子炉であるJRR-1が臨界に

達して以来、多くの原子力関連施設が集積することとなった。

現在も日本原子力研究開発機構、日本原子力発電東海発電所・

東海第二発電所など多くの原子力施設が村内に所在し、

近隣市町をあわせた茨城県の太平洋沿岸部は日本の

原子力産業の拠点となっている。


1999年9月30日に東海村JCO臨界事故が発生した。村内では、

施設の周辺住民の中性子線被曝や風評被害など、

様々な影響があった。


全国の村では、岩手県岩手郡滝沢村、沖縄県中頭郡読谷村に

次いで3番目に人口が多い。また、人口密度は4番目に高い。

茨城県条例による町制施行要件は満たしている。


茨城県内にある村は、本村と稲敷郡美浦村の2つのみ。




車は東海村役場へ行き、

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写真を一枚撮ってきました。


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東海村も任務完了。


明日は9日に回った最後の2箇所をご案内します。







ではまた明日。

こんばんは。

本日も昨日に引き続いての旅を紹介します。


昨日の常陸太田市の次に向かったところは・・・



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日立市です。Wikipediaでは、


茨城県の北東部にある市。市域の大半は旧多賀郡で

一部は久慈郡である。総合電機メーカー・日立製作所の

創業の地として知られる。


日立鉱山から発展した鉱工業都市である。1905年、

久原房之助が赤沢銅山(後の日立鉱山)を買収し、

久原鉱業所(現在のJX日鉱日石金属)を創業して以来の

企業城下町として、後年はその機械部門が分離・独立した

日立製作所・日立グループの企業城下町となるが、現在は

両社とも本社を東京に移転している。他に日立市と同様に

鉱山町から企業城下町になった地域としては、

新居浜市(別子銅山→住友グループ)が代表的である。

元来、7世紀の国造の時代から、現日立市の中心部は

助川(すけがわ)という都市名だったが、1939年9月1日に

助川町が日立鉱山を擁する日立町と新設合併して

市制を敷く際に日立市となった。1939年以後、

都市名と企業名の混同を避けるために、日立市民は

都市名を『日立(ひたち)』と呼び、

日立製作所を『日製(にっせい)』と呼んで区別している

(日製の略称はかつての日製商事=現在の

日立ハイテクノロジーズなど、日立グループでも用いられる)。


戦後の一時期、人口は県庁所在地の水戸市を

上回っていたことがある。しかし、近年は日立グループの

再編などによって人口が減少し、十王町の編入にも拘らず

20万人を割った。現在はつくば市に抜かれ、県内3位となっている。


関東平野が久慈川(日立市と東海村の境)で北端となるため、

東側の太平洋と西側の多賀山地に挟まれ、

南北に細長く可住地が伸びている。可住地の多くは、

日立製作所及びその関連企業の施設が占めているため、

山間地を切り開いて造成した住宅地が多い。


南北に大きく伸びた海岸線を持つことから、市内には6箇所の

海水浴場を持つ。名勝として、玉簾の滝(たまだれのたき)や

諏訪梅林(すわばいりん)などがある。

市内各地に桜の木が多く見られ、「日本さくら名所100選」にも

選ばれている(かみね公園・平和通り)。


市北西部の日立鉱山には1914年に煙害対策として

高さ155.7mの大煙突(だいえんとつ)が建てられ、

鉱工業都市日立のシンボルとして長く親しまれた。

これをモデルにした小説として、新田次郎の

「ある街の高い煙突」がある。

大煙突は、1993年2月19日、この日に吹いた強風と

老朽化の影響で倒壊し、現在は高さ54mとなっている。


太平洋と阿武隈高地に挟まれているため、茨城県では

北に位置しているにも関わらず気候は比較的温暖であり、

同じ茨城県内の大洗や鹿嶋よりも、福島県浜通りの小名浜や

広野の方が似ている気候である。1月の平均気温は4.4℃と、

茨城県中部の水戸や南部の土浦、さらに南の千葉県の

我孫子よりも高い。また、夏もさほど気温が高くならない。

総じて、常磐線の駅を目安に各地区が形成されており、

大甕(おおみか)・多賀(たが)・助川(すけがわ)・

小木津(おぎつ)・十王(じゅうおう)の国道6号沿線と、

中里(なかざと)の国道349号沿線に分けられる。中里地区は、

同じ国道349号沿線の常陸太田市との交流が多い。


なお,多賀山地の各所に露頭する日立変成岩は5億年以上前の

カンブリア紀のもので,日本最古の地層とされる。

このことからこの地域が,昔ゴンドワナ大陸の東にあった

火山島で,日本列島の始まりの地ではないかとも考えられている。



ここで写真を一枚。


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日立市の任務完了。



次の都市へ行く前に、十王ダムがあったのでよってみました。


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ダム好きな人がいるって聞いたことがありますが、

個人的にはやはり、ダムはダムって感じです。


では、続きまして・・・


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高萩市です。Wikipediaでは、


茨城県の北東部に位置する市である。

明治以降炭鉱の町として栄えていたが、

現在は木材加工が中心となっている。


東は太平洋に面し、市街は海岸沿いの平地にある。

西は低い多賀山地の一部で、市の面積の大部分が

この山地にある。山から海に向かって大北川、関根川、

花貫川の三つの川が流れるが、

このうち大北川の下流は北茨城市に入る。


常磐炭田の存在によって、明治中期以降は石炭産業が

盛んであり、高萩炭鉱、望海炭鉱などの鉱山が開かれていた。

しかし、石炭産業の衰退に伴い、木材加工・パルプ加工等に

産業の中心はシフトしている。 農業は水稲のほか、肉牛、

乳牛、野菜、花など。海に面するが漁業は盛んではない。

市内の松久保・手綱等の工業団地には工場が多く立地する。


紹介をしたところで、写真を一枚。


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ということで、高萩市も任務完了。



明日もどこかの都市を紹介します。



ではでは。

こんばんは。

昨日のブログでもお伝えしたとおり、

今日も10市町村回ったうちの2箇所をご案内します。




まずは・・・


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大子町です。Wikipediaによると、



茨城県北西部の観光と農業を中心とする町。

町中央部に久慈川が流れ、平行してJR水郡線が走る。

町北部には八溝山や高笹山、

町南部には男体山や生瀬富士がある。


日本三大瀑の一つ「袋田の滝」で知られる。

奥久慈地域の中心。温泉やリンゴ狩りでも有名。

かつて42,000人を越えた人口も今は半分に激減。

他の北関東各県に比べて雪の少ない茨城県において、

袋田の滝が氷瀑として知られるだけあって

特に寒冷な地域である。


Wikiではありませんが、昨年度の大子町の出生数が

100人を割る事態にもなっています。


まずは名所の袋田の滝から

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そして、シンボルマーク。


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大子町の任務完了。




続きましては、



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常陸太田市です。Wikipediaでは、



南北に長い市域を持ち、面積は茨城県の自治体で最大

西から順に浅川、山田川、里川が並行して南へ流れ、

それぞれの川に沿った谷に旧金砂郷町、水府村、里美村の

集落と耕地が広がる。里川に沿って国道349号が貫通するが、

途中の東河内(ひがしごうど)地区は日立市域であり、

旧里美村と旧常陸太田市とは直接隣接してはいなかった。

旧里美村地区は、東河内地区と本山トンネルを介して

日立市街とも交流を持つ。


浅川、山田川、里川はいずれも市の南境を流れる

久慈川に合流する。旧常陸太田市街は里川が久慈川流域の

平野に出る谷口の右岸に位置し、周辺の中山間地域を

後背地に旧久慈郡南部の商業中心地として発展した。

南部の久慈川本流沿い、また上記3河川も久慈川との

合流点に近づくにつれて広い沖積平野が開け、それぞれの

流路に沿った自然堤防上に集落が分布し、

後背湿地には水田が広がっている。



ということで、県道29号より一枚。


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常陸太田市も任務完了。


さて、明日は上の写真に記載されている

何処かの都市を紹介します。





では、またあした。